第2話 螺旋の巣 その五



 天使はとても小柄だ。

 やや背の低い女性くらいの体つきである。戦闘用天使と違って、レーザー光線を発するパイプも持っていないし、彼ら相手なら、一対四でも楽勝である。


 しかし、彼らを倒したあとが、どうなるかわからない。戦闘用天使がわんさか集まってきては困るのだ。

 こっちは、まだ肝心の青蘭の居場所がつかめていないのだから。


 ランチボックスのような箱を持って、天使の一人が室内に入ってくる。

 なんとか、こいつが出ていくまで、やりすごしたい。


 龍郎は呼吸さえ止めて、じっと気配を殺す。


 入口の天使たちは微動だにしない。侵入者がいるとは疑ってもいないようだ。


 だが、ランチボックスを持った天使のようすは、近づいてくるにしたがい、ベッドに遮られて上半身が見えなくなる。さらに、ベッドに腰かける冬真のかたわらに立つと、龍郎からは、その足元だけが、かろうじて見てとれるようになった。表情が見えないものの、所作が落ちついているから、龍郎には気づいていない。


 やがて、ゆっくりした足どりで出ていった。網戸のような扉が閉まり、足音が、さらに上部へ向かう。この上に、まだ部屋があるようだ。


 龍郎はそれでも、しばらくのあいだ、ベッドの下に隠れていた。

 数分後、足音が今度は下へおりていく。数分で行って帰ることができるのは、せいぜい一室だろう。つまり、この上に捕まっているのは一人だけ。一室に一人が入れられているとしたら、の話ではあるが。


 でも、なんだか、そこに囚われているのが、青蘭ではないかという気がする。出入口からもっとも遠い最上部に監禁されている囚人は、それだけ重要なのではないかと思える。


 龍郎は天使たちの足音が聞こえなくなるのを待って、ベッドの下から這いだした。


「さあ、冬真。逃げよう。もうすぐ祭りなんだろ? その前に、青蘭を助けて、ここから逃げださないと」


 龍郎がうながすと、冬真は哀れむような目で見あげてくる。


「さっき、言おうかどうか迷ったんだけど、やっぱり、勘違いしてるね」

「え? 勘違い?」


 冬真は痛ましくて龍郎の顔を見ることができないとでも言うように、うつむいた。


「祭りなら、もう終わったよ。三日前に」

「えッ?」


 そんなバカな。青蘭はもうすぐ祭りだと。そのとき贄にされるから、それまでに助けてくれと……。


 龍郎は重いかたまりを飲みおろすように、ゴクンとつばを嚥下えんげする。ほんとうは聞きたくなかったが、たしかめないわけにはいかない。


「……青蘭は?」

「今年の贄は、異世界からつれてこられた、とても珍しい男だったって。体のなかに、貴重な天界の宝玉を持った、天使のように綺麗な男だった……って、聞いた」

「そんな……」


 そんなこと、あるわけない。

 青蘭が、あの青蘭が、すでに、この世にいない、なんて……。


 龍郎は思わず走った。

 網戸をすりぬけ、スロープをのぼっていく。となりの部屋のなかに、青蘭はいるはずだ。きっと、まだ、そこに囚われている。


 かけあがり、隣室にとびこむと、壁にすえつけのベッドが、ここにもある。その向こうに窓が見えた。窓の前に誰かが立っている。逆光になって黒く輪郭だけ浮かびあがっているが、細身のその姿は、まちがいなく青蘭だ。


「青蘭——!」


 抱きしめようとした龍郎は、その直前に硬直した。窓からの薄明かりがその人を照らしている。


 違う。青蘭ではない。

 ある意味、青蘭ではある。でも、これを青蘭と言っていいのかどうか。


 それは、瑠璃だ。

 黒いレースのワンピースを着て、つややかな髪を胸まで伸ばしている。

 全身がほのかに青白く光っていた。


「……青蘭?」


 瑠璃は悲しげな目で龍郎をながめた。澄んだ瞳から、水晶のような涙が盛りあがり、すうっと白い頬を伝いおちる。


「遅かったよ。龍郎さん。この世界での僕は、もう死んでしまった。でも、まだ希望はある。この世界は螺旋だから。七つの世界のすべてで同じ結果にならなければ、くつがえすチャンスはある。僕、もう一度、あなたといっしょに生きたい。お願いだよ。次は、必ず……これを、あなたにあげるから」


 それが青蘭の霊体であると、龍郎はようやく気づいた。


 青蘭は自分の首にかけたペンダントを両手で外し、龍郎の首にかけてくる。ザクロ石の飾りのついた、あのペンダントだ。


 青蘭の姿がしだいにぼやけてくる。


「青蘭! 行くな——」


 あわてて、龍郎は青蘭を抱きしめようとした。だが、龍郎の手は虚空をかきいだく。淡い微笑みを残し、その姿はおぼろになった。


「青蘭! 青蘭ッ!」


 龍郎の声だけが虚しく響く。

 茫然自失しているうちに、どこか遠くで、かすかな音がした。なんだろうと頭のすみで思ったが、すぐに動く気になれない。青蘭が死んでしまったのなら、ここに来た意味はどこにもない。龍郎の存在意義も。


(ダメだよ。青蘭。おまえがいなきゃ……)


 青蘭のいなくなった世界に、生きていく価値なんてあるのだろうか?


 立ちつくしていると、いつのまにか、部屋の外にズラリと人影が立っていた。音もなくドアがひらくと、数十人の戦闘天使がならんでいた。パイプ銃をかまえている。


 次の瞬間、レーザー光がいっせいに龍郎に集中した。蜂の巣にされて、一つの世界での龍郎の生は終わった。




 了

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