―(6)―【改訂】
その先の記憶はない。
気が付くと、ゴルドルフはベッドに寝かされていた。
ここは何処だろうと体を起こす。だが、かなり消耗していたのだろう。右指がぴくりと揺れただけで、何処にも力が入らない。
遅れて、剣山の上に寝そべったような激痛がゴルドルフを苛んだ。
「ぐぅ、」
「ゴルドルフ!」
声の方向へ目を動かすと、左側。トラブルメイカーの白衣、キース・バレリアが、心配そうにゴルドルフを覗きこんでくる。
「大丈夫か。私の事は分かるか。いやそれよりこれは何本に見える」
人差し指を立てて彼に見せる。ゴルドルフが一と解答すると、彼は安心したように軽く息をついた。
「俺は」
「覚えてないのかい。君は森で戦い、ギルドとファリフィス家の方々に助けられたんだ」
「……! 他の、ぐっ、奴等は」
「ちょっ、無理して起きようとしないでくれ。全員無事だよ。彼等は別の部屋で治療を受けている」
その言葉に、ゴルドルフは体の力を抜いた。
「薬草は。あれからどれくらい経過した。それに此処は」
「落ち着きなよ。はぁ、ここは治療院。君は救助されてから丸三日ずっと眠り続けていたんだ。薬草については、安心していい。ちゃんと回収後、煎じて患者に与えてあるよ」
「そう、か」
領主の方は兎も角、ギルドへの依頼金はどうした。ゴルドルフは痛みに顔を歪ませながら、訊く。
「それについては安心していい。ギルドへの頼み金は表向き領主様に払った事になってるけど実際は全てアンジュお嬢様が負担してくれた」
「あのお嬢様がか」
領主の間違いではないのか、というゴルドルフの疑いの目に、キースは緩く首を振る。途端、ゴルドルフの頭に鈍器で殴り付けられたような衝撃が走った。
具体的な相場はゴルドルフには想像も出来なかったが、決してその金が安くはない事は分かっていた。だからこそ七歳の少女が全額負担したとは到底信じられなかったのだ。
「どう、やって」
「ごめん。口止めされててね。それだけは言えないんだ」
違法な金か。ゴルドルフの考えを察して、キースは即座に否定する。
「ちゃんとした、真っ当なお金だよ。ただ少し訳有りでね」
「訳有り」
「そう。はい、一先ずこの話は終わりにしよう。お腹減っただろう。何か胃に優しい食べ物と人を呼んでくるよ」
飯という単語に反応したのだろう。口よりも早く、ゴルドルフの腹の虫が返事をした。
キースが愉快そうに喉を鳴らす。
「すぐに用意するよ」
「……すまん」
「気にしなくていいさ。腹が鳴るのは生きてる証拠だよ」
彼はそう言って部屋を出ていき、やがて診療所のスタッフ二人と銀のお盆と食器を持って帰ってきた。
「ただいま」
「おう、って麦粥かよ」
「文句を言うな。ああ、スタッフさん。ありがとうございます」
介助してもらい上半身を起こしたゴルドルフは、あからさまに不満そうな表情を浮かべた。
「俺は肉が食いたいんだがなぁ」
「主治医としてまだ許可出来ないよ。それに三日も飲まず食わずだったのだから、胃が吃驚して受け付けないさ」
「俺をそこら辺の繊細な奴と一緒にするな」
「はいはい」
「ぬぐっ!」
ゴルドルフの訴えを、ばっさりと切り捨て、キースは麦粥を掬ったスプーンを無理矢理口の中に押し込む。
スタッフの男性がぎょとした目を向ける。
気のおけない友人なのだろう。遠慮のないそれにゴルドルフは恨みがましい視線を送るも、黙々と粥を食べ進めた。
「そ、それでは私共はこれで」
「ああ。ありがとう」
スタッフが退室するのを見届け、ゴルドルフはそれまで醸していた朗らかな空気を一変させる。痛みに眉を寄せつつ、まるでお葬式真っ只中のようだ。
「はぁ、ギルドへの支払いを考えなくていいのは有難いが、こっちの出費は痛いな」
そう。ゴルドルフは治療代を心配していた。王都からは幾ばくかの支援金を持たされたが、全員入院したのだ。治療費、ベッド代。間違いなく、三分の一も残らない。今まで節約してきたが、これからは更に切り詰めていかねばならないだろう。
頭を抱えるゴルドルフに、キースはあっけらかんと言い放つ。
「そっちについても領主、いやアンジュ様が出してくれたよ。民を無償で治療してくれた恩人への当然の事だってさ。まぁ口止め料なんだろうね。ああ、そうだ。君達が倒した魔物についてはギルドが買い取ってくれたよ。ただどれも状態が悪かったから二束三文にしかならなかったけどね」
「――本当に彼女は七歳か」
至極真っ当な疑問だった。
ゴルドルフはまだ子供を有していないが、貴族の子供を見た事はあった。どの子供も腹の中に黒いものを隠し、張り付けた笑みで家の利益を第一に行動していた。だから親切にするときは大抵そこに思惑があってのことだと記憶している。
それに、とゴルドルフは初めてアンジュと相対したときのことを思い出す。
彼女に向けたものではないが、新兵でさえ、初めは腰を抜かす自分の覇気に彼女は何事もなかったように耐えてみせた。
あの時は大して気にも留めなかった。
だがキースの話を聞く限り、彼女の異質さに早熟で片付けていいものか、ゴルドルフは悩む。
「見た目はね。まぁ医者としては死に直面し、生還した人間は、それまで持っていた価値観を大きく変えるケースがある。アンジュお嬢様もその類いじゃないかな。彼女、七年も死と隣り合わせのだったと聞くし、特段不思議ではないよ。はい、あーん」
「なるほろな」
「まあ市井ではファリフィス家と彼女の評判はうなぎ登りだよ。彼女の方はその慈悲深さもあって、一部では聖女だなんて声もあがってるくらいさ」
ゴルドルフの心に何かが引っ掛かる。
本当にそうだろうか。何か隠された目的があるように思えて仕方ない。
「どうしたんだい。そんな難しい顔しちゃって」
「いや。なんでもない」
どの道ここで考えても答えは出ないだろう。ゴルドルフは疑念の芽を無理矢理引っこ抜いた。
「それならいいけど。間違っても診療所を抜け出したり、トレーニングを行おうとはしないでくれよ」
ゴルドルフは、うっ、と言葉を詰まらせる。見事に見抜かれていた。
「最低でも一週間は駄目かな。君の体は君が思うよりずっと休息を必要としているんだ。無理をすればその分、治りが遅くなるだけだよ」
「そこまで酷い状態なのか。回復魔法は」
「使えたら使ってるよ。はぁ、自分も体をよく見てみなよ」
そう言われ、ゴルドルフは自分の腕を眺めた。丸太のような腕に何重もの包帯が巻かれている。いや、腕だけではない。ゴルドルフはほぼ全身にそれがあると認識した。
「ここまで酷いと治癒力をあげて治す回復魔法は逆に危険だよ。使用するなら、ある程度体力がついてからの方が望ましい。ここまで言えば脳筋の君でも理解できるだろう。それに君が、いや君達が完治しないと私が王都まで帰れなくなってしまう」
「! 連絡が来たのか!?」
「いいや。今のところ、領主様からは何も伝えられていないし、私宛の文も届いていないよ。私が言っているのは、何時かの話さ」
「……紛らわしい」
ゴルドルフは渋面を作る。
心臓に悪い。
彼は一度だけキースを睨み付けるが、意味がないと思ったのだろう。疲れたように吐息を漏らした。
「寝る」
「ん? お代わりは、食べないのかい?」
「いらん。疲れた。寝る」
「了解。じゃあ薬湯の準備をするから、休むのはその後にしてくれ」
「おい待て。……まさかアレじゃないよな」
それを聞いて、キースの口が三日月のように弧を描く。
「ご名答。君が、かつて悶絶したあの薬湯だよ」
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