第39話 マザコン兄妹の微妙な関係
以前に寝坊した時と違い、バス停に着いた時間はいつも通りだった。
アルルが起こしてくれたおかげだ。本当に助かった。全力疾走はキツイし、またバスを待たせては運転手さんに申し訳ないし、そもそも待ってくれるとは限らない。
改めて、アラームの確認は徹底しようと反省しながらバスに乗り込む。
定位置である最後部の席に向かえば、そこには見慣れた武士ポニーが笑顔で待ち構えていた。
「おはようアオ兄!」
元気良く声を上げてブンブン手を振ってくる。他に乗客がいないからいいが、相変わらず恥ずかしいお子様だ。
「おはよう。朝から無駄に元気だなオマエは」
あきれ半分で挨拶しながら、右側の窓際に腰を下ろせば、紅姫はそのすぐ隣に座ってくる。
こうして最初に隣合うのはいつものことだが、今日の紅姫はそのままピッタリくっついてきた。
「……何だ?」
「何でもない。甘えてるだけだ。いいだろ? 兄妹なんだから」
ニシシシと無邪気に笑う紅姫。
まあ、別にコイツが甘えてくるのは珍しいことじゃない。むしろしょっちゅうまとわりついてきてる。ただ、最近は甘える対象がアルルに移っていたせいもあり、俺にくっついて来る頻度は減っていた。
ここしばらくは、こないだの勉強会と、後は四之宮商店でアルルとふたりがかりで挟まれた時くらいか?
俺の左肩に頭を預けるようにして寄りかかっている紅姫。
相変わらず、雑な手入れの髪だ。せっかく元は悪くないんだから、コイツももう少しオシャレやら化粧やらに興味を持っても……。
などと思っていたんだが、何だ? 何だか紅姫からいつもと違う良い匂いがするな。いや、いつもは嫌な匂いがするって意味じゃないが。
改めて良く見れば、紅姫の顔色は常より鮮やかだ。眉や目許のラインも際立っているし、薄い唇はリップグロスでも塗ってるのか、妙に艶めいている。
「……オマエ、化粧してるのか?」
「うん、してる! 変か?」
ニッコリ問い返される。
別に変ではない。化粧というより肌の手入れのレベルだし、今時は小学生だってこの程度はやってるだろう。それに、もともとコイツはそれなりに美少女さんだ。
「別に変じゃない。ちゃんと可愛いくなってるぞ」
「そっか! ニシシシ♪」
褒められたのが嬉しいのか、さらにまとわりついてくる。
まあ、楽しそうで何よりだ。ガサツなコイツも少しは成長してくれていると思うと、兄として喜ばしい。
けど……。
今までリップクリームすらロクに塗ってなかったお子様が、何で?
そこのところが、少し気になる。
「何で急に化粧したんだ?」
「何言ってんだよ? アオ兄が、こういうの少しは気をつかえって言ってたんだろ? だからちょっとガンバってみた! 自信なかったけど、可愛くなってるなら、よかった♪」
紅姫は照れ臭そうに笑いながら、俺の腕を抱えるようにしてグイグイ引っ張りまくる。ニコニコ楽しそうに燥ぐその様子は。いつも通りと言えば、いつも通りの紅姫だ。
無理に燥いでいる……って、わけじゃないよな?
確認するように、俺は紅姫の頭を優しく撫でた。
雑なポニーテールに結われた髪。けど、いつもより滑らかで艶やかに感じたのは、言う通り、手入れに気を使い出したのだろう。
「ニシシシ♪ 兄とは、妹を無限の愛で甘やかす者だ。だから、もっとなでれ~♪」
それはアルルの真似か?
ぜんぜん似てないが、ちょっと面白かった。なので、要望通りに撫でてやる。紅姫は心地良さそうに眼を細め、身を寄せてきた。
そうしてじゃれついてくる様子は、やはりいつも通りの紅姫……なら、俺の杞憂か? ガキだと思ってた妹の変化に、兄として戸惑ってるだけかもしれない。
「むぅ……アオ兄から、焼きジャケとゴマ油とアル姉の匂いがする……」
まとわりついていた紅姫が鼻をヒクつかせて呟いた。
確かに朝食は焼き鮭とホウレン草のおひたしを食ったし、寝起きにアルルと急接近してたけども、犬かオマエは……?
「ズルいぞアオ兄! また自分だけアル姉に抱きついてきたのか!」
「誤解だ。確かに何度も抱きつかれてはいるが、自分から抱きついたことはない」
抱き締め返したことなら二回あるが、ともかく、いつもアルルに甘えてるみたいに言われるのは、兄として遺憾だ。
「いいよなあ、アオ兄はいつでもアル姉に甘えられて……」
「オマエだって、いつでもウチに来て甘えればいいだろう」
いや、俺は別に甘えてないけどね?
ともかく、紅姫が甘えれば、それこそアルルは喜んで甘やかしまくるだろう。彼女にとっては、紅姫は可愛い娘らしいからな。
「んー、でもオレ、赤点とか補習とか、あんまりイイトコ見せれてないからさ…………ちょっと、会わせる顔がない」
ややモジモジしながらの紅姫。コイツにしては難しい言い回しだ。
しかし、勉強会以降ウチに来ないと思ってたら、そんなこと気にしてたのか。
「別に赤点取ったからってアルルは怒ってないだろ。まあ、叱られるかもしれんけど。実際、オマエが来ないの寂しがってる」
「ほんとか?」
「本当だ。オマエのためにカレーも作ってたぞ」
「カレー!」
嬉しそうに眼を輝かせる単純な妹君。
「まあ、今朝からは俺の独断で、味噌汁修行を優先してもらったがな」
「みそ汁!」
どっちにしろ嬉しそうだった。コイツにとって、チャーハンとカレーと味噌汁は、母が神に至るための三種の神器らしいからな。
「ああ、でもなあ……どうせなら、ほめてもらいたいじゃんか……!」
「何でそんなにこだわる?」
「アオ兄にはわかんないんだ。いっつもアル姉にほめられてるもんな」
ジットリと上目づかいで睨まれた。
……まあ、確かに、アルルに優しく頭を撫でられるのは悪くない。というか普通に嬉しい。
「けど、アルルに優しく叱られるってのも、それなりにステキ体験だと思わんか?」
「……!」
ガバッと顔を上げる紅姫。
その表情は戸惑いながらも満更でもなさそうだ。どうやらマザコン魂の琴線に触れてしまったらしい。アブノーマルなこった。
半分は冗談だったんだけどな。……残り半分はどうだか知らんけど。
「とにかく、家族……なんだから、遠慮すんな」
俺はいつものように紅姫の頭をわしわしと撫でる。くすぐったそうにしながらニシシシと笑う姿は、うん、いつもの紅姫だった。
もう大丈夫そうだな。
……もしかして、以前にファミレスで微妙に気落ちしてる風だったのも、これが原因だったのかな?
「なあ紅姫……」
問いかけようとして、けど、言葉を呑み込んだ。
いつの間にかバスが峠道を越えていた。じきに停留所に着いて、そうしたら他の乗客が乗ってくる。
つまり、兄妹仲良くできるのはここまでだ。
「紅姫、そろそろ離れろ」
俺の言葉に、紅姫も車外を確認して口ごもる。
そのままスッと席を立ち、最前列の左側……俺からは一番遠い席へと移動していった。
やがていくつかの停留所を経由する内に、車内はそれなりに混み合ってくる。乗客には紅姫のクラスメイトも居り、談笑しているのが窺えた。何を話しているのかは聞こえない。
当然、どんな顔をしているのかもわからない。
けど、友達と話しているんだ。
きっと楽しそうに笑っているんだろう。
俺は車窓の外、流れる景色に眼を向ける。
頭の芯に、少しだけ鈍痛が疼いていた。
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