―(9)―


 私はお父様に全てを告白した。

 赤い目を見た直後に見た景色、ナナシと名乗る推定人外との会話、彼から放たれた不穏な言葉など記憶している限りを話した。

 最初は新手の発作かと心配していたお父様も、鬼気迫る私の表情と尋常でない震えに嘘ではないと信じてくれた。


「アンジュ。よく頑張った」


 幼子をあやすように、お父様が私の背を撫でる。その掌の暖かさと向けられる瞳の優しさに鼻の奥がつんとする。

かと。沢山の想いが破裂し、目は塩辛い水が滝のように流れ、口からは嗚咽が飛び出していく。

 お父様は何も言わなかった。無言で私を抱き締め、ひたすら髪を梳いてくれた。



 ◆ ◆ ◆



 一頻り泣いて、お父様から離れる。

 ここまで泣いたのはアインを悲しませてしまった時以来だろう。目元が腫れて、少し痛かった。


「落ち着いたかい」


 こくりと頷いて、差し出されたハンカチを目の下に当てると、林檎にも似た仄かに甘いカモミールの香りが鼻腔を擽る。


「今日はもう休みなさい。殿下達には私から断りを入れておこう」


 確かにあんな事があった後に、否、このような酷い顔をしたまま二人の前に顔を出すわけにはいかない。

 肯定の意を閉めそうと、口を開きかけた刹那、私ははたっと気付く。


「お父様、アインは! いえ、殿下達はご無事ですか!?」


 ナナシは一言も単独犯とは明言せず、もしかしたら私が狙われたのはアインや殿下を狙う為の陽動だったのでは、という可能性だ。

 縋り付くのではなく掴みかかる勢いで迫る私に、お父様は一瞬だけ虚を疲れるがすぐにその顔を微笑みにかえた。


「安心なさい。殿下が我が家にいらっしゃる前から屋敷には相応の対策をしてある。アインの護衛にもな。まあ先の件があって信じられない気持ちは分かるが」


 そこでお父様は言葉を切り、部屋の隅に佇んでいたラナへ視線を送る。お父様のあとを追えば、愛用の杖を光らせ見つめていた彼女が、ちょうど顔をあげた。


「いま確認が終わりました。屋敷に張り巡らせていた結界には綻び、欠損、魔物の反応はありません」

「そんな」

「もちろん私もお嬢様の話を否定するつもりはありません。ただ」


 そこでラナは言葉を切り、伝手で耳にした噂を話す。殺した相手の姿に成り代わり、既に街に入り込んでいるという新種の魔物。それにやや似ていると語る。


「だが結界には反応がなかったのだろう」

「ええ。だからこそ私も疑問なんです。仮にあの職人の男が件の魔物だとして、このセキュリティの中をどうやって突破したのか」

「そうだな。いや、それについては後だ。アンジュ、お前は部屋に戻りなさい」

「はい。いえ、その前にお父様。お父様に預けたマジックアミュレットを七つほど出していただけないでしょうか!」

「構わんが、何故七つなんだ」

「私、お父様、アイン、ラナ、セルバ、殿下、ケイトの分です」


 またあのナナシが狙ってくるかも分からない。誰が敵で誰が味方か判別つかない以上、備えあれば憂いなしだ。優先順位と既にナナシが入れ替わって潜伏している可能性を考えて現状七人つがベストな数だろう。

 私が説明するよりも早く、頭の回転の早い二人もなるほどと同意を示す。


「いま用意しよう……まずはアンジュの分だな」


 立ち上がったお父様が、調度品の一つ―丸いトロフィー―に触れる。するとヴンという機械の起動音じみた音色と小さな魔方陣が宙に浮かぶ。続けてキンキンという甲高い音。恐らく何かの認証なのだろう。

 くるりと踵を返した彼の手には、二つの青いマジックアミュレットと透明な丸い珠のついたペンダントとブレスレットが握られていた。


「これを一つずつ持っていなさい」

「お父様。アミュレットは分かりますが、このペンダントは何ですか?」

「持ち主に異常が起こった際、ペアに光って知らせるマジックアイテムだ」


 ハンカチと交換して渡されたペンダントをじっと見る。金のチェーンにつけられた真珠大の石。これもゲームプレイ時にはなかった品だ。


「安心してくださいお嬢様。此方は私が購入し、複数のギルド鑑定士に鑑定させた物です」

「ああ。ごめんなさい。疑った訳ではないの。初めて目にした物だから珍しくて。あら? ラナはブレスレットなの。じゃあこれ、ラナとセットなの」

「はい。ではお嬢様。お部屋に戻りましょう」






 自室に戻り、休息をとって暫く。

 軽く開けた窓から生温い風がふわりと室内に流れ、カーテンが揺れた最中、控えめに扉を叩く音が鳴った。

 がちゃりとドアが開き、見慣れたメイド服の女性が姿を現す。私の専属侍女であるケイトだ。

 よく見ると彼女の手には水の入ったピッチャーとサンドイッチ、おしぼりを乗せたトレイがあり、昼食を用意してくれたのだと察する。

 ケイトは磨き抜かれた所作でベッド脇のサイドテーブルに近付き、お盆を置く。


「お嬢様。お加減はどうですか」

「大分良くなったわ。美味しそうなサンドイッチね」

「はい。料理長特製1日の必要カロリー三分の一摂取できちゃうスペシャルサンドイッチです」


 皿の上には小振りな三角のパンが二つ。一つは野菜とハムと卵、片方は生クリームとフルーツが挟まれている。

 食が落ちやすく量も取れない私を気遣った料理長渾身の一品だ。受け取って一口齧れば、言い表せない旨味がこれでもかと口の中で広がる。


「相変わらず良い腕ね」


 逆側の椅子に腰かけていたラナが、ちらりと右腕に目をやる。恐らく強襲の有無を確認したのだろう。彼女は私と対のブレスレットを見て、直ぐに目線をケイトに移した。いや正確には彼女の首。銀のチェーンをつけたペンダントを見ていた。


「ん。ケイトのペンダントはラナが偽装魔法をかけたの?」

「相手の魔力と混ぜて色と形を欺いています。他の者には只のアクセサリーにしか見えてない筈です。お客人には見分けのためにつけたと説明致しました」


 なんとなくだが、それだけではない気がする。けれどまだ侵入者がいると考えて追求せず、私は受け取ったグラスの水を喉に通した。ほんの少しレモンの味がした。


「ごちそうさま。ケイト、いま殿下とアインは屋敷にいるの?」

「いえ、街を見たいとのことでお二人とも護衛を連れてお出掛けになられてます」


 速攻でラナに顔を合わせる。

 彼女は黙って首肯した。察するに対策済みだと言いたいのだろう。


「お嬢様を心配していらっしゃいました。それから旦那様いえお嬢様から贈られた親愛のプレゼントを大層喜んでいらっしゃいました」

「そう。喜んでもらえたのなら何よりだわ」


 本当にお父様は頭が回る人だ。

 個人的には殿下の好感度アップが恐ろしいが、状況が状況だし仕方ない。

 私手作り且つアインにも持たせ、友情の証にするならただ渡すよりずっと不審がられないだろう。まあ両者装備してくれたかは不明だが、お父様もことだ。きっとその辺りも抜かりない……と信じたい。


「ふぁあ」

「眠くなりました?」

「あふ、そうみたい」


 二回目の欠伸をかみ殺す。

 精神的な疲れとお腹が膨らんだ所為か、妙に瞼が重かった。

 これからナナシについてだったり、あの光景についてだったり、ラナと意見交換したかったというのに。

 そんな私の考えを察してか、ラナが苦笑する。


「あんな事があった後です。体が休息を欲しているんですよ。無理に起きて本当に体調を崩してはいけませんから今は休んでください。お話なら明日また聞きますから」

「……絶対よ」

「はい。約束です」

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