余命一ヶ月と宣告された悪役令嬢ですが、可愛い義弟の為に余命ブッチを決めました!

べっこうの簪

第1話、余命ブッチを決めた日。【改訂】

 ぜぇぜえと苦し気な呼吸音が響く中、白衣を着た初老の男性が沈痛な面持ちで、口を開く。


「残念ですが、アンジュお嬢様は命はもってあと一ヶ月です」

「そんな。なんとか、なんとかならんのか!」


 初老の男の肩を、別の男が激しく揺さぶる。

 男の名はクラウド・ファリフィス。たった今宣告を受けたアンジュの父親だ。

 何日も眠れていないのだろう、彼の目の下には濃い隈に刻まれ、美しい青の目が酷く充血していた。


「金なら幾らでも払う。だから頼む。娘を、アンジュを助けてくれ。エリスが遺してくれた私の大事な娘なんだ!!」


 身を切るような悲痛な叫びだった。

 だが、白衣の男は決して首を縦には振らない。


「残念ですが、今の医学と魔法ではこれが限界です。もう私に出来る事は、お嬢様がこれ以上苦しまないよう沈痛魔法と栄養剤を投与するくらいしか」

「あ、あああ」


 滂沱の涙を流しながら、クラウドが膝から崩れ落ちる。


「神よ。なぜこのような惨い仕打ちをなさるのです。アンジュが、あの子がいったい何をしたというのです」


 誰も何も言えない。

 その場にいた主治医、助手、メイド達は皆一様に黙りこみ、ただただ少女の不幸を悲しんだ。

 そこへ掠れた少女の声があがる。


「お、とう、さま」

「アンジュ!」


 寝台に寝かされた状態で私が必死に指を浮かせると、クラウドはすぐにその手を取った。

 私は出来るだけ優しく微笑みかける。


「だい、じょーぶ、です。あんじゅは、このてーど、へいき、です」


 だから泣かないで。

 そう伝えると、ぼんやりとした視界に映った彼は泣き笑いの表情で、何度も頷いた。


「そうか、そうだな。アンジュは強い子だったな」


 堅く握られた手に、熱い水が滴り落ちる。

 

「おとう、さまは、なきむし、さんです」

「ああ、死んだお母様にもよく言われたよ」

「……お、とうさま、わたし、ねむ、く」

「ああ。薬が効いてきたんだな。ゆっくり眠りなさい。お父様はここにいるから」


 私は、ゆっくりと意識を手放した。




 ************




『死亡フラグ成立しちゃったよ、おい』


 何処までも続く漆黒の空間で、私は頭を抱えた。

 此処は私ことアンジュ・ファリフィスの夢の中。私以外の人も物もなく、唯一私が元気に動き回れる場所だ。

 そのまま乱暴に髪を掻き、闇の地べたに座る。およそレディーのやる仕草ではないが、今は気に留めない。


『ライブラリ、オープン』


 唱えた直後、目の前に発光するウインドウが音もなく現れる。


―――――――――――――――――――

*アンジュ・ファリヒィス (7)


体力:2 魔力:9999



【称号】

 異世界転生者。魔力充溢病患者。


【DATA】

 ファリヒィス家長子。

 健康な義弟アインに嫉妬し、トラウマを植えつける悪役令嬢。


 余命まで、あと31日。

―――――――――――――――――――


 私のステータス欄だ。

 そして昨日までなかった最後の一文に、私はため息をつく。


『生まれ変わったらゲームの世界で、一ヶ月後に退場の悪役令嬢ってどんな罰ゲームだよ』


 そう。称号にある通り、私は現世で一度死んだ日本人だった。

 転生先は、生前夢中になっていた恋愛シミュレーションゲーム、マギカ・マグナ。総勢三十名の攻略対象を、ヒロイン三人の中から一人選択して落としにいくゲームだ。

 初めてその記憶を取り戻した時は、発作と重なり、危うく昇天するところだった。けれど本当の絶望はその後。アンジュ・ファリフィスという存在が、最推しアイン・ファリフィスのトラウマ製造機だった事に気付いてからだ。

 心折設定過ぎて泣いた。

 私は、目線を空へ移す。

 作中で語られるアンジュの役割は、養子として迎えられた攻略キャラクターの心に大きな爪痕を刻み、死ぬこと。


 冗談じゃなかった。

 なんとか運命を変えようと、私は足掻いた。保有する魔力に耐えられないのなら、器を鍛えればいい。トレーニング、食事療法、薬。思い付くものは何でも試した。

 なのにそんな私を待っていたのは、余計な真似はするなと言わんばかりの重い発作だった。


『このまま死ぬの嫌だな』


 物語の都合上、アンジュの死が避けられないのは百歩譲って認めよう。だが、推しを傷つけて退場は断固認められない。


『せめて推しに好印象を与えてから……いや駄目だわ。まず先にお父様をどうにかしないと』


 確かアンジュの死後、クラウドはアインに辛く当たるようになってしまう。そして最後まで分かり合うことはない。最悪自ら暗殺者を差し向けてしまうのだ。


『残り31日でお父様を攻略とか、難易度ナイトメア過ぎて笑えないわ』


 刹那、見上げていた黒天が、ミルクを溶かしたコーヒーのように歪み始める。

 私の意識が浮上する合図だ。




 ************




「ゴホッ」

「お嬢様!? 大丈夫ですか、お嬢様。いっ、いま旦那様をお呼びいたしますので少々お待ちください。旦那様。旦那様ぁ、お嬢様がお目覚めになられました!」


 メイドが慌ただしく部屋を出ていく。

 私は荒い呼吸のまま、目だけを動かして周囲を確認する。

 薄暗い室内、見慣れた天井の染み、鉛のように重い身体。

 あれからどのくらい経過しただろうか。

 ステータスを開ければ良かったのだが、残念ながらあれは夢の中でしか見ることが出来ない。

 仕方なくメイドの帰りを待っていると、不意に開け放たれたドアから、小さな物音が鳴る。


「誰か、居るの?」


 掠れた声で問い掛けてみるが、答えはない。空耳だったのか。念のため、もう一度声を出す。


「居るなら姿を見せてちょうだい」


 再びの静寂。やはり空耳だったようだ。

 傾けた頭を中央に戻し、目を瞑っていると、微かな靴音が耳に届く。

 音は一つ。メイドでもお父様でもない。

 徐々に近付いてくるその音に、私は再度首を動かした。


「あ、あの」

「!?」


 くわっと目を見開く。

 ベッドの左側。そこに私の最推し、アイン・ファリフィスによく似た男の子が立っていた。


「あ、アイン」

「はっはい。あれ、どうしてボクの名前」


 まさかの本人。

 私は少年を注視する。

 歳の頃は五歳。夜の闇を溶かしたような癖のない、まっすぐな髪。困惑の色を浮かべたサファイア色の大きな目。可愛いをそのまま体現した彼が、目の前にいた。


「あの」


 答えない私にアインが不安げに瞳を揺らす。


「ご、ごめんなさい。びっくりしちゃって。名前はメイド達の噂話を聞いてもしかしてって思って」


 私は咳き込みつつも、柔らかくフォローを入れる。だが、心の中は暴風が吹き荒れていた。

 幾らなんでもエンカウントが早すぎる。ひょっとして余命関係なく今日が私の命日だとでもいうのだろうか。


「私の名前はアンジュ。宜しくね」

「はい。ボクはアインです」

「コホッコホッ」

「だ、大丈夫ですか。あの。お水飲みますか」


 アインが、サイドテーブルに置いてあった水差しを手に取る。

 一先ず落ち着こうと、水を飲ませてもらう。


「ああ、美味しいわ」


 不思議だ。いつもの温い水だというのに、とんでもなく美味に感じる。

 お礼を言うと、水差しを片付けたアインが、にこりと笑う。

 私の心臓がどきりと跳ねた。


「ねえ」

「アンジュ!!」


 話しかけようとした矢先、荒々しい様子で、お父様が部屋に駆け込む。乱れたお髪。きっと執務室から全力疾走してきたのだろう。が、お父様はアインの存在に気づくと、すぐに表情を堅くした。


「なぜお前が此処に居る」

「す、すみません」


 恐らく娘を心配してなのだろうが、圧が強い。私は腕を伸ばし、怯えて下を向いたアインの手を取る。

 今は自分の事より、アインが優先だ。

 驚き、私を見た彼に優しく微笑み、私はお父様に事の経緯を語った。


「お父様、そう怖い顔をなさらないでください。私が廊下にいたこの子を呼び止めたのです」

「あ、ああ。そうなのか。すまない」


 そう言ってお父様がアインの横に並ぶ。

 顔もいつものお父様に戻っていた。


「アンジュ、具合はどうだい」

「はい。今日は凄く気分がいいです。ところでお父様。アインをいつ養子に迎えられましたの」

「誰に……いや何でもない。つい先日にな」

「そうですの。ふふっ、嬉しい。実はずっと弟が欲しいと思っておりましたの。お父様、ありがとう」


 私は知っている。

 お父様がアインを疎むようになったのはアンジュに彼を合わせ、その結果アンジュが死亡した時だ。彼はアインが何かしたと思い込んでしまうのだ。

 なのでそれを避けるため、いま私の取るべき行動は、全力でアインを歓迎すること。もしこの後に死んだとしても、せめてアインに矛先が向かないようしなければ。


「これから宜しくね。アイン」

「はっはい。宜しくお願いします、アンジュ様」

「まあ、アイン。私達は姉弟になるのだから様付けは悲しいわ。お姉様って呼んでちょうだい」

「すみません! あ、アンジュお姉しゃま……違っ、アンジュお姉様です」


 アインが林檎のように真っ赤になって、必死に弁解する。そのあまりの可愛さに私の脳天が撃ち抜かれた。

 ゲーム中の孤独一匹狼系アインも格好良かったが、これはこれでかなりの破壊力があった。


「ふふっ。ありがとう」


 シーツの下で右太腿を摘み、必死に変顔を防ぐ。


「ごほん。二人とも、お喋りはそれくらいにしなさい。アンジュも体調がいいとはいえ、まだ病み上がりだ。無理はするな」

「はい、お父様」

「食事は取れそうか。食べられそうなら持ってこさせるが」


 食べると答えると、お父様が控えていたメイドに手を向ける。


「じゃ、じゃあボクもお部屋に戻ります」

「え」


 アインが私に掴まれたままの手を見る。

 もう少しいてほしい。引き留める私に、アインは困ったようにお父様を見上げた。


「アンジュ」

「……はい」

「あ、あの。ご迷惑でなければ、ボク、また明日も此処にきていいですか」

「いいの?」

「はい。お父様がお許し頂けるなら、ですが」


 私は無言でお父様を見つめた。


「……はぁ。少しの時間だけだぞ」

「お父様、大好き! アイン、明日も来てね。絶対よ!」

「はい、必ず。お邪魔しました」


 ぺこりと頭を下げて、アインが退席する。

 明日も生アインに会える。明日が待ち遠しいと思ったのは、何時ぶりだろうか。

 いや明日だけじゃない。明後日も、その後も。アインの傍らで成長を見守っていきたい。

 まだ死にたくない。

 この時、私は強くそう思った。

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