第6話 四の世界 その三



 赤ん坊の像がものすごい速さでブレる。増えたり、減ったり、重なる瞬間が見定められない。

 もしも外したらと思うと、なかなか撃てない。


 見つめていると、ゆっくりと赤ん坊が目をひらいた。その瞳を見て、龍郎は硬直した。深く澄んだ瑠璃色の瞳は、まるで青蘭のそれのようだ。


「青……蘭?」


 赤ん坊の瞳から視線をそらすことができない。魅入られたように凝視し続ける。


 すると、その瞳の奥に景色が見えてきた。黒々と闇のなかに枝を伸ばすザクロの木。その根元で涙を流す青蘭……? いや、違う。長い黒髪やワンピース姿のほっそりした体つきは青蘭に似ているが、別人だ。


 その人は泣きながら、ザクロの根かたに何かを埋めている。


(何を埋めてるんだ?)


 手元までは見えないが、声が聞こえる。


「ごめんなさい。さよなら。わたしの大切な……」


 その人がこっちをふりかえる。

 まるで、龍郎のことが見えているかのように。

 その顔、やはり青蘭ではない。だが、知っている人のような気がした。


「壊して。壊して。もう逝かせてあげて」


 その人の瞳から涙がこぼれおちた。

 時間が止まったような不思議な感覚に包まれる。赤ん坊の像が、ピタリと一つに重なった。


 龍郎のかまえたパイプから光が発する。虹色を帯びた金色の光が、赤ん坊の胸のまんなかをつらぬいた。赤ん坊は積み木のように崩れおち、ビシリと空間に裂けめが生じる。次元を超えて世界に傷がついた。そんな感覚に襲われた。


 やったのだ。

 魔法の媒体を一つ、確実に七つの世界のすべてで破壊した。

 これで女王に一歩近づいた。


 しかし、喜びもつかのま。

 あたりに警報の音が鳴り響く。

 塔の下から、戦闘天使が蟻のように、ワラワラと寄り集まってくる。


 そのなかに、あの天使がいた。

 背中に翼を持つ邪眼の天使だ。サンダリンという名の戦闘天使。


 崩壊する塔の頂きの瓦礫がれきをすりぬけ、低空飛行でこっちに向かってくる。

 すごい速さだ。

 一直線につっこんでくれば、その勢いだけで、龍郎は塔の下までふきとばされる。


(くそッ。せめて、あと一つ、媒体を壊せたら——)


 少しでも女王にアタックできる回数を増やしたい。そのためには、この四の世界で、できるかぎり粘っておかないと。


 パイプをかまえ、狙いをつける。が、発射された光線はさっきにくらべ、ずいぶん細い。サンダリンは器用に空中で旋回して、舞うように龍郎の攻撃をかわす。みるみる、龍郎の目前にまで迫ってきた。


 衝突はさけようがなかった。

 邪眼ににらまれ、体が動かない。

 猛スピードでダンプカーがぶつかってきたような、ものすごい衝撃のあと、龍郎は塔の外までなげだされた。


 空中を落ちていく。

 数十メートルの高さから。

 風を切る音を聞きながら、龍郎の意識は朦朧もうろうとしていった。


 翌朝。

 目がさめると、龍郎はベッドの上にころがっていた。いつのまに、氏家の客間に帰っていたのだろうか。


 一瞬、そう思ったのだが、違っていた。


 あたりが仄暗い。

 それに、まるで牢獄のなかのように殺風景だ。


 この景観には見覚えがある。

 幽閉の塔のなかだ。


(おれ、捕まったのか?)


 あの高さから落ちて無傷だったとは思えないのだが。


(そうか。サンダリンには翼がある。あいつが落下途中でおれを捕まえて、ここに入れたんだな)


 それなら、まだ希望がある。

 この場所をぬけだすことさえできれば、他の塔の魔法媒体も損壊させられるかもしれない。


 だが、そのとき、足音が近づいてきた。やがてハッチの前で止まる。入ってきたのは天使たちだ。一の世界で見た、囚人の世話係である。妙な機械のようなものをワゴンに載せている。


 四、五人でやってくると、龍郎が起きあがろうとするより早く、機械を龍郎の頭や手足にとりつけた。


「あっ、おい。何するんだ。離せ」


 労働天使だと思って油断していた。

 彼らが機械のスイッチを入れると、龍郎は深い睡魔に襲われた。


 龍郎は夢を見ていた。

 夢のなかで見る夢。


 夢のなかで、龍郎はなぜかリエルと話していた。早口でまくしたてているので、声が聞こえない。

 まるで水槽のなかから外をながめる熱帯魚のようだ。振動で音は伝わるが、言葉としての細部まで聞きとれない。うっすら膜が張ったように、ボコボコとしか聞こえなかった。


 それでも、リエルが喜んでいるらしいのはわかった。能面のようなポーカーフェイスが嘘のように微笑している。こんな笑いかたもできるのかと、夢のなかの龍郎はうっすらと思う。


 ボコボコ。ボコボコ。ボコボコボコ……。


 そのあいまに、うっすらと言葉の切れっぱしが届いてきた。



 ——君だったのか……魂の形が…………だからこそ、苦痛の……が……を選んだ。



(何を言ってるんだ? 聞こえないよ)


 すると急にリエルの言葉が明瞭になる。


「安心したまえ。二の世界の青蘭はまだ生きている。だが、あいつを信用するな。私はあいつこそが…………だと疑っているのだ」


「そんなわけがない。青蘭は…………なんかじゃない」


「でも、我々のなかに間諜スパイが潜んでいるのは確実だ。あいつしか考えられないんだ」


「よくそんなことが言えるな。アスモデウスは君の兄だろ?」


「広い意味では我々は皆、兄弟のようなものだ。彼だけが特別な存在ではない」


「おれは信じない。君は間違ってる」


「あいかわらず、頑固だな。◯◯◯◯」


 自分の名前を呼ばれたはずなのに、よく聞こえなかった。


 リエルはさみしそうに笑うと、つぶやいた。


「まあいい。今はとにかく、邪神を倒すことが先決だ。君の魂が消滅していなかったことだけでも、私には朗報だったよ。次は五の世界だ。せいぜい、やられる前に一つでも多くの媒体を破壊してくれたまえ」


 リエルの姿が霞みのむこうに隠れる。


 龍郎の意識は闇のなかに落ちた。




 了



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