第29話 詐欺師は詐欺師らしく
抜き身の日本刀を持った男と向かい合う。
こちらは両手を挙げて降参体勢だが、正直、そんな意思表示はどれほどの意味もないだろう。
足もとには怯えてうずくまる人質の皆さん。
傍らには俺を見上げているカグヤ姫カットの少女。
「……み、深空……くん……?」
かすれまくった声。その涙に潤んだ鋭い双眸が〝何をするつもりなの!?〟と詰問しているようだった。
……本当に、俺は何をどうするつもりなんだ?
イカレた殺人鬼に、居並ぶ怯えた人質。
そういう状況では、絶対に余計なことはしちゃいけない。
ヘタに逃げ出そうとしたり、ましてや、無謀にも犯人に挑んだりなんかしてはいけない。
深空白斗のような愚行は、絶対にやっちゃいけないんだ。
けれど……。
何もしなければ、傍らの少女は斬られていたと思う。
このヒデという男は斬る。容赦なく斬る。
そう思った。
だから、こうして注意を引いて妨害した。
……けど、それで、この後どうする?
「……えー……っと……」
必死に思考を巡らせる。
外にいる警察からのアプローチはまだない。
中の様子をはかりかねているのだろう。もう少し時間が掛かるか?
何とか時間を……そう、時間を稼ぐんだ。
警察が動くまで、とにかく時間を稼ぐしかない。
……どうやって?
一般人の俺が、フィジカル最弱でケンカの腕は小学生レベルな俺が、どうやって日本刀持った男とやり合えばいいんだ?
「何だよ? 言いたいことあるなら早く言えよ! 斬るぞ!」
ヒデがイラ立ちもあらわに声を荒げる。
言いたいこと言えだって?
……ああ、そうだな、とりあえず訊きたいことはある。
「……あの、外の警官って、銃持ってると思うんだけど。刀で勝てるんですか?」
引き攣った笑顔ながらも、問うてみた。
この男は警官を斬り捨てながら逃げると言っていた。だが、普通に考えて無理ゲーだろ?
刀じゃ銃には、まして多勢を相手じゃ勝てるわけない。
だが、ヒデはつまらなそうに口を尖らせた。
「ああ? アホだなオマエ。日本の警察は威嚇射撃しかしねえよ。こっちも銃持ってるならともかく、マジで当ててくるわけねえっての」
自身満々で断言する犯人様。
……マジかコイツ。浅はかにもほどがあるだろ。
「……そ、そうなんですね。……けど、アナタはここで俺たちみんなを斬り殺してから出て行くんですよね? こないだテレビで見たんですけど、日本だと三人殺したら死刑とか……なら、そんなに殺したアナタは、撃たれまくったりしないですかね?」
「……あぁ? ……そりゃぁ」
微妙に表情を顰めるヒデ。
実際には刀振り回してる時点で普通に手脚を撃ち抜かれると思う。
だが、殺さなければ撃たれないと思わせた方がいいだろう。
ともかくコイツに〝この場にいる人間は斬らない方が良い〟……と、そう思わせ、かつ、逆上させずに会話を継続するのが肝要だ。
そのためには────。
……クソ、ウザったい。
脳裏に、クソ親父の顔がチラついていた。
一瞬でも、二年前の親父はこういう状態だったのか? とか、考えてしまったのだ。
そんなわけがない。アイツは、きっと率先して、自ら望んで、ヒーロー気取りで犯人に挑んだに決まってる。
……けど、だからって俺の方がマシだってわけじゃない。
むしろ、曲がりなりにも
この場を制しきれる可能性は、圧倒的に低い。
〝……説得のコツは、まず第一に相手の興味を引くことだ。話を聞いてもらえなければどうにもならない。
次に、喋りのトーンとリズムを一定に保つことだ。慌てず、淀まず、同じ調子で語る。
そして〝違う〟とか〝ダメ〟とかの否定の言葉を使わない。使わずに、その上で、相手の意思からこちらの意に沿わない部分を否定するんだ〟
俺は焦燥に奥歯を噛み締める。
頼るべきが、あのクソ親父の教え。それしかない現状に、それしかないのだと思い知っている事実に、堪え難くて脳髄が軋む。
詐欺師の息子は、やっぱり詐欺師か……!
脳髄と腹の底に渦巻く黒い感情……けど、今はそれをねじ伏せる。
ゆるりと息を吸い、言葉を操ることに集中する。
「……さすがに、拳銃で一斉に撃たれたら勝つのは難しいですよ」
声が上擦らないように、喋りが乱れないように、ともかく平坦で落ち着いた口調を意識しながら語りかけた。
ヒデは思案げに眉根を寄せる。
「…………じゃあどうすんだよ?」
それを今さら他人に訊くな! ……と、言い返したいのを呑み込む。
「このままここに籠城して、俺たちを人質にして警察と交渉したらどうですか? 人質を解放して欲しかったら逃走用の車を用意しろ……ってヤツですよ」
「あ? イヤだよそんなベタなマネ、ダセェよ! だいたい、それじゃあ斬れる人数が少なくなっちまう。オレは大勢斬りたいんだよ!」
イカレ野郎が────。
「……だからって、ここで捕まったり、撃ち殺されたりしたら、そこで終わりでしょう? 生き延びれば、もっと斬れますよ。たくさん、たくさん、斬りまくれますよ?」
「いいんだよ……先のことなんてどうでもいいんだ。今、ここで終わりでいい。とにかく、大勢斬って、斬りまくって、そんで死ぬんだ。ハハ、そういうの、カッコイイだろう?」
「カッコイイ……ですか?」
「ああ、まさに
「……死ぬのは、ちょっと……その、何というか……イヤじゃないですか? ある意味、負けってことになるんじゃあ……」
理屈を模索し、言葉を選別する。
この狂人が納得できる形に、狂気の注意を引ける内容を、どうにか組み上げようとする。
けど────。
「何言ってんだ? 負けじゃねえよ。カッコ良く死ぬのは負けじゃねえ。単に死ぬだけってのはダセェけどな。ダセェのはゴメンだ。絶対イヤだ。だからオレは、斬るだけ斬って、カッコ良く死んでやるのさ! ハハ、そういうのって、すんげえイケてんだろう?」
「…………」
……あー、やっぱりだ。
深空白斗、クソ親父……やっぱりアンタはバカだ。
こんなイカレた連中を、どうやったら説得できるなんて夢見たんだ?
こんなイカレた連中を、何で守ろうなんてしたんだ?
イカレてる。
そうさクソ親父、アンタもイカレてる。
イカレたヤツが、イカレたままに、イカレたマネをしてるだけ……。
本当に、そんなのはもうウンザリだ……ッ!
「……そんなにカッコ良く死にたいんなら、今すぐ外に飛び出せばいい」
俺は声のトーンを低く、威圧を込めて投げかける。
楽しげに笑っていたヒデの表情がヒクついた。
「…………何だと?」
睨みつけてくる眼光。
その濁った双眸を真っ直ぐに見すえて、俺は口角をツリ上げた。
「俺を人質にして、外に出ろ。俺を盾にすれば、警察もウカツに発砲できない。近づいて取り押さえようとするしかない。斬り合えるぞ? お望み通りだ。好きなだけ斬りまくれる」
「…………」
「ここにいるヤツらは縛り上げて転がしとけばいい。それを助けるのに、警察は人員と時間を割く、一度に相手取る数を減らせる。何より、こうしてビビッてる連中を斬り殺すのはダセェよ。最悪にダセェ」
せせら笑うように声音を震わせれば、ヒデはこめかみをピクピクさせて眼を見開いた。
こちらを睨みつけてくるその濁った双眸を、俺は真っ直ぐに見返して、ミリも視線をズラさぬままに、ゆっくりと後退る。
……避けるべき最悪は、親父と同じ
そのために……。
「斬るんなら、カッコ良くだ。だからアンタの言う通り、襲いかかってくる警官どもを斬り伏せまくって駆け抜けるのがいい。その方が断然にカッコイイぜ」
見くだすように、嘲るように、わざと神経を逆撫でた口調と仕種。
ヒデは全身をブルブルと震わせながら、間合いを詰めるように一歩、足を踏み出してきた。
「…………テメェ……」
怒気に濁った声。
ムカついてるな? 俺のことが腹立って仕方ないか?
俺はなおも挑発する。
「何だ? どうした? 行かないのか? 早くしないと警察の方から踏み込んでくるぞ? いや、先に投降を呼びかけてくるだろうな……〝人質を解放して大人しく出てきなさい〟……ってな」
俺は視線だけは絶対に逸らさず、次々と言葉を吐いて煽りながら、少しずつ少しずつ、立ち位置をズラしていく。
ヒデは眼光を憤怒で揺るがせながら、さらに一歩足を踏み出した。
すでに二歩踏み込んだのに、互いの間合いは変わっていない。
「なあ、どうしたんだよ? 早く外に行こうぜ? 呼びかけられてから出てくってのは、ダセェだろ? 行くならこっちから討って出なきゃな」
大仰に肩をすくめて見せ、ことさらに頭を揺らしながら、それでも視線だけは真っ直ぐにヒデの双眸を見据えて離さない。
「ダセェのはダメだよ。出て来いと言われてからスゴスゴ出て行くとか、本気でダセェと思うぜ。そして、出て来いって言われてんのに閉じこもるのも同じくダセェ。そんなダセェことを、イケてるアンタがしちゃあいけない。そうだろう?」
「…………う、うるせぇ……!」
「うるさい? 何が? 俺はただ、ダセェもんをダセェって言ってるだけだ。アンタと同じだろ? 声も荒げてない。普通に話してる。それの何がうるさい。そもそも何でアンタは動かない」
「…………うるせぇ……! うるせぇッ!」
「外に出るのが怖いか? 撃たれるのが怖いのか? ビビって怯えてうずくまってるヤツしか斬れないのか? 何だそれ? ビビッてんのはどっちだよ。……アンタ、かなりダセェな」
「うるせぇ! 黙れよオマエ! 騒いだヤツは斬る! それがルールだって言ったぞ!」
「なら、さっさと腹でも切れよグズ。率直に言って、さっきから騒いでるのはアンタだけだぜ」
「うるせえぇぇぇーッ!! もう死ねェこんクソがよぉッ!!!」
逆上のままに吼えるヒデ。
その憤怒に濁った双眸は、なお真っ直ぐに俺だけを睨んでいる。
俺だけを視界に捉えたそのままに、ついに刀を振り上げてくれた。
殺意に狂ったイカレ野郎。
そんなのを説得なんて無理だ。ねじ伏せる腕力もない。
だから後はもう、騙くらかして
踏み込み斬り込んでくるヒデ。
同時に、俺は屈み込むように膝を曲げた。
ヤツの手の長さ、持っている刀の長さ、踏み込む間合い。俺の最初に立っていた位置、移動した距離、そして、背後に空いているはずの距離。
合っているはずだ。大丈夫のはずだ。
だから後は、このイカレ野郎が、逆上のまま力任せに刀を振り下ろしてくれれば……!
あやまたずに大上段から放たれた一刀。
力み乱れたその無様な太刀筋は、屈んだ俺の頭上で甲高い音を立てた。
「……痛ッ!? あ? ガラス!?」
ヒデの濁った呻きと、ガラスが砕け散る音。
俺のすぐ背後は狙い通りに見本品のショーケース。強化ガラスと金属材で組まれた無駄に頑丈そうだったそれは、衝撃にひしゃげながらも、振り下ろされた刃を見事に防いでくれていた。
だが……。
……クソッ! 折れてないのか!
俺は立ち上がり身をひるがえす刹那、ヒデが刀を引き抜くのを見て歯噛みする。刀は刃筋が立ってなきゃ脆いっていうし、雑に打ちつければ折れると思ったのに!
想定外……それでも、大きくスキを衝くことはできた!
俺は出入り口に向かって全力で走り出す。
正面の自動扉。
俺が電源を落とし、ブラインドを下げたその時に、サモターン錠は回すフリだけをした。
だから自動扉に鍵はかかっていない。手が届きさえすれば開けられる。
入口を開ける。
そうすれば、外の警官が動いてくれるはずだ。あるいは、そのまま俺が飛び出せば、頭に血が上っているヒデも後を追ってくるかもしれない……いや、さすがにそこまでバカじゃないか?
ともかく、この機を逃せばもう……!
大きく踏み込んだ俺の足が、ズルリと滑った。
伸ばした右手はギリギリ届かぬままに空をつかむ。
マジかよ、ここで転けるかオレ……!?
フィジカル弱いにもほどがある。
そのまま無様に床に倒れ込めば、ドロリとぬめった赤黒い液体の感触。
血だ。
あのニット帽男のこぼした血が床をぬらしている。これに足を取られたのか……!
「ヒャハ!」
引き攣れた笑声とともに、俺の脇腹を衝撃が突き抜けた。
蹴られたのだろう。
仰向けに転がされながら見上げれば、歓喜とイラ立ちの入りまじった歪んだ貌で見下ろしてくるヒデの姿。
「ざーんねーんでしたマヌケヤロー! さんざん吹いといてトンズラとかするからだ、ザマーねーな!」
青スジをピクつかせながらも、実に嬉しそう。
……ああ、確かにざまあない。
けど、
時間は稼いだ。
コイツの殺意も執着も俺に集中できた。
後はコイツにしがみついて、ギリギリまであがいてもがいて、少しでも時間を稼いでみるか……?
起き上がろうとして、だが、ヒデに再度蹴り倒される。脇腹に数発、さらに
激痛と衝撃に全身が軋む。それでもどうにか起き上がろうともがいたものの、思いっきり胸元を踏みつけられて床に押し止められた。
ヒデが高らかに
手脚はもうロクに動いてくれない。吐き気と苦痛の中で視線を巡らせれば、向こうでへたり込んでいる姫カットと眼が合った。
視界が少しぼやけて表情は良く判別できない。怒ってるんだろうな。それともあきれてるかな?
何にせよ、無様にしくじったのは申し訳もない。
だから、
「ごめん……」
謝る以外にどうしようもないから、とにかく笑顔で謝った。
ここで平然と笑顔を作れるあたり、やっぱり俺は深空白斗の息子なんだろう…………本当、ウンザリする。
自嘲と自責のままに天井を仰ぐ俺に、刀を振り上げたヒデが眼を血走らせながら吼えた。
「そんじゃあ、そろそろブッ殺す!」
……そこは〝ブッた斬る〟にしろよ。
俺があきれの溜め息をこぼした。
瞬間────。
ガラスが砕ける甲高い破砕音とともに、高速で回転する何かが横合いから飛来し、ヒデの上半身を直撃した。
「……ぐかッ!?」
激しく仰け反って怯むヒデ。
飛来した円形の何かが、ガラランッと重い金属音を立てて床に落ちる。それと同時に、砕けた入口から疾風のように飛び込んできた人影が、うろたえるヒデの腕をひねり上げて刀をもぎ取り、そのまま背負い投げた。
金色の流線が、弧を描いて煌めく。
それは以前にも憶えがある光景。
あの時もそうだった。刺されそうになった俺を、彼女は颯爽と助けてくれた。
床に叩きつけられたヒデが、乱入者を見上げて困惑を叫ぶ。
「……なッ! 何だオマエはッ!?」
「〝母〟だッ!!」
凛と鋭い声が店内に響き渡った。
真っ直ぐに即答で言い切られたそれに、問うたヒデはもちろん、人質の皆さんも呆然と。
「外道が、よくもわたしの可愛いアオツグを……!」
ゆらりと怒りのオーラが見えるかのような低い声音。床の
「制裁ッ!」
振り放たれた強烈なシールドバッシュが、うろたえるヒデの横っ面を張り飛ばす。
響いたのは、寺の釣り鐘でも
ヒデは衝撃にもんどり打って壁に叩きつけられ、そのまま白目を剥いて崩れ落ちた。
相変わらず、スパルタ戦士ばりに強烈な盾捌き。
……やっぱ、母ちゃんは怒るとオッカネぇな。
俺は思わず苦笑った。
「アオツグ!」
振り向き呼びかけてきたアルル、その顔は寸前までの迫力が消え失せた、今にも泣き出しそうな切羽詰まった顔。
駆け寄ってきた彼女は、問答無用に抱き締めてきた。
ギュッと力を込めて、俺の存在を確かめるように強く抱き締めてくる。
「アオツグ! 無事か? 無事なのだな?」
「ああ、大丈夫だ……」
「……あぁ……」
深い、深い、安堵の呟き。
「……良かった。アオツグ、本当に……!」
アルルは何度も頷きながら、改めて俺を抱き締めてくれたのだった。
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