第二話 螺旋の巣
第2話 螺旋の巣 その一
龍郎が気づいたとき、そこはあいかわらずの闇だった。だから、まだ、あの地下室にいるのだと思っていた。
「青蘭?」
抱きしめていたはずの青蘭がいない。
それに、なんだか声の響きが変だ。
コンクリートの壁の地下室だったから、小さな声でもよく響いた。外の物音は遮断され、独特の反響があった。でも今は、声が壁に吸われるように先細りに消えていく。
龍郎は立ちあがろうとして、瞬間、心臓が止まりそうになった。
床が柔らかい。固いコンクリの感触ではない。まるで、ウォーターベッドの上に乗っかっているみたいだ。それに、靴裏が妙に粘りつく。何かが、まといついてくるかのようだ。
(違う。あの地下室じゃない)
心臓が早鐘を打つ。
いったい、ここはどこだと言うのだろう? なぜ、とうとつに、こんなところに移動しているのだろう?
そう言えば、気を失う前に、現実世界から引き離されていくような違和感をおぼえた。長い、長い、夢のトンネルのなかを流されていくような、あの……。
(まさか、ほんとに来たのか? ここが、まさか……)
魔界——?
すると、どこか近くから音が聞こえた。
「青蘭?」
いや、違う。人間の身動きするような音ではない。もっと重い、巨大な何かが動く音だ。空気に生臭い匂いが漂った。
マズイと、直感的に悟った。
人ではない何かが近づいてくる。それはひじょうに巨大なものだ。ズシン、ズシンという地響きとともに、ズルズルと巨体をひきずるような音も耳につく。
とにかく逃げるしかない。
龍郎は無我夢中で走る。
足元がふわふわして走りにくい。妙な粘着力が靴底にベタベタ吸いついて、何度もころびかけた。
よくわからないが、洞窟のような場所だ。壁に手がふれると、ぬるっとした嫌なぬめりがあった。
まるで、巨大な生物の腸のなかにでも入りこんでしまったかのようだ。
背後の気配はいつのまにか遠のいていた。龍郎に気づいていなかったようだ。ひきかえしたか、脇道でもあったのだろう。
呼吸をととのえながら、龍郎は出口を探す。しかし、どうも、それらしいところがない。
目が闇になれてきたのか、うっすらとあたりのようすは見えるようになっていた。アーチ型の天井は、けっこう高い。七、八メートルはある。
(どこに行けばいいんだ? 青蘭は? 清美さんは? 冬真はどうなったんだろう?)
ここが魔界だとしたら、ずっとこの調子のヌルヌルした柔らかい腸みたいな洞窟が続いているのかもしれない。そう思うと、ウンザリした。
とにかく、どうにかして、青蘭を見つけなければ。
ここに飛ばされてくる前、青蘭は言った。今の自分はほんとの自分じゃない。ほんとの自分はもうじき殺される。だから、助けてほしいと。
(瑠璃さんは青蘭だ。だけど、ほんとの青蘭じゃない。なんで、そんなことになったかわからないけど。たぶん、魔法で記憶を封じられるかどうかしてるんだ。本体じゃないのかもしれない。本体の青蘭を見つけて、助けないと)
自分と青蘭のつながりがあれば、必ず探しだせる。龍郎はそう信じていた。
愛しているからというだけじゃない。これまでも何度も、そうだったように、龍郎の体内にある苦痛の玉と、青蘭の体内にある快楽の玉が呼びあうからだ。
それにしても、まずはこの場所がどんなところなのか、もっとよく知っておかないと。
魔界というからには、きっと悪魔がいる。さっきの巨大な何かも、きっとそういうものの一種だ。もしかしたら、この世界には、あんなものがゴロゴロいるのかもしれない。
(それにしても、清美さんがいないのは痛いなぁ。ここがどんな場所なのか、清美さんなら少しは知ってるかもしれないのに)
ため息をついていると、背後から誰かに腕をつかまれた。とっさに青蘭だろうかと思う自分は、ほんとに楽天的だ。
ふりかえると、そこに赤い目が光っていた。猫みたいなアーモンド型の双眸だ。
「うわッ!」
思わず、つかまれた手をふりはらおうとすると、しッと叱責される。
「バカじゃないの? あなた。せっかく、あたしが見逃してあげたのに、なんで、こんなとこまで追ってくるのよ?」
その声には聞きおぼえがある。
龍郎は闇に燃える赤い瞳をうかがった。光源のわからない不思議な光が、ほのかに彼女の顔を照らしたような気がした。
「冴子さん……いや、ルリムか」
青蘭をさらっていった女の悪魔だ。白い髪に褐色の肌。エキゾチックな面ざしが、ぼんやりとだが見てとれた。その背中には黒い双翼がある。
「なんで君が——って、そうだよな。ここは君の世界だ。いるのは当然だ。青蘭を返してくれ。どこにやったんだ?」
ルリムはチッと舌打ちをついた。
「そんなこと言ってる場合じゃない。ここがどこだか、わかってんの? 今すぐ、ここから出ないと、あんた、死ぬからね」
「えっ? どういうことかな?」
「つべこべ言わないで、こっちに来なさい」
つかまれた腕をグイグイひっぱられる。抵抗しようにも、ものすごい剛力だ。とても女の力とは思えない。やはり、抜群の美女に見えても、悪魔なのだ。人とは違う。
連行されるように、ひきずられていくうちに、いつのまにか、ヌメヌメした柔らかい洞窟のようなところから出ていた。床が固い。靴裏に吸着してくるような感触もなくなった。
「どこへ行く気だ? おれを殺すのか?」
ルリムは笑った。
「そうだったら?」
もちろん、殺されるわけにはいかない。戦うべきか、ルリムの手をふりきって逃げだすべきか、龍郎は迷った。
「あたしが、あなたを殺すつもりなら、どうするの? 龍郎」
目の前の赤く光る双眸をながめながら、龍郎はルリムのすきをうかがった。だが、すきがない。なんだか武人のように、するどい殺気を放っている。
龍郎が息を呑んでいると——
急に周囲でバタバタと大勢のかけよる足音が聞こえてきた。
「しまった。やつらに勘づかれた。ママに気づかれたのね」
ルリムが言ったとたんだ。
わらわらと周囲に人が集まってくる。スリムな防護服のような白い服を着て、フルフェイスのヘルメットで頭部を包んだ集団だ。二、三十人はいただろうか?
「なんだ? あれ?」
「天使よ」
「えッ? 天使?」
ここは魔界だったはずだが、魔界に天使がいるのだろうか……?
混乱する龍郎の前で、天使たちが銀色のパイプのようなものをかまえ、いっせいにこっちに向けてきた。
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