第44話 迷子の迷子のアルルさん


「しかし、それは無謀なのではないだろうか?」


 アルルの深刻な惑いに、対する和装の婦人は双眸を鋭く細めた。


「だからといって、手をこまねいていては、前には進めません。貴方は、大切な者のために身命を捧げると決めたのでしょう」


 冷ややかなまでに厳しい指摘。

 アルルは強く唇を引き締め、ゆっくりと首肯を返す。


「……うむ、わたしはアオツグを守る。その為に存在している」

「なら、その為に牙を剥くことを、ためらってはいけません」

「そう……それは、その通りだ。了解した。わたしは、わたしの信じた道を進んでみる」

「よろしい。覚悟ある決断は必ず未来に繋がります。例えこの選択が望み得る結果に届かずとも、選び進んだその意思は気高く素晴らしい。さあ、存分にやりなさい」

「うむ!」


 並び立つふたりの姿は、何やら鬼気迫るほどに真剣で…………えーと、何だか妙な雰囲気だが、いったい何をしているんだ?

 

「アルル、何かあったのか?」

「あ! ちょうど良いところに来てくれたアオツグ。今、料理を試作しているところなのだが、味を見てくれないだろうか?」


 途端に、輝く笑顔のアルルさん。

 あー……そう、料理ね。まあ、そうだよな。ここが台所で、鍋を前にしてるんだから、それが普通だよな。


 ……だったら、さっきのみなぎる緊迫感は何?


「食は全てのかなめ。それに真剣に向き合うことは、当然にして必然です」


 疑念に応じたのは、アルルの傍らに立つ和装の婦人。

 セミロングを結い上げ、品良くも威圧的なたたずまいをした彼女の名はかえでさん。頼堂さんの奥さんで、つまりは賢勇のお母さん。


「料理は女の仕事……などと決めつけるのは古臭い悪習。しかし、炊事を預かるのが大役であるのは事実です。ならば、それを担おうという彼女の決意は、讃えるべきもの。私は同じ大役を担う者として、その決意に真剣に応えているに過ぎません」


 何か問題でも? ……と、こちらを見る楓さん。決して睨んでいるわけでもないのに圧力が半端ない。それは登河さんのクールアイズが涼しげに思えるほど、さすがはリアル極妻の貫禄だ。


 それに比べて、横に居る自称・騎士様の何と〝ゆるふわ〟なことか。にっこり柔らかな笑顔で、手にした小皿を差し出してくる。


 これは、味噌汁だな。

 約束通り、早速に頑張ってくれているわけだ。何か微妙に面映ゆいけれど、とにかく小皿を受け取って味わってみる。


「どう……だろうか?」


 いつかに同じく、少し弱気な上目遣い。初めて作る料理だから不安なのだろう。けど、それは杞憂というものだ。

 彼女の作る食事はいつだって美味しい。それこそ、最初のコンソメスープだけが例外で……いや、アレだって知識無しの急拵えだったことを思えば、決して悪くなかったと思う。

 この味噌汁だって……ああ、やっぱり美味しい。

 だから俺は、ゆっくり味わいつつ、素直に感想を返す。


「美味しい」


 ……いや、素直なら良いってもんじゃないんだよ。


 本当、いつも通りヒネりが無いっていうか、味気ない感想だ。もっとちゃんと伝えないと、作ってくれたアルルに悪いってもんだ。

 俺は内省しつつ、改めて感想を言い直す。


「えーと……味の濃さがちょうど良くて、その、すごく美味しいぞ」


 うん、全然ダメだ。


 そもそもコンポタの感想とほぼ被ってるし、これじゃあ紅姫の〝うまいサイコー〟を笑えない。むしろテンション低い分、あきらかに俺の方がダメダメだ。


 決して味に不満なんか無いし、むしろ大満足で、言葉通りにすごく美味しいって感じてる。だからこそ、もっと気の利いたこと言わなきゃと思うんだけど……それをどう言葉で表現すれば良いのかわからない。

 何だろうな、語彙力低いつもりは無いんだが……何でか、こういう時には全然言葉が見つからない。


「ふふ、大丈夫だアオツグ。ちゃんと通じている」


 ふわりと蕩けた笑みで頷いてくれたアルル。


「最近、わかってきた。貴方は、感動している時ほど言葉に詰まってしまうようだ」


 母はお見通しだぞ……って感じで得意げに胸を張る。


 あー……そう……か、言われてみれば、自分でもそんな気がしないでも無い。確かに、理詰めで計算した台詞じゃなく、心に感じたことを言葉にするのは苦手……というか、慣れてないのかも知れない。


「それに、満足している時のアオツグはとても幸せそうな顔をしてくれるからな。何も言わなくともわかるぞ」

「……そんな顔してるか?」

「うむ、ベニヒメが〝うまいサイコー〟と喜んでいる時にそっくりだ」


 マジで?

 あんな脳天気にゆるんだ表情になってんのか?

 我が妹分には悪いが、かなりショックだ。


「とにかく、美味しいなら良かった♪ 少し味付けに迷っていたのだ」

「迷ってたのか?」

「うむ、アオツグなら、まろやかな白味噌よりも、コクのある赤味噌を好むだろう? けれど、いざ作ってみたら、少し味が強い気がしてな。白味噌を合わせても見たが、思った味にならなくて…………それで試しに、ほんの少しだけコレを入れてみたのだ」


 やや気恥ずかしげに差し上げたのは、クリームシチューの粉末ルーだ。

 確かに、味噌汁にシチュールーってのはイメージ違うっていうか、少なくとも俺は聞かないな。

 調理法を試すのに、牙剥く覚悟を決めるのは、もっと聞かんが……。

 思わず遠い目をする俺に、対するアルルは穏やかに笑う。


「さすがに無茶な組み合わせかとも思ったのだが……気に入ってくれたなら、良かった」


 安堵の吐息。彼女の白い手が、俺の頭をゆるりと撫でてくる。

 その優しい感触に、俺も安らぐ思いで静かに吐息をこぼした。何だかいつにも増して気恥ずかしいのは、目の前のアルルの笑顔が、あまりに幸せそうに蕩けているからだろうか……。


 ……いや、違うな。隣で楓さんがガン見してるからだな。

 

「………………」


 冷ややかに黙した楓さん、その眉根はハッキリと寄っている。

 う……、こりゃ相当にあきれてるか?

 高校生にもなって頭撫でられて喜んでる姿は確かに情け無い。ましてや、楓さんは昔から自分にも他者にも容赦なく厳しい人だ。


「アルル、あのな……」

「ん……? あ! すまない! 貴方があまりに可愛らしかったから、つい撫でてしまった」


 アルルはハッと慌てて手を離す。

 あまり人前でベタベタするのは無作法だ……と、以前に言って聞かせていたゆえだ。彼女は、元より俺を困らせるのは本意では無いと、ものすごく渋々そうながらも了承していたのだ。

 もっとも、その反動とばかりに、人目が無いところではさらにベッタベタになったが、それは仕方ない……………………うん、わかってるから、仕方ないってことにしといてくれ。


 ……ともかくだ。


 それ以降は人前でのスキンシップは控えてくれていたんだが、まあ、料理が成功して嬉しかったんだろう。

 俺が可愛らしい云々って部分には全力で物申したいものの、けど、眼前でいかにも寂しそうにシュンとうつむかれると……その、ちょっと罪悪感というか、だな……。


「……えっと、あのなアルル、その……」


 俺はどうフォローしたものかと、うろたえまくっていたら────。


「なるほど、確かに可愛らしいですね」


 凜と響いた楓さんの声。

 見れば、いかにも得心したという晴れやかな微笑で頷いている。


小癪こしゃくにヤサグレた碧継が、これほど素直な反応を見せるとは思いませんでした。アルドリエル、母性的慈愛という面では、私は貴方に学ぶ点が多いようです」


 小癪にヤサグレた……て、否定はできんけど。


「我が子、賢勇は前田組の跡取り。それに相応しき器となるべく、常に重く厳しく接してきましたが……どうやら、私は間違っていたのかも知れません」


 いっつもクールに引き締めていた無表情を、穏やかにほころばせた楓さん。それだけ見れば良いことなんだが、問題は、その笑顔がいかにも〝エウレカー!〟って感じの悟り顔な点だ。


「私も、我が子を存分に甘やかしてみたくなりました。あのニヒルぶった賢勇がどのように反応してくれるのか……ふふ、早速に試してみるとしましょう」


 ……訂正、普通に悪巧みしてる顔だなこりゃ。


「それでは、私は失礼します。貴方たちはそのままイチャつくなり、家路に着くなり自由にしなさい。何なら泊まっても構いませんよ。積もる話もあるでしょう」


 という何ともオッカナイ表情で、颯爽と台所を出て行く楓さん。


 積もる話……それは確かに、積もり積もっている。


 それを承知しているからこそ、楓さんはあえて席を外してくれたんだろう。……と、思う。もしかしたら、本気で賢勇をイジリに行ったのかも知れないけどな。

 俺は親友の無事を祈りつつ。


「アルル」

「ん? 何だアオツグ」


 呼びかければ、いつもの優しい笑顔が返る。

 俺は意識して深呼吸をひとつ。


「……ちょっと、大事な話があるんだ」


 意を決して切り出せば、アルルは「ああ」と、苦笑気味に小首をかしげた。


「私が学校に出向いた件だろう? あれは────」

「……いや、それも大事だけど、今は別の話だ」


 やや強い声音でさえぎった。

 アルルも深刻さを察したのだろう。表情を引き締めると、こちらの眼を真っ直ぐに見つめ返してくる。

 真剣に強張った表情。何かに身構えている風に見えるのは気のせいか?

 いや、この状況なら身構えるのが当然だよな。


 俺は、もう一度深呼吸を挟んだ。


「オマエが持ってた鎧や剣について、色々とわかったことがある。……つまり、オマエの記憶の手がかりだ」


 まずは、遠回しに前振った。

 ……のは、良いんだけど、こっからどう話を繋げたもんかな。

 素材構成を並べ立てたって意味は無いだろうしなあ。まあ、わかっている情報なんて、そもそもから少ないんだ。とにかく、反応を見ながら順に話していくしかないよな。


「こないだのケータイショップで、オマエが叩きのめしたカタナ男、憶えてるか?」

「いや……あ、ああ憶えているぞ。アオツグを傷つけた不届き者だ。忘れるわけがない」


 ハッキリと憤慨を込めた返答だった。

 俺を害した相手に対しての率直な怒り、そんな彼女の態度に、つい嬉しくなってしまう。けど、同時に違和感があった。


 何だ?

 今、出だしで言い淀まなかったか?

 気のせい……か。


 眼前には、相変わらず真っ直ぐにこちらを見つめてくる青い瞳。真剣に応じようと気張ってくれているのが良くわかる。なら、そのせいで喋りが力んでしまっただけかも知れない。


 俺の方が、少し過敏になってるかもな。


 俺は軽く咳払いで意識を締めつつ。


「クナカセ・ヒデヒサって名前に、心当たりはあるか?」


 あのカタナ男の名を、訊ねてみた。


 アルルは、その視線をそらすことなく、真剣な面持ちのまま。

 しばし、思案げに沈黙を挟んでから、ゆっくりと唇を動かした。


「知らないな。それは誰だ?」


 アルルは、静かにそう答えた。


 俺は────。


 俺は微笑を浮かべて、頷いた。


「……あのカタナ男が、そう名乗ったらしい。けど、少なくとも警察が調べた範囲じゃあ、そんな名前の人物は居ないようなんだ」


 戸籍上にクナカセ・ヒデヒサは存在しないらしいこと。

 それから、アイツの持っていた刀の素材と製法が、アルルの装備と共通していること。そして、二年前に深空白斗が関わった事件の犯人も、同じく身元不明であったこと。

 それら現時点でわかっている情報を、ゆっくりと噛み砕いて説明した。

 アルルは、その全てに真剣に、真摯に聞き入っていたが、やはり、それらの全てに心当たりは無く、思い出したことも無いと応じた。


「……すまない、アオツグ」


 ジッと見つめていた青い眼差しを力無く伏せて、アルルは謝罪した。

 苦しげな声、引き結ばれた唇、そっと肩に触れてみれば、彼女は微かに震えていた。


 だから────。


「良かった」


 俺は意識して深い安堵を込めて、そう言った。

 アルルが顔を上げる。その表情は、驚きと疑念とが半々といった様子だったが、そんな素の反応に、俺は改めて安堵を抱いた。


「急に記憶が戻ったら、そのショックで倒れたりするかもって、不安だったんだ。それに、もし、記憶が戻ったら……オマエが出て行っちゃうんじゃないか……って、そんな心配もしてた」


 我ながら情け無いよな……と、肩をすくめて苦笑う。

 途端に、アルルは相好を崩した。寸前までの張り詰めた気配をふにゃりと溶かして、やわらかな抱擁で俺を包み込んでくれる。


「無意味な心配だ。約束したろうアオツグ。わたしはどこにも行かない。ずっと貴方のそばに居る。ずっと貴方を守る。わたしは、貴方の母なのだから」


 耳元に囁かれた優しい誓い。

 いつかに同じ、いつもに同じ、あたたかな言葉。

 けれど、抱き締める腕の力はギュッと強くなり、苦しいほどだった。それはきっと、今この時の不安を消し去ろうとしているのだろう。


 大丈夫だ。

 彼女は、そばに居てくれる。

 そこが確かであるなら、それで良い。

 

 アルルは言った……〝知らないな。それは誰だ?〟……と。


 記憶を無くしているはずの彼女が、と首をかしげるのではなく、と言い切った。


 その上で、? と続けた。あの流れなら、それがあのカタナ男の名だと容易に察しがついただろうに……。


 ただの言葉の綾か? いや、彼女は終始、真っ直ぐに俺の眼を見つめながら、一瞬でも眼をそらせば疑われてしまうとばかりに、ガチガチに緊張しながら応じていた。


 のだろう。

 けど、それはのようだ。


 なら、構いはしない。


 アルルが、さらに強く抱き締めてくる。その抱擁はあたたかく、やわらかで、けれど、どこか危うく、微かに震えていた。相手を包み込むのではなく、まるで、救いを求めてすがりつくように……。


 それはあの勉強会の時と同じ、悲壮で必死な抱擁。だから、そう、問題があるとすれば、やはりそこなんだ。


 アルルは俺を守る。俺を守ることで、彼女は安らげる。

 そのために、彼女が心穏やかに俺を守り続けられるために、それを妨げ脅かすものは、取り除かねばならない。

 改めて、俺はそう心得たのだった。







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