第4話 ザクロの木の下に その三



 銃声が轟いた瞬間、悲鳴があがった。


 だが、龍郎のほうが一瞬、早かった。

 背後から透子の背中にとびつき、銃口の向きを変えていた。窓が割れ、蜘蛛の巣のようなヒビが入る。


 瑠璃は無事だった。

 その姿を見て安心した龍郎は、全身から、どッと冷や汗があふれてきた。


「フレデリックさん。この人を縛るもの、ないですか?」


 神父は手早く瑠璃のベッドからシーツをはぐと、それで手製の縄を作り、透子を縛りあげた。


「離せ! そいつも殺してやるッ! そいつも殺してやるんだァー!」


 透子がわめくので、さらに神父は枕カバーでさるぐつわもかませた。


「死んでるな」と、勝久の胸に手をあてて、神父は言う。


 ガウンの前をはだけて、勝久は倒れている。龍郎はその死体には目もくれず、瑠璃のもとにかけより、抱きしめた。瑠璃も嬉しそうに、しがみついてきた。


「もう大丈夫だよ。怖かったね」

「いいの。いつものことだから」

「えっ?」

「みんなが、わたしを殺そうとするの」


 龍郎は青蘭のような瑠璃のような、その人の瞳を見つめた。一つだけ明瞭なのは、彼女が助けを求めているということだ。


「どうして? どうして、みんなが君を……?」

「わたしが悪い子だから」


 龍郎は気づいた。

 彼女の体から男の匂いがすることに。

 見れば、下着をはいていない。かたわらに落ちている。黒いネグリジェで隠されているが、その下には何も、はいていないらしいと。


「わたしは嫌なのよ? ほんとは、いつも、すごく嫌だった……」


 龍郎は悔やんだ。


 なぜ、この屋敷に青蘭を一人きりで置いておいたのだろう。

 なぜ、つきっきりで、そばについていなかったのだろう。


 こうなることはわかっていたのに。

 これほどに麗しい人が、誰の庇護もなく無抵抗でいれば、誰だって……。


「ごめん。君を守れなくて」


 抱きしめると、青蘭はそっと泣きぬれた。なんだか、いつにも増して儚い。夢のなかの存在であるかのように。


「行こうか」と、言ったのは神父だ。


 たしかに、グズグズしてはいられない。ほんとの青蘭をとりもどしに行かなければ。


 龍郎は瑠璃の手をひいて、神父のあとについていった。

 わめきちらす者がいなくなったので、屋敷のなかは静寂で満たされていた。気持ち悪いくらい音がない。


「どっちへ行けばいい?」とたずねる神父に、龍郎は地下室のある方向を示す。


「一度目は地下室から行けた。あそこへ行けば、きっと今度も」


 二階へ寄り道したので、ムダな時間を食ってしまった。今夜はザクロの木の下をさぐるのはよそうと考えたのだ。


 客室の前を通りすぎ、廊下のかどをまがって、裏口に近いあたりまで来る。地下室へ続く暗闇は昼間に見るより迫力があった。視界に黒い陽炎がゆらめくような心地さえする。


 神父が言った。

瘴気しょうきだな」

「そうですよね。空気が穢されている」

「だからこそ、異界に通じているんだろう」


 龍郎は清美に受けとった懐中電灯をつけた。階段の照明をつけると、母屋から光が洩れ、冬真に見つけられてしまうかもしれない。懐中電灯の明かりなら、地下へ入ってしまえば外まで届かないだろう。


 龍郎が先頭になって、きざはしにふみだそうとした。が、瑠璃がためらう。おびえた表情を見せる。


「心配ない。おれがついてるから」


 言うと、ようやくついてきた。

 そのあとから神父が追ってくる。


 ワイン貯蔵室の前は通過する。

 この前のときにも異変があったのは書斎。何かあるとしたら、そこだ。


「ここまで来たら、明かりをつけても問題ないだろう」


 龍郎は壁のスイッチをひねった。

 そのとたん、ギョッとする。

 書斎のようすが様変わりしていた。

 先日とは、まったく異なっている。


 デスクとチェアだけのシンプルなコンクリ打ちっぱなしの部屋。

 だが、その壁の一面に、大きな穴があいているのだ。コンクリートが崩れおち、丸く洞窟のようになっている。壁の向こうにあるはずの、あの空間につながっている。ザクロの木の根元にあいていた、あの場所だ。


 懐中電灯の光をなげるが、穴のなかは途方もなく広い。さきが見えない。


「ここから螺旋の巣へ行くのか?」と、神父がたずねてくる。


「さあ」としか、龍郎は答えられない。この前は、こんな穴はあいていなかった。


「場所から言っても、怪しいのは事実です。行ってみましょう」

「ああ」


 コンクリートの瓦礫がれきを乗りこえ、穴のなかへ入っていく。懐中電灯の光だけが頼りだ。慎重にあたりを照らしながら進む。


 土の壁は今にも崩れそうな気がするが、さわった感じ、案外しっがりしている。天然の洞窟というより、人工のトンネルのようだ。ところどころにザクロの根とおぼしいものが、ヒョロヒョロとびだしているのがグロテスクだ。


 洞窟はななめに下へとくだっている。

 枝道はない。

 ひたすら直進だ。かなり急な勾配こうばいがある。


「どこまで続いてるんだ?」

「わかりません。こんなとこ、前はなかった」

「なんだ。君も知らないのか」


 ずいぶん長いあいだ歩いていった。

 不思議と疲れはない。

 時間の感覚があやふやになっていくだけだ。


 やがて、龍郎は妙な感覚になった。

 ここは、ほんとに知らないところだろうか?

 なんだか、前にも一度、来たことがあるような?


 そうだ。まちがいない。この匂い。

 まとわりついてくるような濃密な闇。

 それに、どこからか漂う、頭の奥をジンジンとしびれさせるような気配。


 境界がわからなかった。

 でも、ここは、あの場所だ。


(中央の塔。内部——)


 あの塔のなかにあった洞窟だ。




 了


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