第11話 青蘭回帰 その四



 サンダリンが倒れたとき、遠くのほうで何かの崩れる音が轟いた。

 見ると、幽閉の塔の媒体が砕かれている。


 神父が戦闘天使をけちらしながら、こっちに手をふってくる。親指、人差し指、中指を立てたピストルみたいな形のキザな仕草。


「女王を守る魔法が解けた。女王の塔へ行こう!」

「でも、龍郎さん。傷だらけだよ」

「大丈夫。君を守れただけで、おれは幸福だ」


 一瞬、抱きあう。

 それだけで、激しい陶酔感に溺れそうになる。不思議と傷の痛みもひいた。いや、じっさいに小さな切り傷は全部、消えていた。


「スゴイな。青蘭パワー」

「違いますよ。龍郎さんは精神体だから、気の持ちようで回復するんです」

「自己暗示みたいなもんかな?」

「そう」


 でも、それも青蘭がいてくれるからだ。青蘭の存在を感じるだけで、龍郎の力になる。


「壁ぬけもできる。怪我も治せる。てことは、気の持ちようで空も飛べるかな?」

「飛べますよ」

「じゃあ、飛んでみよう。どうせ落ちても、今ならウジャウジャ群れてる戦闘天使が下敷きになってくれる」

「龍郎さんのゲスいところ発見」

「えっ? ダメかな?」

「いいえ。ぜんぜんオッケーですよ」


 笑って、青蘭の肩を抱きよせた。

 思いきって空中に身を投じる。

 青蘭といっしょなら、なんでもできそうな気がした。


 しばしの落下感のあと、すっと風に乗った。ハンググライダーのように見えない翼が風を受け、滑空していく。

 そのまま、女王の塔へつっこんだ。


 女王は玉座の間にはいなかった。さらに奥の暗がりのなかでふるえていた。自分が殺されることを、すでに予感していたのだ。


 哀れだが、これは女王自身が選択した未来でもある。女王がサンダリンの想いを真摯に受けとめていれば、四の世界と五の世界でのことはなかった。


 あの一点が崩壊の始まりだったのだ。


「さよなら。女王陛下。あなたの騎士が地獄で待ってますよ」


 邪神が死んだら、行きさきは地獄なのだろうか? そんなのは人間が考えた死の救済の概念にすぎないのか。


 龍郎は滑空して女王の胸元に飛びこんだ。神剣をふりおろすと、女王の全身にヒビ割れが入り、瓦礫のように粉微塵こなみじんになった。


 六の世界も終わった。

 ふつりと世界の消える感覚。


 七の世界へ来たときには、すでに次元が崩壊し始めていた。滅亡の色が濃厚にまといついている。

 建築物の表面が剥離はくりし、周囲の岩壁も腐っている。


 天使たちが集結してはいるものの、滅びを止める手立てがなく、右往左往している。もう侵入者どころではないようだ。


 龍郎は青蘭を抱きかかえ、滑空した。

 サンダリンの姿は見えない。

 もう龍郎たちと戦う気もないのかもしれない。


 女王の塔の奥深くで、女王を倒した。

 自分の流した涙の結晶に埋もれ、女王は朽ちた。周囲の壁も次々に腐りおちていく。


 七の世界も滅びた。

 七つの世界のうち六つの世界が終末を迎えた。


 残るは、一の世界のみだ。

 龍郎も青蘭も死んだ世界。

 龍郎も青蘭も存在できない世界。


 でも、ここまで螺旋の巣に滅びが確実に迫っていても、たった一つでも世界が残っていれば、真の世界に到達できない。


 暗闇を流されながら、龍郎は歯噛みする。なぜ、あのとき、かんたんに殺されてしまったのか。

 絶対に青蘭をつれて帰ると心に誓ったのに。

 何が起こっても希望を失ってはいけなかったのだ。


 どうか、頼む。

 おれにまだチャンスがあるのなら、一の世界へ行かせてくれ。

 奇跡を起こしてくれ。


 強く願うと、自分の意識が細い糸のようになって、何かに吸いこまれていくような気がした。


 ハッと心づくと、螺旋の巣のなかに立っている。


(ここは……一の世界か?)


 螺旋の巣は、すでに一の世界しか残っていない。ということは、一の世界に間違いないのだが、ここでの龍郎は死亡して存在がなくなってしまったはずだ。


 しかし、なんだかいつもと視界が違う。いやに遠くまで見渡せるし、暗闇でも昼間と同様に明るく感じる。まるで赤外線スコープでもつけているみたいだ。視力が龍郎より数倍いい。それに、遠くが見えるのは目線が高いせいだ。


 見おろすと、それは自分の体ではなかった。白い戦闘天使の服をまとい、髪も白く長い。顔は見えないが、それが誰の体なのかわかった。


(これ、サンダリンだ)


 龍郎は今、サンダリンの体のなかにいるのだ。



 ——約束しよう。おまえが私を倒したなら、私はおまえの願いを叶える手助けをすると。



 サンダリンの声が聞こえた。


 彼がなぜ、そんなことをするのか、龍郎は初めて理解した。

 サンダリンの渇望するものは、生きているかぎり与えられないからだと。

 朽ちていく運命なら、最後まで、その人のそばにいたいと願うから。


 死ぬことでしか一つになれない。

 それは悲しい愛の形——


 女王の塔へむかった。

 ただ一人で走っていく。


 巣のなかは無気味に静まりかえっている。パラパラと壁がめくれ、雪のように降る。


 もうじき世界が終わる。

 七つのすべての仮の世界が滅び、真の世界が姿を現わす。


 ああ、世界も泣いているのだと、彼は思った。それが龍郎の意識なのか、サンダリンの意識なのか、自分でもわからない。


 玉座に、女王の姿はあった。

 駆けてきたサンダリンの姿の龍郎を見て戸惑っている。


 龍郎はパイプの筒先を女王にむけた。

 青い光がほとばしり、女王は倒れた。


 ガラガラと崩壊する世界の音を聞きながら、サンダリンは幸福だった。

 これで、やっと、母のそばにいられる。永遠に。


 今、とても満足だ。




 了

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