宇宙は青蘭の夢をみる4(旧題 八重咲探偵の怪奇譚)『アザトースと賢者の石編』〜螺旋に巣食う〜

涼森巳王(東堂薫)

序章

序章



 山ぎわに沿うように、雑木林に囲まれた日本家屋が見えてきた。

 空き家を二百万で買った我が家だ。帰路の道中で清美に電話をかけたので、リフォームもすっかり完了したと聞いていた。あとは龍郎と青蘭の荷物を移してくるだけだ。


 龍郎はその家の庭に軽自動車を停車させながら、ため息をついた。

 今度ここに帰ってくるときは、必ず青蘭と二人だと決意して出発した。その場所に、けっきょく、龍郎一人で帰ってくることになるとは。


 とは言え、厳密には一人ではない。

 後部座席に、フレデリック神父が乗っている。ただ、それがつれ帰る予定の人とは違うというだけだ。

 助手席には、またもや青蘭の溺愛するユニコーンのぬいぐるみが、さみしげに転がっている。


 龍郎は青蘭を見失った黒川温泉に残って探すと言ったのだが、神父がここにいても青蘭は永遠に見つからないからと、帰宅を勧められた。


 そう。わかっている。

 青蘭がこの瞬間、地球上のどこにも存在していないということは。

 青蘭がつれさられてしまったのは、この世ではない場所。地獄だ。ルリムという女の悪魔にさらわれた。


 青蘭が今、どんな境遇にいるのか、無事なのかと考えると、いてもたってもいられない。

 ほんとうは今すぐに追っていきたい。だが、その方法がないから、しかたなく、神父の意見に従ってきた。なぜ、神父が帰宅を勧めたのかは、玄関の引戸をあけたとたんにわかった。


「おかえりなさい。龍郎さん。あれ? 青蘭さんは? お二人にお客さまが来られてるんですけど」


 玄関まで出迎えてくれた清美を見て、龍郎は不思議にも安堵をおぼえた。少し泣きたいような、甘えたいような、その気分は、まるで姉に対するものだ。清美に、いつのまにか家族のような心安さを感じていたのだろう。


 龍郎は泣きたいのをこらえ、つらい報告をした。


「……ごめん。清美さん。青蘭は、つれて帰ることができなかった。一度はとりもどしたんだけど」

「そうなんですね。あの、お客さまは、どうしますか? 帰ってもらいますか?」

「どんな人?」


 急に清美の目の色が変わった。

「めちゃくちゃ美形です! 青蘭さんと同じくらい! こっそり写真撮ったら怒られますかねぇ……?」


 忘れかけていたが、そうだった。

 清美はただ優しく清らかな女性ではない。腐っているのだった。美青年を勝手に妄想の餌食えじきにする腐女子。もちろん、龍郎と青蘭はかっこうの妄想の的だ。


 なんだか、龍郎は悩んでいるのがバカバカしくなった。青蘭を誘拐されてしまったことは悔しいが、いつまでも嘆いているだけではいけない。今こそ心を強くして、青蘭の救出に全力をそそがなければならないと思い立った。

 清美には、こんなところがある。存在じたいに他人を励ます力が備わっている。


「ありがとう。清美さん」

「えっ? 何? 写真、撮ってきましょうか?」

「いや、それは無断でやったら怒られると思う。いいよ。大事な用事かもしれないし、客に会ってみる」

「広間に通してありますよ。お茶運びますねぇ」


 広間というのは、玄関左横にある十畳と十二畳の和室だ。縁側のある表側の十二畳に、客はいた。


 それが、リエル・ガブリエラ・ソフィエレンヌ——フレデリック神父の属する組織、新薔薇十字団のリーダーだった。


 なるほど。清美が小躍りするには充分すぎるほどの美青年だ。たしかに、青蘭に匹敵する。プラチナブロンドとエメラルドグリーンの双眸のフランス人形のような美形。だが、どこか非人間的な淡白さを感じる。

 青蘭のほうが優雅で儚げで、危うい磁力のような魅力がある、と思うのは、恋人の欲目ばかりではないだろう。


「初めまして。リエル・ソフィエレンヌです。留守のあいだに失礼。どうしても急ぎの要件だったもので」と、リエルはキレイな日本語であいさつをした。


 龍郎はいぶかしみながらも、彼の向かいに座った。リエルが正座しているから、しかたなく、こっちも正座する。


「どうも。本柳です。ご要件はなんですか? あなたたちの誘いは断ったはずですが?」

「でも、八重咲青蘭をさらわれたんでしょう? あなたは我々の力を借りたい」

「まあ、そうですね」

「では、情報交換と行きませんか? あなたが我々にとって価値のある情報をくれれば、我々はその対価として協力をする」


 龍郎はリエルの女性のように線の細い美貌を見直した。なぜ、冷たく見えるのかわかった気がする。彼はその見ためからは考えられないほど合理的で、感傷的な感情に判断を左右されることがない。コンピューターといっしょだ。AIと話しているように、人間的な含蓄がんちくに乏しいのだ。


(でも、それならそれで取引はしやすい。ビジネスライクに話せる)


 龍郎は承諾した。

「いいですよ。だが、聞いたあとになって、さほどの情報じゃなかったから何もできないとは言わないですよね?」

「そんなことは言わない。我々はそういう、くだらない嘘はつかないよ」

「では、話せば最低でも、青蘭が拉致された場所へ行く方法を教えてください」

「確約しよう」


 ほっとした。

 これで少なくとも、青蘭を助けに行くことはできる。その方法が、たとえ、どんな困難なものであっても……。

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