第四話 ザクロの木の下に
第4話 ザクロの木の下に その一
なぜだ。なぜ逃げないんだ。青蘭——
呆然としているうちに、目の前に有翼天使が迫っていた。
あわてて、龍郎は走った。労働天使をつきとばしながら、細い鉄柵を乗りこえる。交差する別の廊下にとびおりようとした。
が、そのとき背後から体をつらぬかれる衝撃があった。肩に激痛が走り、バランスをくずす。
そのまま、龍郎は意識を失った。
次に目をあけると、そこは氏家家の中庭だった。庭に折りかさなるようにして、瑠璃とともに倒れていたのだ。龍郎の胸にすがるように目をとじる瑠璃を見て、龍郎はわけもなく悲しくなった。
またダメだった。
いったい、いつになったら、ほんとの青蘭をとりもどせるのだろう。
「せ……瑠璃さん」
抱きおこすときに、龍郎は気づいた。
胸がない。貧乳とかいうんじゃない。たぶん、この平坦さは
「青蘭?」
長い睫毛をまたたかせて、瑠璃が目をひらく。龍郎を見て微笑んだ。
だが、そのとき、バタバタと足音が近づいてきて、あわてたように冬真が駆けつけてくる。
「龍郎! 瑠璃に何してるんだッ!」
怒りもあらわにして、龍郎から瑠璃をひきはなす。
「何って、二人とも急に気を失ったから。ここの木の下を掘ってくれって瑠璃さんに言われて——」
冬真は龍郎の指さす穴をふりかえり、青ざめた。
穴は、そこにあった。
龍郎が失神する前のときのままだ。
しかし、そのなかにあったはずの死体は消えている。ただ、がぽりと大きな空洞が木の根元にあいているだけだ。
「なんてことするんだ! すぐ埋めないと!」
冬真はシャベルを手にとり、穴をうずめようとする。
しかし、それをひきとめるように、瑠璃がすがりつく。
いったい、その穴のなかに何があるというのだろう?
瑠璃はどうしても、そこに葬った何かが気になってしかたないらしい。
兄妹がおたがいをうかがいあっているすきに、龍郎は穴のなかをのぞいてみた。やはり、何もない。あのとき見た青蘭の死体は幻影だったのだろうか?
(それにしても深い穴だなぁ。どこまで続いてるんだ?)
なんだか見つめていると、頭がクラクラする。めまいを誘うほどに底の知れない深さがある。
まるで、地球の裏までつながっているかのような……。
龍郎は試しに、小石を一つ、穴のなかに落としてみた。が、石は深く深く闇のなかに吸われるように消えて、そのまま音も聞こえなかった。底がないかのような感触だ。
「瑠璃。離れるんだ。早くしないと、ヤツらが来るぞ!」
冬真はあれほど可愛がっている妹をつきとばして、大急ぎで穴を埋めた。あんなに底知れぬ空洞なのに、龍郎が掘ったあとのわずかの土をかけると、もうふさがってしまう。なんとも異様だ。現実の論理を超越している。
(もしかして、この空洞が、螺旋の巣に通じてるんじゃないか?)
そう考えると納得がいく。
屋敷の地下室は中庭にむかって伸びていた。地下の書斎のある位置は、このザクロの木のすぐそばのはずだ。つまり、地下で壁一枚をへだてて、木の根元の空洞と背中あわせになっている……。
だから、このペンダントを持っているだけでは、螺旋の巣へ行くことができないのかもしれない。
この木の下にある空洞が、異次元への接点なのだとしたら。
冬真は穴をふさいでしまうと、目に見えて安堵した。瑠璃の手をひいて逃げるように去っていこうとする。
「待ってくれ。冬真。さっき、この穴からヤツらが来るって言ったよな? ヤツらって、なんだ?」
冬真は困りはてたようだ。
龍郎を見つめたあと、進退きわまったふうで言いすてる。
「君の聞きまちがいじゃないか? そんなこと言わないよ」
「違う。ハッキリ言ったよ。『早く穴を埋めないと、ヤツらが来る』って。冬真。この屋敷が異常な状態なのはわかる。でも、協力してくれないと謎は解けない。君は何を隠してるんだ? 教えてくれないか」
「何も隠してなんかいないよ」
「じゃあ、言わせてもらうけど、君がつれていこうとしてるのは、瑠璃さんじゃない。青蘭だ。おれの大切な人なんだ」
冬真の表情が硬質になる。警戒と怒りの念が見えた。
「バカなことを言うなよ。これは瑠璃だ。龍郎くんこそ、どうかしてるんじゃないのか?」
「どうかしてるのは君だろ? だって、その人は男だ。女装してるけど、その服の下はれっきとした男だ。妹と言い張るにはムリがある」
冬真は黙りこんだ。
言いわけを考えているように見えた。
そして、とつぜん、瑠璃の背中にまわると、ワンピースのジッパーをおろした。
「——おい、冬真!」
龍郎が止めるのも聞かず、冬真は瑠璃の肩からワンピースを落とした。黒い女物の下着をまとう瑠璃の裸身があらわになる。瑠璃は完全にされるがままだ。青蘭なら少なくとも怒るだろうに、何をされているのかわかっていないようだ。
むしろ、憤ったのは龍郎のほうだ。
愛する人がほかの男に人前で服をぬがされた。それも、自分の意思に反して。こんな屈辱、耐えられない。
「おい! よせよ。冬真! いいかげんにしろ」
「こうしないと君が認めないだろ? ほら、見ろよ。どこからどう見ても、瑠璃は女だ」
言いながら、冬真は瑠璃のブラジャーのホックを外した。なめらかな白い胸が陽光にさらされる。
龍郎は愕然とした。
怖かったのだ。なぜ、これを見ても、冬真がまだ瑠璃を自分の妹だと主張できるのか。
思ったとおり、そこに女性の乳房はなかった。まちがいなく、男なのだ。女性の肌のようにきめ細やかで、なまめかしい芳香を放ってはいるが、女ではない。
「冬真……」
龍郎は冬真の正気を疑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます