―(8)―
鳩が豆鉄砲を食らったような顔。いまの私の状態を例えるなら、正にそれだ。
恐怖、驚愕、逃走。頭の中の引き出しが一斉に弾き出され、中身が明後日の方向へ飛んでいく。
「どうかしたの?」
「! い、いえ」
しっかりしろと自分に喝を入れ、少しでも情報を得ようと青年を注視する。
見た目年齢は十代後半から二十代前半の色男。髪は黒みの強い紫をしており、片目を髪で隠している。加えて背が伸びたのか、先程まで合っていた目線も今は見上げないと合う事はない。
服装は庶民が着用するような麻の半袖と焦茶のズボンに安物の作業靴。パッと見、武器や変装道具といった物は見当たらない。
「体格まで自在に変えられるんですね、と」
「うん。赤ん坊から大男まで、ぼくに化けられないものはないよ。一応話しやすそうなのを選んでみたつもりだけど、どう? 気に入らないなら気に入るまで変えるから、遠慮なく言って」
「だ、大丈夫です。全く問題ありません」
かつてない高速で首を左右に振る。
変身について何かしらの糸口が掴めるかもしれないが、その為に何度も摩訶不思議ショーを見続けられるほど私の心臓は強くない。それならばアプローチを変えた方が数倍マシだ。
「あれ。震えてるね。もしかして寒い? おかしいな。ここ適温にしているんだけどなぁ」
探る前に違う情報が来た。
彼の言通り、外は生温い風が吹いていてお世辞にも過ごしやすくはなかったが、家の中は春の気候に近かった。ちなみに私が震えているのは、ナナシの手が冷たいからである。その旨を伝えると、彼は一度キョトンとして、ああと納得の声を漏らす。
そして手を離すと思いきや、彼は予想の斜め上を爆走した。低体温症じみた掌が一転、じんわりと暖かな熱の手に変わったのだ。
「これは!?」
この瞬間、私はナナシが人ではないと確信した。遅れて、あの職人も彼が化けたものではないのかと思い至る。だってそうであるならば色々と辻褄が合うのだ。
ただ何故誘拐するのが私なのかというと……そこは首を捻る。街のトップの身内で一番抵抗が少なく、殺しやすいと言えばぐうの音もでないが――。
「ん、これでよし。それでええっと、そうそう。お喋りするんだったね」
駄目だ。いまいち掴みきれない。
「はい。ですがその前に、随分とご立派なお宅ですが、お一人で住んでいらっしゃるんですか?」
ここは切り替えて、仲間の有無を確認しよう。この質問なら特に怪しまれることはないだろう。私は、きょろきょろと辺りを見渡し、ナナシの答えを待つ。
「住んでるとはちょっと違うかな」
「はぁ」
「でもこんな風に誰かを招いたのは君が初めてだよ」
と、いうことは現時点でこの家に仲間が潜んでいる可能性はないということだ。
「それは光栄……と言った方が宜しいのかしら? それにしても指を鳴らしただけで色々出てくるなんて不思議ですね。マジックアイテムかスキル、それとも固有魔法ですか?」
「ごめんね。それに関してはスキルなのか魔法なのかは、ぼくも把握してないんだ」
「どういう事ですか?」
「なんていうのかな。物心ついた頃から使えて当たり前みたいなものでさ、大して気に留めた事もなかったんだ」
恐らく私がマジックアミュレットを創るようなものに近いのだろう。原理はよく分からないがなんとなく使える、そんな感覚。これは深く追及しても無駄かもしれない。
「じゃあ今度はぼくから質問ね。君、ううん。アンジュだからアンちゃん」
「あ、アンちゃん!?」
「アンちゃんってさ、結構落ち着いているみたいだけど、こういう事慣れてるの?」
慣れていてたまるか。
眉尻を小刻みに震わせながら、慣れる人間はなかなかいないと否定する。ナナシは、「へぇ」と短く呟くと考え込む素振りをみせた。まるで無垢な子供、いやAIが学習するかのような、そんな沈黙だ。
彼は本当に何者なのだろう。
仮にモンスターだとしてもゲーム知識とファリフィス家のモンスター図鑑にも彼に当てはまりそうなものはなかった。だとすればファンタジーによくあるエルフやドワーフといった種族かといえば、これもまた疑問が残る。
「よし、覚えた。じゃあ次は……アンちゃんは好きなものや嫌いなもの教えて」
そっちも脳内プロフィールを作ろうとしているのか。とりあえず当たり障りのない、食べ物の話をして、自分の手番に今度は現在地の探りを入れる。もちろん直球ではなく、相手に悟られない、何気ない呈を装ってだ。けれどナナシは私の思惑を読んでいたのか、はたまた天然か。私の住んでいた街ではないと言うざっくりした答えのみ。
「いえ、そういう事ではなくてですね。あー……言い替えます。この土地の名前を教えてください」
「土地の名前? ないよ」
「はい?」
名前がない。そんな事は有り得ない。
ゲームのオープニングやヘルプで大雑把ではありながら地名は確かにあったのだ。以前お父様から見せてもらった世界地図とも照らし合わせて、これは間違いない。
「じょ、冗談ですよね」
「ううん。ここは名前なんて物ないんだ」
きっぱりと断言するナナシ。
まさかここは未開の地……いや昔のレトロゲー、クリア特典で初めて表示される大陸的な何かか、それとも太古に封印された的な大陸か。混乱する私に、彼は更に追い討ちをかける。
「国も街も村も全部滅びたけど、静かでいい所だからぼくは気に入ってるよ」
なにそれすごい物騒。
「さ、左様でございますか。あの、そのような気に入りの場所に何故私をお連れになったのです?」
「うーん……一言でいうと、君と話してみたかったから、かな」
何処までもふわっとした解答である。
こんな状況でさえなければ、私も今の言葉にはドキリとしたかもしれない。
私は乾いた笑みを溢し、思い浮かんだ最悪を振り払うように言葉を紡ぐ。
だがしかし、時を同じくしてナナシが「あ!」と上を見上げる。何かあったのか私も天井を仰ぐが、そこには何もない。
「ごめん。もう時間切れみたい。またね」
それだけ告げて、ナナシがまた指を弾く。すると急激な眠気が私を襲った。
「ああ。それから助言を一つ。アンちゃんの近くにいる人間には気を付けて」
「な、にを」
◆ ◆ ◆ ◆
「ュ……アン……アンジュ!」
「え?」
肩を揺すられて、私は目を覚ました。
視界には私の両肩を掴み、心配そうに見つめるお父様の姿が写る。
「お、とうさま?」
「どうした。いきなり置物のように固まったりして」
「申し訳ありませ、ひっ」
謝りながら、ここは本当に自宅なのかと周囲に目を走らせた瞬間、あの職人がまだいたのに気付く。
「あの、お嬢様。私が何か」
男が困惑しつつ、問う。
だが、その瞳は意識を失う前に目にしたあの赤ではなく、ごく一般的な色だった。
ひょっとして私は白昼夢でもみていたのだろうか。
ぱちぱちと瞼を開閉する私に、お父様が横から口を挟む。
「すまないが、この通り娘の体調が優れないようだ。今日のところは」
「そうですか。はい、私の方も用事がすみましたので、これで失礼いたします。お嬢様、どうかお大事に」
「あ、ありがとう」
ぺこりと彼は頭を下げ、荷をまとめて立ち上がる。そのまま退室するのを見届けてから、私はほっと胸を撫で下ろした。
「アンジュ。本当にどうしたんだ。突然静止したかと思えば、彼に怯えるような態度を見せたりして。ひょっとして石を手渡された際に何かされたのか」
「お父様……実は」
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