第17話 謝って済むなら苦労はありません


 戌亥いぬい刑事と他二名の警察官が車で駆けつけたのは、それからすぐのことだった。

 何せ通報もしていないのにやってきたのだから、迅速なこと頼もし過ぎる神対応。……けど、当然、それは元々こちらに向かっていたというだけのこと。


 登河雪江。

 彼女が失踪したことは、すでに娘の冬華から通報されており、ならば向かう先は自殺に適した場所か、あるいは深空白斗の関係者のところであろうと推測し、動いていたそうだ。


 当然、自殺を最優先に警戒し、その上で、白斗方面には勝手知ったる戌亥刑事が出向いてきたということ。


「……だったら、まずは電話のひとつくらいくださいよ」


「できれば接触前に身柄を確保するつもりだった。それに、そもそも我々は自殺志願が濃厚と見ていたからな。こちらには、あくまで念のため出向いたに過ぎん。……軽々に連絡を取り、多感な青少年の心情を掻き乱すこともないと考慮したのだがな」


 ヌケヌケと宣う戌亥丈太郎じょうたろう

 アンタにそんな配慮があるとは驚きだ。何より、常から多感な青少年に配慮しているつもりだって主張に驚いた。


 いや、もう、そういうの全部引っくるめたイヤガラセだろう、これ。


 ゲンナリと項垂れる俺。

 傍らに座したアルルは、ピンと背筋を伸ばした姿勢で目を閉じて、無言のまま。


 ……たぶん、怒ってんだろうな。仕方ない。自業自得だ。


 俺の家の居間。

 今は土間からの上がり縁にふたり並んで腰かけ、眼前に立つ戌亥刑事に事情聴取を受けているところだ。

 

 登河雪江は、すでに他の警察官に伴われて連行されている。心身喪失も甚だしい状態だったため、まずは病院に向かったそうだ。


「……で? 被害届はどうする?」


 戌亥刑事の御無体な問い。

 らしいと言えば、らし過ぎる相変わらずのロボ対応に、俺は露骨な苦笑で見上げ返した。


「冗談でしょう? 被害者は明らかに向こうじゃないですか」

「登河雪江の行動は銃刀法違反と傷害未遂、場合によってはストーカー規制法にも抵触する可能性があるが?」

「……はは、マジで言ってんの?」

「被害届は出さないということだな。ならば、その方がこちらも処理が楽になる。ありがとう、助かるよ」


「…………」


 ……本当に、コイツ……。

 ああ、わかってるよ。全部こっちの自業自得、因果応報ってヤツさ。わかってるけどさ……。


「アンタにとっては、俺が刺されてた方が良かったんじゃないか?」

「……ほう?」

「そうだろ? アンタだって、あの登河さんと同じ気持ちだろうに……」


 家族の仇……いや、この場合は友人の仇だが。


「ふん……登河雪江がオマエを怨むのは、逆恨みだろう。彼女の夫を射殺したのは同僚の警察官だ。むろん、その原因のひとつに深空白斗の行動があるのは事実だが、それこそ、息子のオマエには無関係だ」

「…………」

「そして、私の友人が誤射したのも同様だ。誤射したのは友人自身の過失だ。その後にそれを思い悩み、克服できずに自ら命を絶ったこともな。いずれにせよ、深空白斗自身をどうこう思うならともかく、息子のオマエに何を求めても仕方あるまい」


 無表情に抑揚なく、どこまでも淡々と言い切る戌亥刑事。


「…………本当、マジで言ってんならスゲーよアンタ」


「そう徹底して律することで、警官としての矜持きょうじを保っているだけだ。正直、目の前に深空白斗の方が現れたら、どうなるか私にもわからんぞ?」


 どこまでも淡々と告げる。


 ……何それ? やっぱ多感な青少年に配慮する気ねえだろアンタ。


 俺がガックリと項垂れたところで、戌亥刑事のスマホが鳴った。


「……はい。ああ、目の前にいるが……ふむ、彼は被害届を出す気はないそうだから、別に被害者でも加害者でもない。守秘義務さえ徹底するなら会話は問題ないが……」


 戌亥刑事が俺を一瞥いちべつして問う。


「登河冬華がキミと話したいそうだが、どうする?」


 ……何で? ……けど、まあ、無下にはできないよな。


 頷いてスマホを受け取る。


「……もしもし、深空碧継です」

『登河です。……今日は、母が迷惑をかけたわね』


 冷ややかにくぐもった声音。


「……ああ、いや、謝られるようなことは……別に……」

『そう? 人に迷惑をかけたら謝罪するのがスジだと思うけど』

「…………」


 その通りだ。

 それが人の世の道理で、道徳だ。

 だからこそ親父は、深空白斗は最低で最悪なんだ。


『……ごめんなさい。嫌味を言いたかったわけではないの。けど……』

「いや、いいよ。言わずにいられないことってのもある……」

『……そうね。言い訳になるけれど……母はここ最近はだいぶ落ち着いていたのよ。だから、わたしも少し油断してた。まだこんな行動に出るほど参ってたなんて……』


 ……いや、たぶん、深空白斗の手掛かりについて知ったのが直接の原因だと思う。けど、それをここで告げても良いものか……。


 判断に迷っている内に、登河さんが謝罪を繰り返す。


『……とにかく、ごめんなさい』

「……いいよ。というか、謝られる方が困る」


 だってそうだろ?

 こんなの、腹の中は絶対に煮えくり返ってるだろ? 何で憎い相手に頭下げなきゃならないんだ……ってさ。

 少なくとも、こちらはそう邪推せずにはいられない。

 もちろん、そんなこと口に出せない。けど、出さなくても察するのは易いだろう。そして、察したってことは、つまりそういうことだ。


『……そうね。心にもない謝罪なんて、お互い気マズいだけよね』


 諦観めいた乾いた声音。

 抱いたイラ立ちと憤怒を懸命に抑えた声音。

 そういうのはイヤでもわかる。俺は周囲から散々に向けられてきたし、自分自身でも散々に吐いてきたものだから。


『……頭ではわかってる。理屈も承知してる。悪いのはあのイカレた籠城犯の男。でも、深空白斗が余計なことさえしなければ、お父さんは死なずに済んだはず……』


 そう思わずにはいられないのだろう。

 そして、そう思うのが当然だろう。


『……謝られたってお父さんが生き返るわけじゃないし、本当に謝罪するべき犯人はとっくに死んでるし……。けど、だったら、私のこの感情はどうすればいいの? どこに向ければいいのかな?』


 ヤリ場のない負の感情。

 ねじ伏せ抑え込むほどに、むしろ強く大きくわき上がるそれをどうにもできず、どこかに吐き出さねば自分が弾けて壊れてしまいそうで……。


『……憎むべき相手はもういない。ぶつけるべき相手も逃げ出した。だからね、今もまだそこに居る貴方に、八つ当たりせずにはいられない』


 淡々とした告白。

 あるいは、戌亥刑事の無機質なそれも同じことなのかもしれない。


 だから、もう本当にヒドい話だ。

 悪いのは全部親父で、俺は悪くない。

 全くもって、俺に非などあるわけがないってのに……。


 それでも────だ。


「すみません……俺の父のせいで……本当に、すみませんでした」


 俺はいつものように、いつも繰り返してきたように、謝罪する。


『……言ったでしょう? 謝られたからって、お父さんが生き返るわけじゃないわ。まして、心にもない謝罪なんて気マズいだけ……』


 それでも────。


『それでも……ええ、そうね。謝るしかないものね。他には、どうしようもないもの……』


 本当に……。


 謝って赦してもらえるのなら、苦労はないのだった。


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