第6話、嵐は突然に。10/5追記有

嵐は突然に


 窓の外で、鳥が鳴いている。

 幼い頃より高くなった視界で、私はそっと硝子へ手を伸ばした。

 キース達が来て二年、帰って三年。

 七歳だった私は、いま十二歳になった。


「月日が経つのは早いものね」


 透明な板に写った美少女を見る。

 肩までだった金髪は腰まで伸び、それなりに丸かった輪郭は幾らかすっきりとしたものに変わっていた。未だ魔力充溢病を患っている所為か、顔色はとても健康的とはいえないが、まあ悪くはない。


 私は軽く息をつく。

 二年前、なんとかキース達研究者を上手くやり過ごせたものの、代わりに私が何時ぽっくり逝ってもおかしくない体だということが判明した。


 それというのも、この世界の住人―健常者―に汗腺のような魔力を吐き出す穴が無数に存在しているのに対し、魔力充溢病患者はほぼ塞がっている。私はその穴を力業で無理矢理抉じ開けてしまったからなのだそうだ。キース曰く、私は何時稼働するか分からない爆弾とのこと。

 とても嬉しくない例えである。

 

「アンジュお嬢様。そんなに溜め息ばかりつくと幸せが逃げますよ」

「ラナ。それは誰かが言い出した迷信でしょう」


 苦笑いとともに振り返ると、ケイトではなく、かつて領地の外れまで同行した女魔法使いがそこにいた。

 あの頃はまだ二十代後半だった彼女だが、現在は随分と落ち着きのある、されど魅力的な女性に変貌を遂げていた。

 彼女、いやラナがそれもそうですねと相槌を打つ。


「ところでお嬢様。何か悩み事ですか」

「悩み、という程ではないわ。昔、いえ貴方が私の護衛についてから今までの事を思い返していたのよ」


 そう。ラナは五年前、お父様が私につけてくれた護衛だった。

 通常こういった人材は兵士や騎士の中から選ばれる事が殆んどだが、私の場合は事情が事情であり、情報漏洩回避とギルドの目的―マジックアミュレットの流通―が合致し、彼女が宛がわれたのだ。


「まさか私にご不満が」

「Aランクの冒険者を捕まえて、それはないわ。私が言いたいのは……そうね。強いて言うならラナを愛しのギルドマスターと引き離して恨まれていないかしらとか」

「なっ?! そそそ、そんなあるわけないじゃないですか。それに私はギルマスにそのような感情など持っておりません!」


 先程の落ち着きは何処へやら、ラナは真っ赤になって否定する。五年前も思ったが、とても説得力がない。


「コホン。失礼、取り乱しました。そういえばそろそろ夏休みに入る時期ですよね。アイン坊っちゃまもお帰りになられるんですか?」


 追撃はさせまいと彼女が話題をずらす。

 夏休みとは学校、否、貴族の義務である全寮制魔法学園の夏期休暇のことだ。

 十歳になったアインも当然在籍していた。

 ちなみに魔法学園、マグナ学園は初等部、中等部、高等部のエスカレーター式となっていて、物語が始まるのは高等部からとされている。


「ええ。以前に届いた手紙には夏休みに友人を連れて戻ると書いてあったわ」

「ご友人? 何処の何方です?」

「それが私は知らないの。いえ、正しくないわね。お父様には伝えてあるらしいのだけれど、私は一人いらっしゃるとしか聞かされていないわ」

「珍しいですね」


 ここで誂った仕返しか、それとも純粋な思いつきか、彼女がイイ人を連れてくるのではと口に出す。


「まあ! それは素晴らしいわ。あ、でもどうしましょう。私、ちょうど良いドレス持ってたかしら」

「え、ド、ドレスですか?」

「ラナ。第一印象は大事よ。そうね、貴方がギルドで何かを依頼した時、引き受け人が弱そう、もしくは問題がありそうな見た目だったらどうします?」

「それは……ちょっと考えますね」

「でしょう。それと同じなのよ」


 相手をどんなに愛していても、その身内の心証、容姿が悪ければ纏まるものも纏まらない。アイン幸せ計画を他ならぬ私が足枷になるなど断固許されないのだ。

 適切な例えにラナは成る程と頷き、そして新しく仕立てるのか尋ねる。


「いいえ。まずは侍女に探してもらうわ。それで駄目ならお母様のドレスをリメイクね」


 私達、貴族の生活は民の納めた税金で賄われている。社交界デビューならいざしらず、日常的にポンポン買い換える事など出来ない。ましてや我が家は私の医療費で普通の貴族家庭より出費が多かった。

 最悪、お父様に相談した後ギルドにマジックアミュレット売却を視野に入れていると、ラナはハッとした様子で、私との距離を詰めた。


「いやいやいや。お嬢様、落ち着いてください。先程はあくまでも私の予想であって、まだ女性と決まった訳ではありません。それからあの超絶シスコンなアイン坊っちゃまの事です。きっと男性のご友人ですよ。ええ、そうに決まってます!! お嬢様、便りにはその方についてのヒントなどはありませんでしたか?」

「ラナ。まず貴女が落ち着きなさい」


 まあ来客が男であれ女であれ、どのみち服は必要なのは確か。違うとすれば用意する意味だろう。女性ならさっき考えた通り、男性なら侮られない、弱味をみせないための武装に他ならない。


「手紙にそのような描写は無かったわ。それからアインは超絶シスコンではなくてよ。何処にでもいる姉思いの優しい弟」

「えぇ……」


 なんだその『何言ってんだコイツ』みたいな目は。

 アインの評価を正そうと口を開こうとした矢先、部屋の扉が三度軽く叩かれる。


「どうぞ。あら、ケイト。どうしたの?」

「はい。お嬢様、旦那様がお呼びです」


 丁寧な所作で、黒のメイド服に身を包んだ侍女が一礼した。


「お父様が? 分かったわ。すぐ行くわね」


 ◆ ◆ ◆ ◆


「お父様。参りました」

「ああ。突然すまないな」


 書類に走らせていたペンを止め、お父様が顔をあげた。

 その顔色は五年前の窶れたものではなく、多少影はあるが比較的健康的なそれだ。私の生存が影響しているのだろう。かつてゲームスチルで目にしたあの抜き身の刃のような鋭さは何処にもない。


「まあ立ち話もなんだ。そこに座りなさい……ところでアンジュ。最近どうだ?」

「どう、とは?」


 なんだろう、この数年ぶりに会話する親子みたいなやり取り。


「体調でしたら特に問題はありません。孤児院への慰問も毎週楽しく行っております。あとは……そうですわ。もうすぐアインが夏休みで帰宅しますでしょう。大きくなったあの子と会うのも楽しみですわ」

「おやおや。アインが学校に通ってからまだそう経っていないだろう」

「あら、お父様。女の子もそうですが、男の子の成長も早いものですよ」


 私の言葉に、お父様は苦笑いを溢す。

 直後、彼は私から目線をずらし、横に立つラナを視界に入れる。

 言葉はない。だが、ラナにはお父様の言いたい事が理解出来たようで携帯していた水晶の杖を上に掲げる。ふぉんという音が鳴り、室内に柔らかな風が広がった。

 盗聴防止の風魔法だ。

 遅れて、これから聞かれては困る、内密な話だと気付く。

 展開の終わりを待ち、お父様が口を開いた。


「さて、アンジュ。私ももう少しアインについて語りたいが、いいか。孤児院、いや子供達についてお前の耳にも入れておきたくてな」

「何かあったのですか!?」


 緩めていた表情筋を引き締め、立ち上がった私にお父様がそうではないと答える。


「彼等の身請け先が決まった。勿論全員ではないが数日中に本人に話し、院を出るそうだ」

「身請け先のリスト、もしくは口頭で聞いても?」

「安心しなさい。申し込みのあった場所はどれもクロと繋がってはいない」


 クロというのは、裏社会を示す単語だ。

 詳しくは暗殺者ギルド、盗賊、詐欺組織といった反社会的勢力をさす。

 安堵した刹那、お父様が次の言葉を発しようとして少しだけ言い淀むのが目には入った。恐らくそれが本題なのだろう。


「お父様?」

「ああ、すまない。その事もあってか、さるお方の耳に入ったようでな。どうしてもお前とあ、いや文を交わしてみたいと申し出があった」


 お父様が机の引き出しを開けて、一通の封筒を取り出した。

 上等な白い紙。

 察するに伯爵位より上の貴族だ。


「公爵か侯爵家の方ですか?」

「もっと上だ」

「……は?」


 貴族の爵位は大きく分けて五つ。

 公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵だ。それよりも上となると残るは王族しかない。

 聞き間違いだろうとお父様を注視すると、彼は黙って首を振った。


 最悪だ。私は下唇を噛む。

 マギカ・マグナの攻略キャラクターの中に王族キャラは四人存在する。

 内訳として我が国で二、隣国ラストルで一、友好国ラガラで一だ。

 名前は確かセシル、クリフ、サイラス、エリオルだったと思う。


 全力でお断りしたい。

 だがしかし、内外に関わらず王族の申し出を断れる貴族はほぼいない。やれば最後、待っているのは冷遇だ。更に今回仮に攻略対象でなかったとしても、今後彼等の耳に入らないとは限らない。

 控えめに言って地獄だ。


「アンジュ?」

「え、あ。すみません。文のやり取りですね、分かりました。お父様、そのさる御方のお名前を教えてもらえますか?」


 なので私が選ぶべき道は一つ。

 素直に応じて、コイツつまらない女だと相手に思わせて交流を絶たせる。

 これしかない。


「名前は、エリオル・ル・カリバーン。我が国の第四王子だ。人柄については、そうだな。話すよりこれを見た方がいいだろう」


 固まった決意が、がらがらと音を立てて崩れた。そのまま私は震える手でお父様から受け取った手紙に目を通す。


 数秒の沈黙。


「ひぇ」

「どうした、アンジュ。何か怖い事でも書かれていたのか!?」

「い、いえ。失礼しました。そういう物は一切ありません」


 慌てて笑みを浮かべ、読み途中だった手紙を元の二つ折りに戻す。

 もちろんお父様がいうような内容は、文面には一切ない。でもその代わり、私への興味がひしひしと感じられる文章が、ところどころに散りばめられていたのだ。

 不幸の手紙、チェーンメール。

 前世で色々と聞いていたが、これが一番群を抜いて怖い。

 しかも私はこれからこの手紙の主と文通し、程よく興味を削ぎ、アインとお父様に火の粉が向かないよう気を配らなくてはならない。なんだこの難易度ナイトメアは。


「本当に何でもないのか?」

「はい。少し驚いただけです。直ぐにお返事を書きますわ」

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