第36話 赤いマフラーは正義の印


 俺たちが補習を終えて校門を出たのは、午後四時少し前だった。

 普段の下校時間よりは早いが、この季節だ。油断してるとすぐ暗くなるだろう。いつもなら早々に帰路につくところだが。


「賢勇、今日はちょっと駅前に用があるんだけど」

「ん? 大丈夫か?」

「何が?」

「今から寄り道してたらすぐ暗くなるぞ? ベニもいないのにひとりで帰れるのか?」


 普通に指摘されてちょっとたじろぐ。

 俺の暗闇恐怖症は、アルル以外には秘密にしているつもりだったんですけど……? さすがに付き合い長いせいで気づかれてたか。

 まさか、紅姫とかミカヅキにも知られてたりは……!?


「心配すんな。たぶん俺しか気づいてない」


 俺の内心を見透かすように頷く賢勇。

 それは良かった……けど、潜在的マザコン説といい、何でコイツはそんなに俺の内面事情に詳しいんだろう。友情が深淵すぎて嬉しいような怖いような……とにかく、火尾木ひおき村についてからの暗い帰路については心配ない。


「帰り道は大丈夫だ。アルルがバス停まで迎えにきてくれるからな」

「それを笑顔で言い切るのか…………立派なマザコンになったもんだ」


 賢勇の生温かい眼差し。

 いや、まあ……うん、否定はできん。


「で? 用って何だ? 母ちゃんに夕飯の材料でも頼まれたのか?」

「ああ、何か昨日からアルルがカレー作るのに張り切っててな。特別なカレー粉っていうか、香辛料……? とにかく駅前に専門店があるらしいんだよ」

「カレー?」

「うん、前に紅姫が〝味噌汁とカレーとチャーハンは母の味〟とか言ってたせいだろうな」

「……味噌汁とカレーはわかるが、何でチャーハン?」

「知らん。けど、アルルの作るチャーハンはスゲー美味いしパラパラに仕上がるようになった。だから次はカレーなんだろう」


 何か母の味的に一番オーソドックスな味噌汁が後回しになってるのが、微妙に釈然としないが……。


「……ようわからんけど。そうか、マジで母ちゃんのお使いだったか。そりゃあ何つーか……良かったな」


 ハハハ……と、笑う賢勇。

 けど、それはあきれの笑いでも、ましてや小馬鹿にする笑いでもない。安堵からこぼれたような穏やかなものだった。


 良かったな。


 そう安堵するのはわかる。

 こないだの勉強会の時、夕食時に取り乱したアルル。続く二日間の勉強会でも、どこかぎこちない雰囲気を引きずっていた。

 だから賢勇も心配していたのだろう。


「今はもう以前の通り、凜々しいんだか緩いんだかわからんアットホームな騎士様に戻ってるよ」

「ああ、確かにあの人、見た目はクールそうなのに、妙にゆるふわしてるよなあ……」

「怒るとスゲー怖いがな」


 猪も暴漢も深空紅姫も瞬殺してるからな。


「カレー、美味く作れるようになったらオレにも食わせてくれよ」

「そうだな、どうせ年末年始には何かで集まるだろうし、そん時にでも」

「ハハ、楽しみにしてるぜ。できれば激辛で頼む」

「オマエ本当に辛いの好きだな」

「おう、辛ければ辛いほどオレは満たされる」


 期待に眼を輝かせるヤクザの息子と、苦笑う詐欺師の息子。

 そんな益体もない会話を続けながら、流れのままに共に出向いた駅前の繁華街。

 通り掛かったファミレス前で、ふと賢勇が立ち止まった。


「なあ碧継、スクールカーストってあるよな?」

「……ああ、心底面倒臭そうなアレな」

「やっぱウチのクラスにもあんのかな?」

「そりゃあるだろう」

「じゃあさ、オレらってどの辺なんだろ? ピラミッド的に」

「それは…………」


 微妙に難解な問題を振ってきたな。


 スクールカースト……この場合はクラスカーストか?

 学校空間における人間関係を区分け選別する実にアレな概念。

 一般的な学生のみなさんは大なり小なりそれに翻弄されていると聞く。けど、俺と賢勇の学校生活は限りなく狭い人間関係で完結してきたから、ほぼその手の事柄に触れたことがない。

 特に高校生になってからは顕著けんちょだ。

 俺にとって、賢勇以外の生徒はすべからく〝他のクラスメイト〟であり、あとは男女の別くらい。それで完結している。だから、どんなグループがあって、それぞれどんな関係なのかとかは、漠然としか把握できてないんだよな。

 というか、そもそもクラスメイトにあまり意識を向けてない。

 意識したって、見えるのは遠巻きの敵意や悪意だし、聞こえてくるのは嘲弄や侮蔑だ。そんなもの端から無視するに限るからな。


 そんなクラスの中での、自分と賢勇のカースト的な立ち位置……か。


 確か、どれだけ学校という空間で輝いてるか……って基準が大事なんだよな? ルックスの良さとか、スポーツの実力とか、学力の高さ……は、あまり聞かないか。

 総じてみれば〝コミュ力〟が高いほど上の位置にいるってことだと思うんだが、そう考えると……だ。


「普通に最底辺なんじゃないか? もしくは圏外?」

「圏外かあ……」

「何でイキナリそんなこと気にしてんだ?」

「ん、あれ見てみ? あそこにたむろってる、いかにもリア充オーラ全開の連中」


 賢勇がファミレスの中を顎でしゃくった。

 窓ガラス越しに見える店内、その一画に、なるほど、賢勇の言う通りにいかにもキラキラ眩しい一団がいた。


 同じく高校生らしき男女十数名のグループ。

 みな楽しげに、いかにも〝ボクらは青春を謳歌してます♪〟って感じにドリンクバーで談笑している。

 端的に言えば、オシャレなパリピって感じのみなさんだ。

 まあ、俺は服やらアクセやらの流行とかには疎いし、センスに自信もないので、真にオシャレかはわからない。


 けど────。


「ああ、あれは間違いなくピラミッドの頂点だろうな」


 中心に居る少年を見て得心する。

 もちろん、座している位置だけではなく、グループの中心って意味だ。

 当然、ルックスは普通以上のイケメンさん。

 やや垂れ眼がちの柔らかな面差し。スラリと引き締まった長身ながらも、服装はシックで、とくに化粧やアクセで飾ることをしていない。

 唯一、首に巻いたストールだかマフラーだかの赤い色彩が異質であり特徴だ。何せ、室内にいる今も外していないし、それどころか、彼はあれを夏でも春でも年中首に巻いているのだ。

 それがオシャレかどうかは知らない。……というより、年中マフラー巻いてるのは普通に変だと思う。

 しかし、それが彼流のファッションだと周囲は受け入れているし、受け入れさせる魅力を彼が備えているのは確かだった。


 さすがの俺でも、アイツのことは知っている。

 何せ神之原学園で一番モテるという噂の男だからな。


 沙久来さくらい蓮之介れんのすけ


 クラスの……と言ってもウチのクラスじゃない。隣の二年A組のリア充グループ、その中心にいるイケメン。なんだけど、チャラい印象はない。むしろ物静かで、騒いでいる仲間たちを穏やかに見守っているという感じの草食系な男。

 なのに、妙に貫禄があるというか、言動や所作が不思議と周囲を惹きつける。結果、いつも彼を中心に周りが動くという、まさにカリスマに恵まれた類のお方だ。

 今もニコニコと黙して、周囲の会話に耳を傾けているようだが……。


「……で? あのリア充軍団がどうした?」

「いや、リア充軍団そのものはどうでもいいんだよ、良く見ろって」


 言われて改めて見直せば、ああ、なるほど、一団の片隅にいる制服姿の数名、その中に見覚えのあり過ぎる武士ポニーを見つけた。


「紅姫か、何やってんだアイツ?」


 いや、何やってんだも何も、みんなでダベっているのだろう。

 よく紅姫と連んでる友人たちも一緒のようだし、学園の先輩後輩で楽しく交流しているってとこか。

 別にいぶかしむことではない。

 むしろカースト圏外な兄としては、リア充グループと交流できている妹を喜ばしく思うべきだろう。


 ただ、まあ、何ていうか、こういう印象は偏見だってのはわかっているんだけれど……。


「……アイツらって健全な連中なんだっけ?」

「さあなあ……少なくとも、オレが把握してるようなクズはあの場にまじってねえな」


 地元の老舗しにせ極道ヤクザのお墨付きなら信用は持てる。

 けど、賢勇が把握してるようなヤツは本気でアウトローな連中だ。単にチャラけたタイプや、法に触れない範囲でオイタしてるヤツとかは普通に索敵対象外。

 なら、当然あの場にいる連中が全員健全という保証はない。

 我が妹はおバカでガサツでお子様だが、容姿だけはそれなりに美少女なのだ。


 文字通り見定める勢いで一同を凝視した俺だったが……。


「…………」

「…………」


 ガラス窓を挟んだ遠間にて、沙久来蓮之介と眼が合った。


 ……気づかれたかな。


 思わず内心で身構えた俺だったが、対する沙久来は垂れ眼がちの双眸を柔和に細めた。

 それは嫌味や敵意を感じない、ごく自然な微笑だった。実際、俺がここにいることを周りに伝える素振りもない。

 俺を知らない……とは考え難い。知っているからこそ、それを配慮した上で会釈だけして流した。そんな風に見えた。


 俺は────。


「……行こう」


 賢勇を促して歩き出す。

 もちろん、向かうのは当初の目的である香辛料の専門店だ。


「ん? いいのか?」

「いいも何も、妹が友人連中とファミレスでダベってるだけだろう? 何も問題ないよ。……兄として気にはなるけどな。だからってジッと覗き見してるわけにもいかないだろ」

「ハハ、まあな。ただ……」


 賢勇は言い淀みながら、やや思案げに背後のファミレスをかえりみた。


「どうした?」

「……いや、ちょっとベニの表情がな……あんま楽しそうじゃない感じっていうか……な」

「…………」


 そうだったか?

 そう言われてみればそうだったかも知れない。いや、賢勇が言うのだからそうだったんだろう。コイツの観察眼は信頼できる。


「……まあ、気にするほどじゃないと思う。たぶん、ダチの付き合いで同席してんじゃないかな」

「紅姫の性格的に、イヤならイヤって断りそうなもんだが……」

「そりゃオレたちみたいに、本気で気心知れた仲ならな。クラスのオトモダチとかだと、乗り気じゃなくても誘われれば無下にもできねえさ」


 以前のやり取り……四之宮商店からの帰り道でのことを思い出す。

 アルルのチャーハンと、クラスメイトの約束と────。


〝……わかってるよ。ちょっと迷っただけだろ……〟


 あの時は、食い意地の張ったお子様だとあきれたが……。

 もしかしたら、紅姫は単に俺たちと一緒にいたかっただけなのかもしれない。それでも、お子様なりに空気を読んで、クラスメイトの方を選んだのかもしれない。


「人付き合いってのは大変だな……」

「他人事みたいに言ってんじゃねえよ。そんなんじゃ立派なヤクザになれねえぞ」

「いや、ヤクザにはならないんで大丈夫です」


 人付き合いはカタギにも重要な要素だから大丈夫ではないんだが……ともかく、少し気にはしておこう。

 もちろん、人付き合いのことではなく紅姫のことだ。


 ……差し当たってクラス内とか、もっと周囲に眼を向けてみよう。それは色んな意味で大事なことな気もするしな。


 俺は内心でそう決意しつつ、改めて目的地を目指したのだった。 

 


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