―(2)―【改訂】


「へ、へんたぃいい!」


 私は生まれて初めて力一杯叫び、男の足を踏みつけた。

 変態だ。何処に出してもダメな変態だ。

 捕まれた手が離されたと同時に、平手で彼の頬を打ちつける。ぱぁんという乾いた音が鳴り、男が数歩後退った。

 掌が痺れたように痛む。だが、気にしている場合ではない。


 標的は子供達でなく、私と判明した今、脳内から建物内に逃げる選択肢が消えた。残るは男の横をすり抜けるくらいだが、激しい運動を禁じられている私にはそれが出来ない。いや仮に出来たとしても、ここは魔法が普通に使える世界だ。逆上した男が魔力行使にでないとも限らない。


 そうなるとマジックアミュレット作成以外で魔力は使えない私では彼を抑えられない。なので残る手といえば従者に護ってもらうことなのだが――。

 目だけでケイトの方を見る。が、肝心の彼女は突然の出来事に石のように硬直して動かない。


 どうすればいいのか。


 男を睨みつけながら必死に頭を回転させていると、目の前に炎が出現した。

 炎は三十センチくらいの大きさで、男を包囲するように幾つも浮いている。


「アンジュ様、大丈夫ですか!」

「ガルムさん!?」


 炎はガルムの魔法だった。

 彼は右手を前に突き出したまま、庇うように私の前に立つ。次いで放心状態のケイトを正気に戻し、私達に院の中へ入るよう指示を飛ばす。

 とても七歳児とは思え、否、良く見るとガルムの肩は小さく震えていた。


 そうだ。若いとはいえ、闖入者は私達より遥かに年上。そんな相手に立ち向かって怖くない子供などいないのだ。

 私は、ぐっと足に力を入れた。


「ガルムさ「いたたた。先程の悲鳴は一体……ガルム。何をしているのですか!」


 男の現れた方向から、神父が姿を現す。時間差と腰を擦るような動作から恐らく変態闖入者を止めようとして振り払われ、腰を打ち付けたのだろう。


「神父様! この変態がアンジュ様を襲おうとしていました。彼は俺が抑えておきますから、すぐに人を呼んできてください」

「な、なんと。わ、わかりました」

「待って、待ってくれ」


 神父が踵を返そうとしたその時、痛みからいくらか回復した闖入者がストップをかける。


「誤解だ。私は医学発展のためにアンジュ嬢の体を調べたいだけの、善良な一研究者だ」

「善良な一研究者は、いきなり乗り込んでくるような真似なんてしない!」


 ガルムの反論に、その場にいた誰もが深く同意した。

 真っ当な研究者なら、まず面会予約を入れて内容説明し、了承を得るのが普通だ。その過程を省いて、いや名乗りすらしていない時点で、目の前の男は善良とは大分かけ離れていた。


「ガルム。直ぐに戻りますから、それまでなんとか持ち堪えるのですよ」


 真面に語り合うだけ無駄と悟ったのか、神父は人を呼びに駆け出した。

 だがそれも数歩で終わる。

 神父の向かった先、その正面から見事な銀の全身鎧を着た集団が入ってきたからだ。

 その数およそ二十人弱。明らかにこの街の兵士でも冒険者でもない彼等が、その場にて足を止める。全員武器こそ構えていないものの、纏う空気は酷く刺々しい。


「あ、貴方達は」

「ゴルドルフ! 遅かったじゃないか!」


 振り向いた白衣の男が集団、否、その内の一番存在感のある一人へ声をかける。

 途端、私の中に違和感が走った。

 ゴルドルフ。最近そんな名前を何処かで聞いたような気がする。

 何処だったろうかと記憶を漁っていると、ゴルドルフと呼ばれた一際屈強な男が怒鳴り声を発した。


「この、愚か者が!!」


 火山噴火を思わせるような怒声に、空気がビリビリと振動する。その視線の先から自分に向けられたものではないと理解していても、結構な威力だ。


 前世で耐性のある私と違い、正面のガルムは迫力に腰を抜かし、ケイトに至っては意識を飛ばしていた。


 ゴルドルフ以外の鎧軍団が、ざわつく。

 だがゴルドルフは怒りに支配されているのか、彼等を気にする事なく、金属と金属の擦れる音を鳴らして男へと距離を詰める。

 そこで私は男を拘束していた炎が消えているのに気付く。恐らく先程の衝撃で解除されたのだろう。


「いだだだだ。ゴルドルフ痛い!、痛いよ!」


 片手で頭を掴まれた男が悲鳴をあげる。

 プロレス技、ブレーンクローだ。


「え。な、仲間割れ?」


 ガルムが戸惑いの声を漏らす。

 目の前で男二人のプロレス一方的対戦、それを見守る鎧集団、置いてけぼりの私達。困惑するなという方が無理な状況だった。だが、いつまでもこのままではいられない。私は意を決し、白衣の男よりは話の通じそうなゴルドルフに話しかけた。


「おほん。お取り込み中、申し訳ありませんが、宜しいでしょうか?」

「はい。なんだい、アンジュ嬢!」


 白衣の男がゴルドルフを振り払い、元気良く返事をする。

 違う。話し相手はお前じゃない。


「貴方ではありません。ゴルドルフ、様とお呼びしても?」

「はっ!」


 私の問いに、ゴルドルフが瞬時に姿勢を正す。どうやらもう怒りは冷めたようだ。


「貴方方は一体何者ですか。見たところ、この街の者ではございませんね」

「はい、そのとお、むがっ!?」

「はっ。我等は王都カリバーンより派遣されましたキース・バレリアとその護衛にございます。証拠はここに」


 キースらしき男を黙らせたゴルドルフは部下から受け取った書状を前に突き出す。

 瞬間、私の表情筋がビキリと強張る。

 同時に先程の違和感の正体が掴めた。


「どうかなされましたか?」

「い、いえ。なんでもありません。ガルムさん。悪いのだけれど、ゴルドルフ様の持つ書状を此方に持ってきて貰えますか」


 本来であれば、侍女であるケイトの仕事なのだが現在進行形で失神している彼女ではそれも叶わない。ガルムに頼み、平静を装おいながら渡された書状に目を通す。

 そこには、お父様から見せられた文と変わらない文言と、王家を示す捺印が押されていた。


「……確かに確認致しました。遠路遥々ようこそ。私は先程そこの筆頭研究員に詰め寄られました、アンジュ・ファリフィスと申します。以後お見知りおきを」







 * * * * * 








 その後は彼等を連れて、屋敷に戻った。

 そして応接室に通された私は、お父様の隣のソファーに腰掛け、事の顛末を話す。


「――と、いう事がございましたの」


 始めは笑顔だったお父様の表情が次第に般若のそれに変化する。

 まぁ溺愛する娘が襲われかけたと知って怒らない親はまずいない。

 向かいの訪問者二人を見やれば、直立したゴルドルフの顔が面白いほどに青ざめ、肝心のキースはどこ吹く風と言わんばかりに私に熱い視線を送っている。

 反省のなさが丸わかりだった。

 王からの書状を握りしめたお父様の手が、これ以上なく、バイブしている。

 出来うる限り当該人物に協力せよ。

 その言葉さえなければ、すぐにでもキースの足元に白手袋を叩きつけていただろう。


「キース。お前もきちんと謝罪しろ」

「はぁ? 何でそんなことをしないといけないんだい。それより私は早くアンジュ嬢を調べたいんだ。伯爵、それは読んだだろう。早く彼女を」


 そこから先は言葉にならなかった。

 ゴルドルフの強靭な手いや手刀が、キースの首に打ち込まれたのだ。

 一瞬にして意識を刈り取られた彼を、立ち上がったゴルドルフは米俵のごとき扱いで、肩に担ぐ。


「誠に申し訳ありませんが、どうやらキース博士は長旅の疲れが出てしまったようです。勝手ながら日を改めて伺わせていただきたく」

「あ、ああ。構わない」


 突然の暴挙に、怒りを忘れたお父様がこくりと頷く。

 ゴルドルフは心底すまなさそうに頭を下げると、私に目をやる。


「アンジュ嬢。気を悪くさせて申し訳ない」

「いっいえ。ゴルドルフ様が頭を下げる事ではございません」

「いいえ。少なくとも最初のアレは、博士を止めきれなかった我々の責任です。重ね重ねになりますが謝罪いたします。本当に申し訳ありませんでした」

「あっ、はい」


 なんというか失言を繰り返す偉い人を必死でフォローする縁の下の力持ちを見ているようだ。

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