―(3)―【改訂】
side:アイン
屋敷に向けて馬車が走る。
出発前はあれほど心踊る外出だったというのに、今とても憂鬱なのはガルムがお姉様に触れたからか、それともまた奴に会わねばならない所為か。
――いや、きっと両方だろう。
溜め息を吐きたい気持ちを堪え、ボクは窓の外を眺める。
そして直ぐに後悔した。
空には大きな曇天が居座り、太陽の姿はない。何時降りだしてもおかしくない空模様だった。
沈んでいた気持ちが更に下降していく。
見るんじゃなかった。目線を下げたその時、硝子に映った自分と目が合う。
夜闇を宿したような髪に、強い蒼の瞳。
実の両親から忌み嫌われた物であり、父と母、そのどちらにもなかった色だ。
最初の頃は、ボクも好きではなかった。
始まりはボクが生まれ育った、コールという小さな村だ。
産まれたばかりのボクを見て、医者と産婆は魔力充溢病から逃れた証だと両親に説明した。事実、その通りなのだが、娯楽の少ないコミュニティにはうってつけの獲物だったのだろう。
村の誰かが母の不貞を仄めかし、あっという間にそれが真実として拡散した。
父と母の夫婦仲は当然悪くなり、ボクが物心つく頃には、もう修復不可能なところまで進んでいた。
父は酒に溺れ、母は心を病んだ。
家では毎日喧嘩ばかりだった。
そこへファリフィス家の伯爵様から魔力の高い子供、ボクをを養子として引き取りたいという話が飛び込んだ。両親は一も二もなく、その話に食いついた。
恐らく二人とも限界だったのだろう。
ボクを引き渡す際に見せた、あの心底安心した彼等の顔は今でも忘れられない。
涙は出なかった。
恨みも湧かなかった。
だって彼等も被害者だと分かっていたから。
「アイン。アイン!」
「え、あ、お姉様」
正面に座っていた金髪碧眼の美しい少女、アンジュお姉様が気遣うようにボクを見る。
「どうしたの。呼び掛けても反応しないし、もしかして体調がよろしくないの?」
「大丈夫です。少し考え事をしていただけです」
「本当の本当に?」
その問いに頷くとお姉様は、ほっとした様子で微笑む。
ボクは胸がいっぱいになった。
ファリフィス家に迎えられて、ううん、お姉様に出会えてからボクは沢山の物を与えてもらった。
この髪と目だってそうだ。
お姉様が慈しんでくれたから、今ではこの容姿がボクの一番の自慢になった。
また段差にでも当たったのか、馬車が僅かに揺れる。
その揺れを話の区切りにし、ボクは口を開く。
「そういえば、お姉様」
「なあに?」
「教会で何をお祈りしていたんですか」
「貴方の健康祈願と、あとは個人的な事よ」
お姉様のアクアマリン色の瞳が、ボクを映す。その瞳の中のボクは、頬を赤く染めていた。
「あら。アイン、照れているの?」
彼女が嬉しそうに笑う。反対にボクは両手で熱を持った頬を隠し、低く呻く。本当にお姉様はボクを幸せにする天才だ。
「ううっ。お姉様、意地が悪いです」
「そんなことはなくてよ。大事な、愛する弟の健康を祈るのは当然ことじゃない」
ストレートな愛情の豪速球に、ますます顔に熱が集まる。
「また一緒に行きましょうね。そうだ! 今度は他の十三人にも会えるよう、神父様に文を出さないと」
名案だとばかりに、お姉様が手を叩く。
瞬間、ボクのテンションが急降下した。
それだけではない。
暖かかった胸の中が一転して、濁った靄に包まれる。
「そつ、そんなにあの教会が気に入ったんですか?」
「そうね。貴族としての役割……もあるけれど、一番はガルム達かしら」
ガルム。
お姉様の口から、その名前が出た刹那、またあの不快感な感情が顔を覗かせる。
脳裏に、アイツとお姉様が見つめあったとき、躓いたお姉様をアイツが支えたシーンが交互にフラッシュバックする。
「い――そう、ですか」
嫌だ。喉元までせりあがった否定の言葉を、必死に塗りつぶす。
言っては駄目だ。
口にしたら最後、優しいお姉様はボクの為に笑って諦めてしまうだろう。何年も色んな事を我慢してきたお姉様に、ボクに沢山のモノをくれたお姉様に、我儘を言ってはいけない。
ボクはいつもと変わらないよう、笑顔を浮かべる。
「ボクも楽しみです」
「本当? 嬉しいわ。コホッ」
「お姉様!?」
こんこんと、お姉様が咳き込み始める。
見れば、お化粧で隠したその顔は、うっすらと青くなっていた。
お姉様の隣に座っていたケイトが、お姉様の背を擦る。
「お嬢様、大丈夫ですか」
「コホコホッ。だ、大丈夫よ。ごめんなさいね。せっかくのお出掛けなのに慌ただしくて」
苦しそうにしながらも、お姉様はボクに笑いかける。
ほら、何時だってそうだ。
お姉様は、自分よりボクを優先する。
「あ、謝らないでください。ボク、お姉様との初めての外出。凄く嬉しかったです」
「まあ。ありがとう。私もよ」
どんなに、発作で苦しくても、痛くても。
彼女はボクを気遣って笑うのだ。
その度にボクは泣きたくなる。
ボクは与えられてばかりで、何も返せていない。出来る事といったら、手を握って、回復を願うだけだ。
自分の無力さが本当に嫌になる。
ボクは、膝に置いた掌を、きつく握った。
(ボクにもっと力が、知識があれば)
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