―(4)―


 その知らせを受けたのは、十五時の鐘が鳴って少し。窓の外が赤らんだ頃だった。


「お嬢様。さきほどアインお坊っちゃまがお戻りになられました」


 黒のメイド服を纏ったケイトが、にこやかに告げた。

 私はベッドの上。上半身を起こした状態のまま、手元の本から顔を上げる。


「……ごめんなさい。良く聞こえなかったわ。もう一度言ってもらえる?」

「はい。アインお坊っちゃまが先程お戻りになられました」

「そう」

「どうしました。お嬢様。あんまり嬉しそうに見えませんけど」


 傍らに控えていたラナが怪訝そうに私を見る。なんでコイツ狂喜乱舞しないの? そういいたげな顔だ。


「別に嬉しくないわけじゃないわ。ただ、ね。今はこの状態だから」


 そこまで言うと彼女は「あぁ!」と納得の声を出し、一度だけ首を縦に振った。

 今日は七日の内の、ちょうど絶対安静の日だった。


「病なら仕方ありませんよ」

「分かってるわ。だけど、やっぱりね」


 長い時間をかけてまで、わざわざ我が家に遊びに来てくれたお友達―私の中ではもう男の子ではなく彼女一択―に一マイナスポイントを与えてしまわないか、それだけが気がかりだった。


「駄目ですよ。お嬢様」

「ラナ。それではまるで私が何かしようとしているみたいに聞こえるわよ」

「違うんですか?」

「貴方の私に対する評価が今とても理解できたわ。ケイト、お客様には歓迎と明日の予定、可能であれば私がお会いしたいと伝えてちょうだい」

「かしこまりました」


 ケイトが退室し、私は再度、文字の羅列を追う作業に戻る。

 本のタイトルは、世界の名産品。

 土地々々のご自慢の一品や工芸品、食べ物、魔物などを載せた、前世でいう情報誌のようなものだ。

 なぜ私がこれを手に取ったのか。それは明日会うアインのお友達と少しでも会話を弾ませる為に少しでも引き出しを増やそうと考えたからだった。

 

 一頁の四分の三まで読み進めていると、不意に手元が翳る。


「それ、面白いですか?」

「面白いか面白くないかで言えば、人それぞれ、としか答えられないわね。まあ私としては純粋に知識が増えるから楽しい部類には入るわ」

「そういうものですか」

「そういうものよ。それに私の場合は、教師の真似事をしているから、子供達に出来るだけ間違いを教えられないっていう目的もあるわ」

「なるほど。……ところでお嬢様。話は変わりますけど、このお屋敷に魔物とか戦闘関連の蔵書ってあります?」

「あるわよ」

「物は試しなんですが、ちょっーとだけ読ませて頂くことって、いえ。やっぱりいいです」


 私は、くすりと笑んで構わないと答えた。本当はお父様にお伺いをたてるべきなのだが、私が冒険者視点で読み聞かせてもらったと報告すればさしたる問題はない。


「いいんですか?」

「女に二言はないわ。最近の貴女はそういったものに目がない様子だったし。ただ読書はこの屋敷で且つ私が傍にいる時、得た知識と内容を決して悪用しない、我が家に害を齎さない。この三つを誓えるのならということになってしまうけれど」

「全然構いません!」


 よほど嬉しかったのだろう。ラナはほくほくといった様子で頬を緩めさせた。まるで誕生日プレゼントを貰った子供のよう。

 ご所望の書籍は今の物を読み終わってからねと話していた最中、階下から僅かな物音が聞こえてくる。


「荷物でも降ろしているのかしら」

「音からしてそうで、」


 途中で止め、ラナが表情を険しくさせる。


「? どうかした」

「いえ。訪問者に手練れがいるようですね」

「お友達の護衛ではないの」

「恐らくは」


 幾ら整備された街道でも魔物が出る事はままある。更に学園都市からの道中を考慮すれば寧ろ居ない方がおかしい。

 冗談めかしてラナよりも強いかと問うと、彼女は神妙な面持ちで首肯する。


 ラナはAランク冒険者。

 その彼女より強いという事は、Sランク級がいるということだ。そのお友達とやらは随分と財力があり、親に大事にされているらしい。これはまた、アインは凄い物件を釣ってきたようだ。

 ますます失態は見せられなくなった。


「ねえ、ラナ。その強い方って一人だけ?」

「私の強敵探知魔法に引っ掛かったのは一人です。ですが他の護衛と見られる方々もなかなかの粒揃いかと」

「えっと、ごめんなさい。ラナ、貴方の探知魔法って正確な人数とか分かる?」

「正確には無理ですが、大体なら。三十人はいますね」


 途端、私の表情筋が瞬間冷凍されたように硬くなる。

 ちょっと待ってほしい。

 護衛に三十人。私の知識が正しければ、それはほぼ小隊の人数である。アインが学園都市に向かう際、うちは十五人弱の兵と数人の冒険者を雇った。

 人数が倍なのはまだいい。だが問題は、その後。幾ら公爵、侯爵でも二十九の精鋭とSランク級を娘の旅行のためだけにつけるのはあまりにおかしい。


 もしやアインが引っ掛けてきたのは、良家の子女ではなく、自国又は他国の要人ではないのか。


 嫌な汗が背中を伝う。同時に、下手こいたら外交問題というワードが大きく脳内を占領した。


「どうかしましたか、お嬢様。顔色が優れませんが」

「な、なんでもないわ」


 そうだ。マイエンジェルに限って、要人(婚約者有)と危険な火遊びなどする筈がない。私は平静を装い、脳味噌から四文字を掻き消す。


 そうこうしていると扉の外、廊下の辺りが何やら騒がしくなる。


「…で……ちが……」


 アインの声ではないが、男のもの。


「案内の最中ですかね」

「そうだと思うわ」


 手の中の本を閉じ、肩に掛けていたカーディガンを直す。

 我が家の二階にはファーストフロアの他に宿泊客用のゲストルームもある。先程の声音は執事が来客の案内でもしていたのだろう。

 次いでがちゃがちゃという何かが擦れる音と、数人の足音が鼓膜を揺らす。


「箪笥でも運んでるんですかね」


 ラナが不思議そうに首を傾げた。

 冒険で日々身軽にしていた彼女には、きっと理解出来ない感覚なのだろう。


 苦笑いを浮かべた刹那、扉がコンコンコンと叩かれた。


「姉さん。ボクです」

「アインね。どうぞ」


 扉が開き、そこから美少年がひょっこりと顔を出す。オニキスにも負けない黒髪と、サファイアの瞳。五年前よりやや幼さを消した十歳のアインだった。


「ただいま戻りました」


 そう言って彼が傍に寄ってくる。


「お帰りなさい。道中、大丈夫だった?」

「はい。帰り道は頗る快適で予定より早く着けました」

「それは良かったわ。アイン。お友達は今、お部屋?」

「ええ。先程ゲストルームにお通しして、夕食まで休んでもらってます。姉さんが会いたいと聞いたら凄く喜んでいましたよ」

「そ、そう」


 お姉ちゃんは今凄く複雑です。


「姉さん? もしかして体調が悪い?」

「え。ああ、いえ。そういうわけではないの。えっとね、たった数ヶ月なのに貴方が随分大人になったと思って」

「そうですか? もしそうなら嬉しいです」

「ええ。昔はお姉様呼びだったのに、今では姉さん呼びだもの。時の流れの早さを感じるわ」

「そこですか」


 アインが、不満げに唇を尖らせる。

 その顔に私の胸がきゅう、とときめいた。


「……なんですか、姉さん。その嬉しそうな顔は」

「ふふっ。ごめんなさい。不機嫌になった時の顔が昔と変わらず可愛かったから、つい」

「なっ?!」


 アインの頬と耳が鮮やかに色づいた。ああ、数ヶ月ぶりの推しは今日も尊い。

 数秒前まで感じていた複雑さが霧のように晴れていく。


「か、からかわないでください」

「あら、からかってなんかいないわよ。心からそう思っているもの」

「うぐっ。これだから姉さんは」

「なぁに?」

「なんでもないです。ボク、もう行きますね。姉さんは明日に備えてちゃんと休んでくださいよ」

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