第六話 四の世界

第6話 四の世界 その一



 地下室へ行くと、やはり、仕事部屋の壁には穴があいていた。それも、昨日より確実に大きくなっていた。


「わたし……ここ、嫌い」


 瑠璃がつぶやく。

 龍郎はその細い肩を抱いて、励ました。


「行こう。瑠璃さん。おれが、そばにいるから」


 昨日と同じ暗闇のなかへふみだす。


 けっきょく、今日は神父も現れなかったが、どうなっているのだろうか?

 フレデリック神父のことだから、無事なんだろうとは思うのだが。


 固い岩盤のような洞窟が、しだいに、あのフワフワした感触になる。

 手が壁にあたった。ボロボロと崩れる。腐食しているようだ。


(この柔らかさって、腐ってるからなのか?)


 とにかく、ここにいてはいけない。

 今、女王に出会っても昨日の二の舞だ。

 たしか、一の世界でルリムにつれだされたとき、足元の柔らかい場所から、そうでないところに向かっていった。そして、中央の塔から出ることができたのだ。


 龍郎は立ちどまった。

 かなり遠いが、前方にあの玉座が見える。


(まだ、あそこには行けない)


 ふと、にぎっていた手をながめた。

 なんだか、急にその手ざわりが変わったような気がしたのだ。女性のそれのように、ほっそりとなめらかな青蘭の手とは、なんだか違う。ゴツゴツして、力仕事でもする人のように筋ばっている。


 見ると、いつのまにか、となりに立っていたのは、ルリムだった。


「なぜ、君が……青蘭の手をにぎっていたはずなのに」


 ルリムは怒ったような目をしている。

 赤い目が闇に浮かびあがり、見ためは完全なる悪魔だ。


「青蘭? 誰よ、それ?」

「何を言ってるんだ。君がさらったんじゃないか。おれの大切な人を」


 ルリムは龍郎の手をふりはらって腕を組む。


「あなた、侵入者ね。どうやって、その首飾りを手に入れたの?」

「重要なのは、そのことじゃない。君を信用しろと、清美さんが言った。つまり、君とおれの利害は一致してるということだ。君の目的はなんだ? おれはこの世界の魔法を打ちやぶり、囚われた青蘭を救いだすことだ」

「だから、そんな人間、知らないわ」

「そんなはずがない。君が黒川温泉の宿から——」


 そこで、龍郎は気がついた。

 ルリムが青蘭を知らない。それは、まだということではないかと。


 試しに、龍郎は聞いてみた。


「祭は何日後だ?」

「時間のとらえかたが、あなたたちとは違うけど、今、あなたの思考から読みとった概念で言えば、七日後ね」


 やっぱり、そうだ。

 四の世界は青蘭がさらわれてくるより前の時間軸なのだ。


「ルリム。君はこの世界で何がしたい? おれと君は手を組めるかもしれない」


 ルリムは爪をかんで黙考する。

 その仕草が彼女の化身である冴子のときと同じだったので、龍郎はなんだか安心した。ルリムとは共闘できるという印象を深くする。


「ここでは、話せない。来なさい」


 命令口調だが、ルリムは洞窟のなかを案内してくれた。複雑な迷宮を通りぬけ、女王の塔を脱出する。そして、鉄骨の渡り廊下を四方の塔の一つに向かっていった。幽閉の塔ではない。そのとなりの塔だ。


「ここは王女の塔よ」と、ルリムは言った。


 ルリムがハッチに手をあてると、簡単にひらいた。なかは幽閉の塔にそっくりの構造だ。螺旋のスロープがゆるくカーブを描き、しだいに上部に伸びていく。


 ルリムは塔のなかの一室に龍郎をつれて入った。


「ここなら、秘密の話をしても、いくらかマシ。わたしの結界のなかだから」

「王女の塔って?」

「そう。わたしは王女」

「戦闘天使じゃないのか?」

「バカなこと言わないで。女は時期がくれば羽が生えるものよ。戦闘天使とは違う。天使はできそこないよ」

「ふうん?」

「だから、もうすぐ決断しなければならない」

「何を?」


 ルリムは赤い舌を出し、ペロリと唇をなめた。


「女王に忠誠を誓うかどうかを、よ」

「えっ? なんで?」

「この世界に女王は一人で充分だからよ。王女は女王に何かあったときのための予備でしかない。わたしはもうすぐ、予備の時期をすぎてしまうのよね」

「そうなのか」


 なぜ予備でなくなるのかはわからないが、重大な時期なのだろう。おそらく、ルリムにとっては一生を左右する決断だ。


「あなたは、どうしたいの? この世界の魔法を解くと言ったけど?」

「女王を倒す」


 にやッと、ルリムは口唇をつりあげた。

「いいわ。あなたと手を組む」

「取引成立だ。おれは女王を倒す。君は女王を倒すために、おれに手を貸す」


 握手を求めて、龍郎は右手をさしだした。が、そこで気がつく。自分の右手には苦痛の玉が埋まっている。それは、ふれるだけで悪魔を傷つけ苦痛を与える。悪魔のルリムには龍郎の右手をにぎりかえすことはできない。


「すまない。こっちで」


 かわりに左手をさしだした。

 左手の握手は別れのあいさつだと言うが、ルリムは人間のマナーなど気にしないだろう。


「変なことするのね。まあいいわ。じゃあ、契約成立ね」


 龍郎はルリムと手をにぎりあった。

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