―(5)―


 豆と野菜のスープ。

 一角兎のロースト、マスタードソースがけ。付け合わせのマッシュポテト。

 焼きたてのマルグレインコブス(パン)。

 氷月レモンと木苺とハーブのデトックスウォーター。


 食卓に並んだ、気合のこもった食事を前に、私は震える指でスプーンを持った。

 現在地はファリフィス家一階、食堂。

 給仕とラナ、それぞれの護衛兼執事、逞しい胸板の男達に囲まれたそこで、私は朝食をとっていた。


「どうした、アンジュ。手が進んでいないようだが」


 家長の席につき、同じく食事中だったお父様が尋ねる。いやお父様だけではない。隣と前。二方向から視線が注がれる。


「どうかしたの、姉さん。食事の量多かった? それとも体調良くない?」


 隣に座ったアインが、心配そうに眉毛を下げる。次いで前方から聖歌隊にでもいそうな美しく澄んだ声が鼓膜を揺らす。


「ファリフィス嬢、大丈夫ですか?」


 私は引き攣りそうになる口元をどうにか隠し、笑顔を作る。

 目線の先は、さっきの美声の持ち主だ。

 年はアインと同じ。月のような何処か神秘的な雰囲気を宿した少年であった。

 肩まで伸ばした銀糸のような髪を襟足で一つに結い、後ろに流している。顔面は非常に整っており、春の空にも似た蒼の瞳には気遣いの色を映していた。

 

「は、はい。お気遣い痛み入ります、エリオル殿下」


 私は目の前の少年の名を口にする。

 彼の名はエリオル・ル・カリバーン。マギカ・マグナの攻略キャラの一人であり、この国の王子。そして先日私と文通を開始し、アインが連れてきた友人その人だ。


 エリオルは良かったと優雅に微笑む。その表情は王族として精練された完璧なものだった。

 此処にいるのが私ではなく、彼のファンであったなら、きっと今頃、茹で蛸のように顔を赤くしていた事だろう。

 尚、只今の私は予想の外れたショックと今後のお付き合いを考えて青ざめ、否、内心戦々恐々としている。


「アインもありがとう。私は大丈夫よ」


 なるたけ表情を変えず、私はアインにも笑いかける。すると彼は何かを言いかけて、口を噤んだ。

 直後、お父様がエリオルへ話しかける。


「殿下。このような我が家ではありますが、どうかごゆるりとお寛ぎください」

「ありがとう。従者ともども世話になるよ」


 それからは四人、他愛のない話を交えながら食事をした。エリオルは王族でありながら気さくでコミュニケーション能力の高い人だった。

 自然な笑顔を浮かべたまま、相手に嫌悪を感じさせることもなく、懐に滑り込んでくる。そんな感じだ。幸い心の中の私は、常時シャドーボクシングで殿下の攻撃をブロックしていたけれど。


「これ、さっぱりして美味しいね!」


 〆のデザート、ヨーグルトアイスを口にしたエリオルの顔が花が咲いたようにパッと明るくなる。


「でしょ。ボクもそれ好きなんだ。さっぱりしてるのは自家製ヨーグルトを多めに使ってるからなんだって」

「へぇ。アイス以外も凄く美味しかったし、ファリフィス家は良いシェフがいるんだね」

「ありがとうございます。我が家自慢の使用人なんです。ね、お父様」

「ええ。殿下のお口に合ったようで何よりですな」

「ハハッ。僕も滞在の楽しみが一つ増えて嬉しいです。そうだ! 話は変わりますがファリフィス嬢、良ければこのあとお話する事は出来ますか? 知人やアインからは自慢のお姉さんだと貴女の話を聞いて是非とも話をしてみたいと思っていたんです」

「ちょ、エリオル殿下」

「ん? 何かな、アイン」


 やはりきたか、私用好感度増減イベント。


 テーブルの下で拳を握る。

 まさかのアイン経由込みなのと自慢の姉発言は嬉しいが、正直いま反応している余裕はない。私はこれから路線を変えて、アインからの好感度を下げず、二人の交遊関係にも罅を入れず、且つエリオル殿下の好感度を上げずに立ち回る、という超難関ミッションに挑まねばならないのだ。

 猛烈にいまイベント用選択肢が欲しい。全力で真ん中のハート+0を選ぶから。


「光栄ですわ、殿下」






 ◆ ◆ ◆ 





 身支度を整えた後、私達は庭に移動した。

 夏とはいえ、太陽もまだ仕事前なのか、外は然程暑くはなく、それどころか朝の心地よい柔らかな風が頬を撫でた。

 私は側頭部に右手を当てる。

 ファリフィス家の庭園はそれなりの広さを持ち、腕の良い庭師により色とりどりの花々が植えられている。

 赤、青、黄、緑。

 生憎花名については疎く、全てを知り得てはいないが、そのどれもが美しく、調和のとれた並びになっていた。


 彼等を連れて、ガゼボへと足を向ける。

 ちなみにガゼボとは、西洋風のあずまやの事で、前世の公園やフラワーパークなどに配置されている壁のない、屋根とそれを支える柱だけの建造物をちょっとグレード上げたやつ、といえばいいだろうか。

 その内にある、白く装飾の施された椅子へ全員、腰をおろす。それぞれの護衛は会話と視界の邪魔にならないよう、位置についた。


「料理も素晴らしかったけど、庭もなかなか見事だね」


 周囲を見渡し、エリオル殿下が感嘆の息を吐く。


「そう? 君の家に比べれば家のはずっと小さいと思うけど」

「面積は関係ないよ、アイン。こういったものは土地土地で花も作りも異なるし、僕は見ていて好きかな」


 なるほど、殿下は庭園鑑賞好き。

 私はにこにこと笑みを絶やさず、心のメモ帳にしっかりと刻み、同時に園芸関連の話題は自分からは絶対に振らないと誓いを立てる。


「へえ。そんな見方もあるんだね……って姉さん。なにその顔」

「何でもなくてよ。殿下、アインとお友達になってくださって本当にありがとうございます」

「ね、姉さん!?」


 なので初手は、まずアイン関連で攻めてそこから彼にとっての好物、私にとっての地雷に探りを入れて会話を吟味する形に持っていこうと思う。

 丁寧に頭を下げると、エリオルはきょとんと目を見開く。


「……頭を上げてください、ファリフィス嬢。僕こそアインと友人になれて感謝しているんです。本当に」


 次いで彼はテーブルに置かれた、メイドの注いだ紅茶のカップに手をかけ、その赤い水面を儚げに見つめる。


「エリオル殿下……」


 何やら事情があるのだろう。アインが、同情するような、少しだけ悲しげな顔をした。その瞬間、私の脳味噌が三つの選択肢を弾きだす。


 1、『殿下……』(気遣う顔をして呟く)

 2、突っ込まず話題を変更。

 3、その話、詳しく聞こう。


「あ、あの、殿下。宜しければ学園のお話を訊いても。アインや殿下は学園でどのような学問を専攻しているのか知りたいです」


 私は迷わず2を選択した。

 理由は1が好感度上昇のみならずエリオルルートへ分岐しそうな可能性を感じて。反対に3はアインとエリオル両名の心証を害すると考えたからだ。


「えっ?」

「あと可能であれば学園でのアインの様子もお聞かせ願えますでしょうか?」

「姉さん!?」

「だ、だってずっと気になっていたのだもの」

「――ぷっ。あは、あははは」


 笑い声とともに、エリオル殿下の肩が小刻みに震える。彼は一頻り笑うと、目元に滲んだ水を拭う。


「殿下?」

「ああ。すまない。貴女がアインに聞いた通りの人だったからつい。専攻とアインの様子だったね。勿論構わないよ」

「ありがとうございます。殿下」

「気にしないで。それからファリフィス嬢。僕の事は殿下ではなく、エリオルと呼んでくれると嬉しいな」


 こっちは嬉しくない。

 しくしくと痛み始めた胃を宥めつつ、私は唇で緩やかな弧を描いた。


「承知いたしました。でしたら私の事もアンジュとお呼びくださいませ」

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