第十二話 朽ちる

第12話 朽ちる その一



 七つの世界が朽ちたとき、真の世界は現れる——



 遠くなる意識のなかで、龍郎は見た。

 サンダリンが自分の背中の翼を折りとるのを。

 そして、大きくなった体で、死した女王を抱きしめるのを。


 崩壊する世界のなかに、両者の姿は埋もれていった。


 ハッキリと目覚めたとき、そこは現実世界だった。氏家の屋敷だ。

 真夜中。

 屋敷のなかは静寂で満ちている。

 誰もいないのだろうか?


 龍郎は客間のベッドによこたわっていた。起きあがり、廊下へ出ていく。

 連日、狂乱の殺人劇を演じていた人々は、今夜はどうしているのだろう?


 それに、青蘭は?

 青蘭はどこにいるのか……。


 そっと廊下をうかがう。

 人影はない。


 暗いせいだろうか。

 なんだか、邸内のようすが、いつもと違って見えた。つねに重い空気に包まれてはいたが、今日はそれだけでもない。崩壊に向かう螺旋の巣のなかと、どことなく似ている。


 ポケットをさぐると、ライターが入っていた。自分の持ちものではない。


(そうか。前に清美さんが渡してくれてたっけ)


 たしか食堂に燭台があった。ロウソクが立てたままだったから、あれがあれば明かりになる。


 そう考えて、食堂へ行った。

 扉をあけてみて、龍郎は一瞬すくむ。

 テーブルに突っ伏して、誰かが倒れている。


 どうやら今夜の凶行はもう終わったあとだなと思いながら、龍郎は近づいていった。


 死体の髪が短い。男だ。

 うしろから銃で撃たれている。後頭部に穴があいていた。

 顔面を伏せているが、髪が白い。おそらく、冬真たちの祖父だろう。

 向かいの席には女も倒れていた。たぶん、そっちは祖母だ。


 龍郎はテーブルの燭台をたぐりよせ、ロウソクに火をつけた。わずかな明かりだが、さっきよりはよく見える。


 テーブルに座ったまま殺されている二人を見なおして、ギョッとした。


「な、なんだ、コレ?」


 思わず、つぶやきがもれる。


 この屋敷で毎夜、殺人がくりかえされていることは知っていた。しかし、翌朝には彼らは生き返り、何事もなかったように暮らしていた。


 狂気の夜のほうが、瑠璃の見る夢の世界だと思っていたのだが……。


(夢……たしかに、夢の世界だった。でも、そうか。この屋敷は螺旋の巣とつながっていた。螺旋の巣と、瑠璃の見る夢が、媒体の胎児の死体を通して相互作用することで、邸内の不思議が成り立っていた。螺旋の巣が瓦解してしまったから、この屋敷を瑠璃の見る夢の世界にとどめておく力が失われたんだ)


 これが真の姿だったのだ。

 屋敷のなかは、とうに終焉しゅうえんを迎えていた。


 そこにある死体は、冬真や瑠璃の祖父母に間違いない。しかし、いつもの夜のように殺された直後の真新しい死体ではなかった。


 朽ちはて、腐敗が進んでいる。

 眼窩がんかからは眼球が流れだし、乾いた穴になっている。ミイラ化が進んでいる。干物のように茶色くなった肉から、ところどころ白い骨が覗いていた。


 これは昨日や今日、殺された死体ではない。死んでから少なくとも数ヶ月は経過している。


 屋敷のなかが、いつもと違って見えたのは、蜘蛛の巣や埃で汚れていたからだ。ここしばらく、誰も邸内を手入れしていないようすだ。


 龍郎は不安になった。

 祖父母がこの調子なら、ほかの人たちはどうなっているのか?


「青蘭! 青蘭! どこにいるんだ?」


 二階に駆けあがっていくと、階段の途中で透子が倒れていた。これも、とうの昔に死んでいる。

 死体をまたいで、さらに上をめざした。瑠璃の寝室には勝久の死体があった。やはり、朽ちている。


(瑠璃はどこだ? 冬真は?)


 二人の姿だけ見えない。

 せめて、二人が手に手をとりあって、逃亡してくれていたらいいと願う。

 生きていてくれることのほうが、どれほど嬉しいことか。


 二階には二人はいなかった。

 階下に降りて、冬真の部屋へ向かう。

 そこにも人影はない。

 無人の虚無だけが、空々しく龍郎を迎える。


「どこなんだ? 冬真。瑠璃さん?」


 青蘭も、どこへ行ったのか。

 瑠璃と青蘭の共鳴は解けた。

 この屋敷のどこかに、青蘭は帰ってきているはずだ。


 それとも、七つの世界のすべてで青蘭を救うことができなかったからか?


 七つのうち六つの世界では、青蘭を生かせた。だが、一の世界の青蘭は龍郎が行く前に死んでしまっていた。一の世界の青蘭はもう帰ってこない。


 だから、青蘭は現実世界に戻ることができなかったのだろうか?


「青蘭! 青蘭ーッ!」


 イヤだ。おまえが戻ってこないなら、おれはなんのために、あんなに必死に戦ったんだ?

 おまえがいなくちゃダメなんだよ。



 ——僕たちは、つがいの鳥だ。どんなに離れていても、魂が呼びあう……。



 そう言ったのは、青蘭のほうなのに。


 そのとき、龍郎は気づいた。

 中庭のザクロの木のそばに、誰かが立っている。


 青蘭だろうか?


 龍郎は夢中で駆けだした。

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