―(10)―
夜鳥の声が響く夜。
貴族の令嬢にしては飾り気のない薄暗い寝室でラナは何者かの気配に気付く。
その人物は暗殺者には程遠く、されど忍んでいると解る程度の足取りで此方に向かっていた。
彼女は手にしていた武器を前に構える。
向かっている人物には心当たりはあったが、あの誘拐事件があった後だ。素早く防御魔法を幾つか発動し、自らと隣の寝台で眠るアンジュに付与する。
「これでよし」
ベッドの前に移動すると控えめにドアがノックされる。
「どなたですか」
「ボクです」
小声で短く答えた後、鈍い音をたてて訪問者が室内に足を踏み入れる。その人物は黒い髪を揺らし、来た時と同じ足取りでベッドへと歩み寄ると、静かに枕元へ膝をつく。
「アイン様でしたか」
「姉さんの具合は?」
「はい。お医者様は体に異常はなく、精神的な疲れだろうから暫くは安静にして様子を見るようにだそうです」
「……無事で良かった」
間接照明でオレンジがかったアインの手が、アンジュの頬に触れる。壊れ物を扱うようにその指先を優しく優しく滑らせる。
メイドにより清められたそこは、否、全身を綺麗に磨かれていた。
ラナは防御魔法が作動しなかったのを確認し、護衛の姿を探す。
「アイン坊っちゃま、護衛は」
「部屋の外。いくら彼が無害でも姉さんの寝顔見せたくないから」
視線を合わせないまま、安心したように姉を見つめる蒼に、ラナはうへぇと内心で砂を吐いた。シスコンここに極まれり。
「――それにさ、彼がその新種の魔物という可能性も捨てきれないし」
「坊っちゃま。流石にそれはちょっと」
「でも絶対じゃない」
ラナはぐっと押し黙った。
今のところ、その新種の魔物に対する有力な手がかりはなく、職人や石、売りつけた商人に至ってはまだ調査中。つまりはアインの発言を否定できる材料がない。
「いや、彼だけではないかな」
そこで言葉を切り、アインの瞳がラナへと移す。
「姉さんがこれを渡した相手以外は全員疑いの目で見ているよ」
「っ、そう……ですか」
そんな顔も出来たのかと、ラナはぎこちなく口角を上げた。
その顔は綺麗に微笑んでいながら、目が全く笑っていない。どうやら目の前の人物はこれ以上なくご立腹らしい。仮にこの場に件の犯人がいたとしたら、躊躇なく殺しにかかるだろう。それくらいブチギレているのが見てとれた。
どう宥めるべきか思案した刹那――。
寝苦しかったのか、それとも寝ながら不穏な空気を察知してか、ベッドの主がアイン側に寝返りを打つ。
「ああ、ごめんね姉さん。五月蝿かったよね」
「、」
そのあまりの変わり身の早さに、ラナは飛び出さんばかりに瞼を開く。
何故ならもうそこに先程までの凄みはなく、甲斐甲斐しく姉の世話を焼く優しい美少年に戻っていたからだ。最後に乱れたアンジュの髪を直した彼がラナの元へ移動してくる。
「えっと、坊っちゃま?」
「姉さんを起こすと悪いからそろそろお暇するよ」
「はぁ」
「あ、でもその前に、姉さんを襲った新種の魔物についてラナさんの、冒険者の見解を手短に聞かせてもらえないかな」
「私の見解、ですか」
「そう。どの魔物に近いとか、こういうスキルを使うんじゃないかとか。気付いた事や心当たり全部」
「お父様、いえ旦那様からお聞きになっていらっしゃらないんですか?」
「もちろん聞いたよ」
「でしたら」
でも時間が経ってから気付く真実もあるでしょうとアインは付け足す。おそらく当主様に首を挟むと注意されたが、最愛の姉の為に我慢できないのだろう。真剣な眼差しがラナに注がれている。
「確かにそういう事はあるかもしれません。ですが仮に今なにかを思い出したとしても今のアイン坊っちゃまには絶対にお教えできません」
「なっ!?」
話してもらえるものだと高を括っていたのだろうアインは一瞬だけ声を荒げ、でもすぐに口を閉じた。次いでベッドに視線を映し、アンジュが起きていないか確認して再度ラナへ視点をずらす。
だかしかしその瞳は、どうして教えてくれないのとありありと不満を滲ませていた。
教えられるわけがない。
ラナは冒険者を長くやっていて、その手の行動は稀に早期解決に動くこともあるが、大抵は暴走して二次被害勃発だと身を持って経験している。最も自分が引っ掻き回したのではなく、二次被害に巻き込まれたクチとしてなのだが。
あの時は本当に大変だったなぁと昔を懐かしみながら、ラナは更に声量を落としてアインを諭す。
「アイン坊っちゃまがアンジュ様を傷付けられて憤慨する気持ちは良く分かります。私も同じ気持ちです。ですが気持ちだけでは犯人は捕まらないのです。いえ、寧ろ犯人確保から遠退いてしまう事も少なくありません」
「犯人が遠退く?」
「はい。私は冒険者を長年やってきて、それらの問題は嫌というほど耳にしています。今のアイン坊っちゃまのように勇み足で挑み、結果依頼人を危険に晒したという冒険者を何人も知っています」
「ボクが動くと姉さんが怪我をすると言いたいの」
「そうは申しておりません」
同じ事じゃないかとアインは小さく舌を鳴らす。
「……凄く納得はいかないけど、分かった」
「ご理解いただけて何よりです」
「戻る」
そう告げて踵を返したアインがドアの取っ手に手を握ったその時、ぴたりとその動きを止める。
「坊っちゃま?」
「……姉さんを絶対に護って」
それだけ言うと彼は部屋を出ていった。
再びアンジュと自分だけになった空間で、ラナは当たり前ですと小さく呟いた。
どのくらい時間が経っただろうか。
まだカーテンの下が闇に閉ざされていた頃、ラナは閉じていた瞼をゆっくりと持ち上げた。視界がぼんやりと歪み、物の輪郭がはっきりしない。
「ふぁ、」
半分ほど開いた口に手を当てる。
短時間断続的睡眠は流石に堪えるなとラナは椅子に腰かけたまま、杖を持った腕を伸ばす。凝り固まった筋肉が微弱な痛みを発し、自然と「あいたた」と声が漏れた。
それを数秒続けて視界がクリアになったのを見計らい、首を横に向ける。
視線の先には、相変わらず気持ち良さそうにすよすよと眠るアンジュ・ファリフィスの姿があった。異常はなさそうだ。
「こっちも異常なし、ね」
椅子の下を見つめ、呟く。
そこには小石程度の紫水晶が置かれていた。アインが出ていった後、念のためにと設置したマジックアイテムだ。名前は鷹の目。効果は半径五メートル以内に侵入者がいた場合、所有者に知らせてくれるお役立ちアイテムである。
手に取って流していた魔力を止めれば、ちょうど五メートル先の正面がぐらりと揺れ、何処からともなく情けない音が鳴る。
鷹の目を解除した音だ。
「これで連続使用出来れば文句ないんだけどなあ」
ポケットにしまい、吐き出されたため息が宙に消える。
鷹の目は、ギルドから新人に死なないようにと、登録おめでとうの意味を兼ねて配られる贈り物だ。駆け出しの頃、これに命を救われた冒険者は少なくない。ただ一つデメリットを挙げるとすれば、ラナの言葉通り、連続稼働が出来ない点だけ。一回使用すると三日、間をあけないと次使えなかった。
「……あれ?」
ふと部屋の中央やや入り口側に目をやった刹那、ラナは違和感のようなモノを感じて首を傾ける。
丸形の大きな赤い絨毯。
昨日と全く変わらない位置に敷かれている筈なのに、何処か違う。
瞬時に杖を前に出して、立ち上がる。
その時だった。
「え」
鋭い何かがラナの服を斜めに切り裂いた。
一拍遅れてポケットの中から当主から渡されたマジックアミュレットが、ぱきりと割れる音が耳に届く。
「シールド!!」
アンジュと己に防御魔法を貼る。
何処から撃った。感覚を研ぎ澄ませ、辺りを窺う。だがしかし、薄暗い室内をに人の気配はしない。屋敷に仕掛けたセキュリティにもアクセスしてみるが、それにも反応はない。
だとすれば屋敷外からの攻撃か。
脳がそう導きだした時、紙片のような物が目の前を舞う。そしてそれは、ひらりひらりと風に乗り、やがてラナの数歩先に落ちる。
「紙?……これは!?」
『今のは警告だ』
『命が惜しければアンジュ・ファリフィスをエリオル・ル・カリバーンに近付けるな』
『さもなくばアンジュ・ファリフィスに災いが訪れるであろう』
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