―(6)―
それから暫く、私達はマグナ学園の話題で大いに盛り上がった。
私の要望は元より、校内の広さや噂、一クラスの人数、授業でのやらかし、他人から見たアインやエリオルの様子など彼等は終始、面白おかしく語ってくれた。
「ふふっ。二人にとって学園はずいぶんと楽しい場所のようですね」
私はなるたけ気を緩めず、されど悟られぬよう優雅に微笑む。
現時点、エリオル殿下について心のメモ帳もといプロフィール欄完成度は手紙と合わせても五%程度。まだまだ情報が不足している。
次はどうアプローチすべきか考え倦ねていると、隣に座っていたアインが、弾んだ声で返事をした。
「マグナ学園は色んな人や沢山の知識が集約された素晴らしい場所なんです」
嘘のない澄んだ瞳。
本当に楽しくて仕方がないといった感じだ。実は密かに、アインが苛められたり、嫌がらせを受けたりしてないか案じていたが、私の杞憂だったようだ。
そのまま、彼は特に医学が凄かったと熱弁を振るう。
「中でも驚いたのが、紫色のポイズンスライム、不定形の軟体魔法生命体なんですけど。ソイツの吐く毒液で病に効く薬が作れると知った時は本当に吃驚しました。あとあとファイアドラゴンの肝を煎じて飲むと滋養強壮に効果的とされていましたが、製法を変えるだけで全く別の薬になるとか、兎に角もう凄かったんです!」
普段とは違う饒舌っぷりに、私は目を瞬かせる。こんなアインはいまだかつて見た事がない。
「アイン。気持ちは分かるけど、アンジュ嬢が驚いてしまっているよ」
「あ……すみません。姉さん」
「大丈夫よ。初めて聞く単語に驚いただけだから。それにしても魔物から薬とは、とても興味深いわね。他にはどんな物があるの。聞かせて」
「え?」
二方向から同じ母音が重なる。目を動かせばアイン、エリオルの両名が面食らったような顔で静止していた。
私が訊いたのがそんなにおかしかったのだろうか。首を傾げていると、回復したエリオルがすまないと謝罪する。
「そこまで興味を持ってもらえるとは思ってなかったので、つい。ああ、決して悪い意味ではないんだ」
「! ええ、理解しております」
まあこういった話題は、お茶や手習い、華やかな場の多い普通の令嬢達には参戦しずらいものだろう。
私は画面越しに調合、討伐、納品、レベリングでバンバン魔物を狩りまくったので大した抵抗はない。というか下手な選択が打てない以上、ここからまた殿下プロフィールを更新していくしかない。幸い前世の知識と今世の読書でまだ話にはついていける。
「えっと異国の魔物とかもあるけど、姉さん大丈夫?」
「そうね。ある程度なら問題ないと思うわ。あとは二人の話術に期待しましょう」
「ははっ。これは腕の見せ所だね。それにしても博士に聞いていた通りだけど、アンジュ嬢は本当に凄いね」
「博士?」
「姉さんも知っている人だよ。覚えているよね。二年間、家にいたあのキース・バレリアって人」
「……は?」
脳味噌が一瞬にして、凍りつく。
キース・バレリア。
王命により私を調査したはいいものの、大した成果を得る事が出来ず、王都に帰還していった男の名だ。
彼が博士? 一体どういうことだ。
悪い冗談だろう。そう期待してアインを見る。だが返されたのは、無情な一撃だった。
「うん。ボクも初めて聞いた時は、姉さんと同じ反応をしたから気持ちはよく分かるよ。でもね、本当なんだ」
開いた口が塞がらない。
おまけにエリオルはキースを尊敬しているという追加情報付き。とても素敵なプロフィール開示だ。泣きたい。
「ふふっ。やっぱり兄妹だね。驚き方から表情までそっくり。あ、そうそう。アンジュ嬢の事を紹介して手紙のやり取りを進めてくれた知人も実は博士なんですよ」
私の中でキース・バレリアへの殺意が十上がった。あとでゴルドルフに苦情の手紙を出しておこう。
少々温くなった紅茶に口をつけ、私は怒りの感情を必死に抑えつける。
その時だった。
背後から聞き覚えのあるバリトンボイスが耳に届く。
身体を少しだけ傾ければ、燕尾服を纏った老紳士が、此方に頭を下げて立っていた。
彼の名は、セルバ。
お父様が最も信頼する使用人であり、ファリフィス家執事長の立場にいる男である。
「旦那様よりお嬢様に言伝を預かってまいりました」
「お父様が?」
「はい。実は」
私の脇に移動したセルバが、小さく耳打ちする。その内容は、私が孤児達への卒業祝いの品を頼んでいた職人が至急確認してほしい事があり、面会を求めているというものだった。
はて。納品はまだ先の筈だが、 何かトラブルでも発生したのだろうか。まあ何にせよクールタイムが出来たと思っておこう。
私は二人に中座の旨を告げて、静かに席を立った。
現在、旦那様がお客様のお相手をしておいでです。
そう教えられ、案内された先は一階の応接室だった。見慣れた広い室内に入ると、テーブルを挟んで二人の男がソファーに座っていた。勿論、うち一人、上座に座しているのはお父様である。
「ああ、来たか」
「お待たせいたしました。娘のアンジュです」
ドレスの両端を軽く上げ、会釈する。挨拶を交わしたのち、私はお父様の隣に腰掛けた。
訪問者に視線をやる。
酸いも甘いも噛み分けたようなおじさん、いや職人という文字が擬人化した男性といった方が近い。膝の上に置かれ、握られた両の手はごつく、まるで岩のようだ。
「私の手が何か?」
男の瞳が、じろりと私を捉える。
沢山目を細めて仕事をしていたのか、眉と眉の間に深い皺が出来、一見睨まれているように思える鋭い眼差し。なまじガタイがいい所為か、威圧感が凄い。
「いえ、何も。それより至急と聞いたのだけど、何かあったの?」
「これを見て頂きたい」
男が手荷物から正方形の箱を取り出し、テーブルに置く。
「これは?」
「先日、ある商人から手に入れました。見た瞬間インスピレーションが湧いちまって、これをご注文の品に加えてもいいか訊きにきた次第」
上箱を開けて露になったのは、私の掌台はあろう石だった。
だが、色は黒が主体でところどころ赤みがかっており、明らかに只の石ではない。かといって私の頭にあるゲーム内素材アイテムのどれとも一致しない。
「名前はブラッドノワール。ある村では身代わり石、悪い事を引き受ける物として伝わっている品、だそうです」
やはり知らないアイテムだ。
念の為、性能の程を問うてみるが、防御力0,5アップという鉄鉱石にも劣る返答。値段も想定していたものよりずっと安い。
これは前世に良くある迷信土産物的立ち位置か、私の把握漏れ或いは他キャラルートで入手出来るアイテムなのかもしれない。
「お嬢様?」
「アンジュ。お金の事は心配いらないから、思った事を言いなさい」
「ありがとうございます、お父様。では職人さんに質問なのだけれど、これを砕いて他にお願いした物とも合わせる事は可能ですか?」
「そうですね。大きさや数にもよりますが恐らく可能でしょう」
ガルムに冒険者セットを渡した手前、他の子にもそれなりに釣り合いのとれた物を送る予定だったが、全員にブラッドノワール付き卒業祝いも悪くないかもしれない。何よりガルムに渡したディフェンスバングルにも小さいが赤い石が埋め込まれている。流石に種類は異なるが、揃いの赤は彼らもきっと喜ぶ筈だ。
「でしたら発注した品全てに、そのブラッドノワールをつけてください。勿論追加料金は払いますが、当初の納品日までには間に合いますか?」
「そうですね……一応やってみますが、今のところなんとも」
「分かりました。もし間に合いそうもないようでしたら期日三日前までに必ず一報を入れてください」
男が頷き、ブラッドノワールを箱に仕舞う。そして入れ違いに、茶色い紙を出して、テーブルに広げる。
「今回の追加見積書です。ご確認の上、問題がないようでしたら、此方にサインをお願いします」
「了解した……特に問題はないようだな」
執事から見積書を受け取ったお父様が、一分程、紙とにらめっこし、私に渡す。
同じように目を通せば、そこには追加内容と金額、署名欄のみしかない、とても簡素な見積書だった。
私はペンを受け取り、署名欄に自分の名を書く。
「これで宜しいかしら?」
「はい。問題ありません」
男は再び自身の手に戻った見積書から、私に視線を移す。
焦げ茶色の細い目。
それがにこりと動いた刹那、一瞬だけ朱に変わる。
「?!」
見間違いか。
もう一度男の目を見ようと少しだけ身を乗り出す。だがその直後、私の意識はそこでぷっつりと途切れた。
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