―(3)―

side:ガルム


「兄ちゃん、お帰りなさーい」

「お帰り~」

「うわっと。……お前らなぁ、俺は此処を出た人間だぞ」

「そうだけど、でもガルムお兄ちゃんはアタシ達の家族だからお帰りなさいは間違ってないよ!」


 そうだそうだと俺の周りで囀ずる弟妹達に、俺は少しだけ相好を崩す。

 数日前、俺が出ていく日に見せたあの悲壮さが嘘のようだ。皆、表情は明るく、いきいきとしている。

 宥めつつ、彼等の頭を撫でていると不意に此方を眺めていたアンジュお嬢様と目が合う。彼女はこの光景に憤る事もなく、寧ろ微笑ましい物でも見るようなとても優しい目をしていた。

 瞬間、頬がかっと熱を帯びた。


「っ、」

「皆。そのくらいにしておきなさい。アンジュ様達の前ですよ」

「アンジュ様?」

「ほんとだ。アンジュ様がいる!」

「アンジュ様、おはようございます。アンジュ様がガルムお兄ちゃんを連れてきてくれたの?」

「おはよう。ガルムさんとはね、偶然教会前で会ったのよ」


 彼女の碧が弟妹達に移る。

 ごく当たり前、自然な行為だというのに今度は熱ではなく、胸に寂しさが訪れる。

 もっと彼女の笑顔を見たい。笑いかけてもらいたい。

 そんな不敬な考えが脳裏を掠め、俺は慌てて頭から引き剥がした。

 彼女は誰よりも気高く、誰よりも慈悲深い。真の貴族と言うに相応しい存在だ。少なくとも俺の知るあの貴族……いや、あのクズなどよりはずっと。


 脳内に一人の、傲慢と高飛車がドレスを着たような女性が浮かび上がる。

 忘れない。忘れられない。間接的にとはいえ、父さんと母さんを死に追いやった元凶のあの顔だけは。

 拳を強く握る。


 俺がまだ幼かった頃、俺は冒険者としてそこそこ名の売れた父さんと優しい母さんと三人、貧しいながらも幸せに暮らしていた。

 それが崩れたのはキャンサーの月、雨の酷い日だった。俺は珍しく熱を出し、心配した父さんが医者に診せた帰りの事だ。

 家の扉を開け、熱に侵された俺が最初に感じたのは母の温もりでも声でもなく、噎せ返るような生臭い臭いだった。

 手酷く荒らされた室内、床に伸びる一面の赤――そしてそこに横たわる無惨な姿の母の姿。

 今でも良く覚えている。


 衛兵に囚われ、金に困って家に押し入り騒がれたから殺したのだと宣う傭兵。

 ろくに調べもせず、押し込み強盗だと決めつける衛兵。

 けれどその実、とある依頼で知り合っただけの貴族の奥方が父さんに懸想し、愛人の前で迂闊にもそれを話した。結果、その愛人は暴走し、父さんを殺そうとした。これが事件の真実だった。

 そしてその後、発覚を恐れた貴族によって父さんは殺された。


「ん……ルムさん……ガルムさん!」

「えっ。ああ、すみません」


 暗い淀みに身を堕としかけたその時、俺を呼ぶアンジュ様の声に正気に戻る。


「どうしました。もしかして体調がよろしくありませんか?」

「いいえ。少し昔の事を思い出していたんです。体調はこの通り。先程の失態はどうかお忘れてください」

「そうですか。それならば良いのですが」

「全く。しっかりしろよ、ガルム兄ちゃん。此処が戦場だったら間違いなくやられてんぞ」

「ああ、そうだな。気を付ける。ハリスも皆の纏め役として頼むな」

「おう。兄ちゃんに任命されたこの大役、ちゃーんとこなしてみせるぜ」

「それなら安心だな」


 どんと胸を叩く弟分の頭を軽く撫でる。

 そこで俺はギルドの受付嬢が教えてくれたある噂話を思い出した。


「そういえば……いえ、なんでもありません。ハリス、アンジュ様を孤児院に案内してあげなさい」

「? 変な兄ちゃん。まっいーや。アンジュ様、いこーじゃなかった。行きましょう」

「ええ。ハリス、エスコートお願いね。ではガルムさん」


 軽く会釈するアンジュ様に、同じく会釈で返し、俺は彼女の後に続こうとする護衛、ラナさんと神父様に声をかけた。


「ガルム?」

「どうした。お嬢様からあまり離れられないから何かあるなら手短に話せ」

「すみません。最近ギルドで妙な噂が流れてまして」

「妙な噂?」

「はい。信憑性は解りかねますが、新種の人に化ける魔物が発見され、それは殺した相手の姿に成り変わり、もう街に入り込んでいるのではという噂です」

「よくある法螺ではないのか?」

「ええ。俺もそう思うんですけど、何分この話を耳にしたのはギルドの受付嬢からですので」


 ラナさんの言う通り、こういった噂は酒に酔った者達や噂好きの間で流れやすく、次第に尾ひれが付き始め、いつの間にか収束するのが殆どだ。

 けれど万が一という事もある。

 死んだ父さんも言っていた。たかが噂、されど噂。何でもないと思っていた事が実は重大な何かに繋がっていたなんて事もある、と。


「ギルドの受付嬢が? ……分かった。心に留めておく」

「私の方も注意しておきましょう」

「ええ。宜しくお願いします」

「ふふっ。安心なさいな。その怪しい魔の手がアンタの愛しい愛しいお嬢様に向かわないよう、私が責任持ってちゃんと護るよ」

「なっ!!」


 顔面が一気に熱くなる。

 そんな俺を見て、ラナさんはくすりと笑い、アンジュ様の後を追っていった。


「……神父様。俺ってそんなに分かりやすいですか?」

「さて、どうでしょうね?」 


 神父様の穏やかな笑い声が、教会内に響いた。

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