第21話 銀シャリが食えるだけでもありがたいと思え


 明けて月曜日の神之原学園。

 賢勇は昼休み突入を狙い澄ましたかのように登校してきた。まあ、宣言通りではあるんだが。


 ……どうせならもう少し遅刻してくればいいものを。


「おっす。んじゃ、学食行きがてら話そうぜ」


 教室に入るなりUターン。本当、オマエ何しに学校きてんだよって感じだが、卒業以前に進級大丈夫なのか?

 溜め息も力なく、俺は取り出した巾着袋をブラ提げて不良の後を追う。


「……で? どした?」

「ああ、まあ、あんま人に聞かれていい話じゃないんだよな……」


 廊下には他にもそれなりの生徒が行き交っている。

 俺はチョイチョイと賢勇に耳を寄せさせ、小声で簡潔に告げた。


「……登河さんのお母さんに刺されそうになった」

「…………」


 うぉ、賢勇の顔が伝説の龍みたいになった。久々に見せるヤクザモードに、親しい俺でも気圧されて身がすくむ。


「お、落ち着けって、今無事だろ? 大丈夫だったんだよ」

「…………そうか、まあ、無事だったんならいいか」


 慌ててなだめれば、すぐにいつものゆるキャラモードに戻ってくれた。

 ……あぶねえ。本当、身内のことには人が変わるなコイツ。もう少し言葉を選ぶんだった。


「……けど碧継、オマエよく無事で済んだな」


 本気で意外そうな賢勇。

 こないだの紅姫といい、俺が荒事を切り抜けるのはそんなに変か?


「……まあ、確かにフィジカルの弱さは自覚してるけど……」

「いやあ、そうじゃなくってさ。なーんかオマエ、登河親子が相手だと、あえて無抵抗で刺されたりしそうだから」


 エスパーか?

 もしかしてさっきの龍が如くな形相は、雪江氏じゃなくて俺に対したもんだったのかな。

 いずれにせよ、申し訳もない話だった。


 ……で、問題の学食に到着。


「さーて、何にすっかなあ……」

「俺は今日は弁当があるから。先に席とっとくよ」

「何だ? また自炊始めたのか?」

「節約は大事だろ? 何せ伯父のスネをかじってる身だからな」


 あくまでさりげなく話を流して、空いている席を確保。

 やがて賢勇が大盛りカレーライスを手に現れたところで、俺も巾着袋から弁当箱を取り出した。


 さて、余談だが俺は家庭の事情で自炊を余儀なくされてきた。

 以前は弁当も自作していたが、面倒になって高校生になってからはずっと学食だ。家でもレトルトばっかりで、ここ一年はまともに自炊なんてしてない。

 今日もしてない。

 つまり、この弁当を作ったのは俺ではない。

 今朝、出かけにアルルが笑顔で手渡してくれたものだ。


 正直、誰かに弁当を作ってもらったのなんて人生初のこと。

 まして、女の子の手作りだ。男として緊張して当然だろう。いや、相手はアルルなんだから、女の子というよりお姉さんか?

 まあ、本人は〝母の愛情弁当〟と言っていたが、ともかく……。


 問題は中身だ。


 この手のお約束で、ご飯に鮭フレークでハートとか描かれてたらどうするよ? アルルなら普通にやりそうな気がするし。


 俺は緊張しながらゆっくりとフタを開けた。


 視界に飛び込んできたのは弁当箱いっぱいの白飯に、真ん中に埋め込まれた赤い梅干しひとつ…………だけ?

 これは、その名も高き〝日の丸弁当〟ってヤツだな。

 フタを取り上げたまま固まっている俺に、賢勇が首をかしげてくる。


「何だその愛国心あふれる弁当。ちょっと清貧すぎだろ」

「……清貧、いい言葉じゃないか」


 ……別に、俺はガッカリしてないぞ?

 むしろハートとか描かれてなくて安心してる。

 本当だ。

 実はちょっと期待してたとかもない。ああ、してなかったさ。

 ただ、その、何と言うか、少しだけ寂しいというか……。


「さすがにこれはないだろうッ!」

「お、おう、そうだな……」


 俺の突然の剣幕に、賢勇は不可解そうにしながらも同意を示す。

 いや、実際これはない。

 もちろん、朝御飯とか用意してもらって、その上で作ってくれた弁当なのだから、内容に文句を言うべきじゃないかもしれん。

 それはわかる。わかるけど!

 いくら笑顔で手渡されてもこれは……。


 ふと、朝の光景がよみがえる。


〝……アオツグ、お弁当を作ってみたのだが……〟


 出かけようとした俺に、アルルは少し不安そうにしながらも、笑顔で巾着袋を差し出してきた。それは、あのコンソメスープの味見を頼んできた時を思い出す、はにかむような可憐な微笑で……。


「………………」


 ……うん、まあ、そうだな。

 あいつも記憶が飛んでる中で家事を覚えたりして、いろいろ大変なんだしな。ある程度の手抜きは仕方ない。


 何だか、アルルの笑顔を思い浮かべたら、込み上げていた憤慨は急速にしぼんで消えてしまった。

 ……我ながら、美人の色香に惑わされっぱなしだな。

 気が抜けて吐息をこぼせば、向かいの賢勇が心配そうに見つめてくる。


「どした? カレー少しやろうか?」

「……ああ、もらう。ありがとな」


 俺はカレールーを日の丸によそいつつ。


「なあ、賢勇」

「ん?」

「もしかしたら、俺はマザコンなのかも知れない」

「……ほう、詳しく聞こうか」


 スッと居住まいを正してくるヤクザの息子。


「いや、そんな背筋伸ばして聞く話でもないんだが……」

「何言ってやがる。オマエが潜在的にマザコンだったのはわかってるが、それが覚醒したってことは、何かキッカケがあったんだろ?」

「…………潜在的にマザコンでしたか?」

「だいぶ露骨にな。あ、もしかしてこないだの話か? マジで親父さんの再婚相手が現れたのか?」

「……いや、そういうわけじゃないんだが……ただ、どうも俺の母親になってくれた女がいてな。今、一緒に住んでる」

「ふーん……」


 賢勇はゆるりとカレーを食しつつ、コップの水をひと飲みしてから「けふぅ」とひと息ついた。

 で、改めて首をかしげる。


「……どういうこと?」

「いや、それ以上でも以下でもない話なんだがな」

「………………そうか」


 まあ、わからんよな。けど、それはこっちが聞きたいくらいだ。

 わかっているのはハニートラップは恐ろしいということ。ホモとロリコンと選ばれし二次オタにしか抗えないというのは真実のようだ。


「ま、よくわからんけど、碧継がいいなら、いいんじゃね?」

「相変わらず軽いなオマエ……」

「だって、今のオマエ、何か楽しそうだし」


 ニヤリと笑う賢勇。

 俺が楽しそう? そうなのだろうか?

 言われれば、まあ、そうなのかもしれない。


「ちなみに紅姫もマザコンだった」

「はは、ブラコンでマザコンとか、業が深いなオマエの妹分は。……ああ、そんなことよりさ」


 俺的一大事もコイツにかかれば〝そんなこと〟らしい。


「ミカちゃんから何か反応あったか?」

「いや、何も。ずっと既読スルー状態」

「そうか、こりゃ相当ヘソ曲げてんなあ……」

「ああ、けど……」


 少し腑に落ちない。

 約束を破ったのは事実だが、親父がらみで警察沙汰という事情を知ってもなお怒り続けるようなヤツじゃない。むしろ約束を破らせた邪魔者として、登河母に怒りの矛先を向けるのがいつものミカヅキ君だろう。


 もしかしたら、全然別の理由でフテ腐れてるのかもしれない。


「なあ、賢勇。ミカヅ……」


 その時、俺の呼びかけをさえぎるように、横合いから誰かの手が差し出された。

 コトン……と、軽い音を立ててテーブルに置かれた一本の缶コーヒー。

 見れば、いかにも通りすがりな様子のカグヤ姫カットの女生徒。

 登河冬華。


「……あげるわ。それ」


 声音も眼光も冷ややかに、彼女はそのまま立ち去って行く。

 学食を出て行く後ろ姿を呆然と見送りながら……。


「……何? 今の」

「……まあ、普通に考えて、一昨日の件のお詫び……かな?」

「刺されそうになって、缶コーヒーか……割りに合わねえな」


 まあ、どっちかというとその後の電話の詫びだと思うが。


「……超憎まれてる相手が睨みつけながら置いてった飲み物か、普通は毒だよな」

「いや、開封されてないしそれはないだろうけど。寄りによってブラックってのが意味深だな……」


 とりあえず手に取って見る。

 ひっ…………!


「キンキンに冷えてやがる……!」

「……敵意しか感じねえ」


 当然ながら、中身は普通のアイスコーヒーだったけど……。

 お詫びなのか、イヤガラセなのか、実に判断に困る一品であった。


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