第10話 架け橋 その二



 五の世界で自分が失神したあと、何があったのか、龍郎は知らない。

 だから、なぜ、とつぜん、そんなことになったのか、さっぱり見当もつかない。


 とうとつに叫び声があがったとき、それは起こった。


 巣の中心あたりで、何かが大きくふくらんでくる。急激に膨張する風船のように、むくむくと巨大化してくる。全体が白く、遠目には暗い洞窟のなかに生えるキノコのようにも見えた。


 しかし、それが、またたくまに塔のように高くなると、正体がわかった。人の形をしている。

 長い髪。女王と同じ静脈の透ける半透明な肌。そして、刺すように青い双眸。


 サンダリンだ。


 いったい、彼に何があったのだろうか?


 背中の翼が両方なくなっている。

 それに、あの肌の色。

 体のサイズも女王と同様に巨大化している。


 女王の塔内部で見たとき、女王は龍郎たちの十倍も身長があった。

 以前のサンダリンは大きいとは言っても、せいぜい二メートルかそこらだった。しかし、今は女王に匹敵する。いや、女王よりさらに三割増しデカイ。


「な……なんだ、あれ? なんで、サンダリンが女王化してるんだ?」

「女王化というより、王化なんだと思う。女王の夫になるためには、それに見合う体のサイズじゃないといけないだろ」

「でも、彼は無性だったはず。だから、戦闘天使として働いてたんだ」


 すると、青蘭がほんのり目をふせた。


「……僕が昨日、彼の残っていた片方の翼をぬいたから、男性化したんだよ」

「えっ? 青蘭が? どうやって?」


 青蘭は龍郎を見つめて、もじもじしている。口をとがらせたり、唇をかんだりしながら、ためらうようすが、なんとも可愛らしい。


「何? 怒らないよ。言ってごらんよ」

「……ほんと?」

「おれが青蘭に嘘ついたことあった?」

「ないね」

「だろ?」

「じゃあ、言うけど……」


 そこで初めて、龍郎は青蘭が色仕掛けでサンダリンを油断させた事実を知った。恋人として、おもしろくはないが、逃げだすための手段だ。まあ、しかたがない。


「……やっぱり怒った?」

「怒ってない。けど、悔しい」

「ごめんなさい。だって、女王のところにつれていかれたら大変だと思って」

「いいよ。青蘭を守れなかったおれがいけないんだ」


 仲なおりのキスをしたいところだが、そうはいかない。

 サンダリンのようすが、どこかおかしい。


「なんだ? あいつ。暴れだしたぞ」

「ここは危ないよ。早く塔まで移動しないと」


 急激に大きくなったのは、男性化のせいだろう。それにしても、サンダリンは正気とは思えない。あれほど忠実に天使の使命をまっとうしていた彼が、泣きわめきながら周囲の建造物を次々と破壊していく。


 天使としての力は失ったのだろうが、その巨体そのものが今は凶器だ。人間の背丈ほどもある手で通路をわしづかみにして引きちぎり、塔に体当たりしている。


「あいつ、なんで自分たちの巣を壊してるんだろう?」

「泣いてる。きっと感情を抑えられないようなことがあったんだ」


 急いで子どもたちの塔をめざすが、サンダリンのせいで、ところどころ渡り廊下がちぎれている。そのたびに迂回しなければならなかった。

 揺れもひどい。振動に足をとられて、何度も転びそうになる。


 巣の異変をかぎつけて、戦闘天使が集まってきた。みるみるうちに廊下にあふれた。が、彼らの目標はサンダリンだ。巨大化したサンダリンに、小柄な戦闘天使がわらわらと群がっていく。


「今のうちだ」


 サンダリンが足止めされている。

 そのすきに、龍郎たちは子どもたちの塔へと走る。


 ようやく、子どもたちの塔まで辿りついた。出入り口のハッチから内部へ侵入すると、このなかには労働天使があふれていた。小部屋のなかには卵がビッシリだ。


「子どもたちの……そうか。ここは育児部屋なんだ」


 労働天使や戦闘天使も、これだけの数を維持し続けるためには、つねに新しい子どもが生まれてこなければならない。


 警報が鳴り響いた。

 平常時であれば、巣の未来を担う子どもたちの部屋が襲撃を受けることは非常事態だ。すぐに戦闘天使が駆けつけてくるのだろう。でも今は、どこからも戦闘員がやってくるようすはない。サンダリンの対処で精一杯なのだ。


 労働天使は武器も持っていないし、体も小さい。龍郎たちを見て向かってきても、素手でつきとばせば、おもしろいように転がる。


 いっきに屋上まで駆けあがった。

 外へ出ると、サンダリンは仲間の戦闘天使を平手でふりはらい、あるいは握りつぶし、床や壁に叩きつけ、暴れまわっている。あれほど巨大化した彼を止めることができるものなどいない。

 ただの戦闘天使なんて、象の足元をよこぎる蟻みたいなものだ。


 振動がすごい。立っていられない。

 龍郎は青蘭と手をとりあって、魔法媒体の台座まで、よろめきながら近づいていった。


 台座にのぼっても、媒体の赤ん坊まで手が届かない。作戦ミスだった。ここに来るまでに、あのパイプを天使から奪っておけばよかった。


「どうしよう。今から、もう一度、下までパイプをとりに行くのもな」

「僕がアンドロマリウスを呼べば……」

「それはダメだ。青蘭の力は、こんなことで使うべきじゃない」

「うん……」


 話しているあいだにも、サンダリンの巨体が塔にぶつかってくる。このまま、塔が崩壊してしまうかもしれない。


 サンダリンの目が龍郎たちを見た。

 ころばないよう抱きあって支えあう龍郎と青蘭をながめると、サンダリンのおもてに邪悪な笑みが浮かぶ。


 巨大な手が、龍郎たちのほうへ伸びてきた。

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