第1話 ザクロ館 その三



 外から見たときにも、その屋敷はなんとなく薄暗い感じを受けた。なかに入ると、その印象はますます深まる。


 それに、ひさしぶりに会った冬真のようすが、以前とは異なっている。


 たしかに、清美の言うとおり、成長した冬真はちょっと線の細い青白い肌の美青年だ。だが、どこか病みあがり風の暗いかげりがまとわりついている。以前は、いっしょに校庭をかけまわる元気な少年だったのだが。


「冬真。いつ、こっちに戻ってきてたんだ? 知らせてくれたら、遊びに来たのに」

「ごめん。連絡先、わからなくて」

「うちの実家の電話番号、ずっと同じだよ」

「そうなんだ」

「それにしても、こんな豪邸に住んでたんだ。知らなかったなぁ」

「ああ、うん。ここは祖父母の家なんだ。ひいおじいさんが、なんか、米の相場でものすごく儲けたんだって。立派なのは家だけだよ」

「ふうん」


 小学生のころは、龍郎の実家が山奥にあるので、バスの時間が決まっていて、校庭や学校の近くでしか遊ぶことができなかった。あのころ、この屋敷を見ていたら、きっと、一日中でも冒険したいと思ったことだろう。


 龍郎たちは、一階にある食堂に案内された。それは一般家庭の食卓というよりは、完全に“大食堂”だ。貴族の家にあるやつである。


 中庭に面したフランス窓。

 二十畳近い広さの一室に、大きな長卓が置かれている。白と黒の大理石調のチェッカーの床。天井にはシャンデリアだ。


 龍郎の実家もけっこう大きなほうだが、これには圧倒される。


「どうぞ。すわってください」と席を勧められ、窓ぎわの椅子にすわった。


 冬真はいったん一人で食堂から出ていき、銀の盆に茶器を載せて帰ってくる。


「ごめん。前はお手伝いさんがいたんだけど。こんなものしか出せない」


 そう言って、龍郎と清美の前に紅茶を置いた。


「あっ、遅くなりました。これ、どうぞ。お近づきの印に。わたしが焼いたんですよ」


 清美の持参したマドレーヌが、そのままお茶うけになった。意外に美味い。売り物にしてもいいくらいだ。


「これ、ほんとに手作り? えーと……」と、冬真が首をかしげるので、まだ紹介してなかったことを龍郎は思いだした。


「あっ、この人は遠縁の遊佐ゆさ清美さん」

「清美さんか。すごく上手だね。ケーキ屋さんになれるね」


 冬真が微笑すると、清美はわかりやすく赤くなった。むむむ、とかなんとか口のなかで言っている。


 そのあと、龍郎たちは旧交をあたためながら、おたがいの事情をいろいろ話した。


 龍郎は大学を卒業して、探偵の助手になったこと。兄が亡くなったこと。雇い主の探偵と、秘書である清美の三人で住むために、近所に引っ越してきたことなど。もちろん、探偵というのが悪魔祓いを専門にするオカルト探偵だとは言わない。ましてや、上司の探偵と正式につきあっている、なんてことは。


 冬真は東京の大学を卒業したものの、以前から患っていた持病が悪化したので、療養のために実家に戻ってきたのだと語った。


「そうか。じゃあ、今、この家、冬真しかいないの? かなり広いのに管理が大変そうだなぁ」

「祖父母がいるよ。それに、妹が。妹はこっちの大学に通ってるから。今日は週末だから、ちょうど両親もいるしね」

「冬真くんって妹いたっけ? 覚えてないなぁ」

「えっ? 忘れちゃった? 瑠璃るりが聞いたら、きっとショックだと思うよ」

「瑠璃さん……か」


 小学生のころのことを記憶の底からしぼりだしてみると、たしかに、冬真には妹がいたような気がする。おとなしい子で、あんまりいっしょに遊んだ記憶がない。


 それに、思いだしたが、冬真の今の父は母親の再婚相手だったはずだ。その人の仕事の都合で引っ越していった気がする。


「ところで、病気って? 持病なんてあったんだ?」

「うん……」


 冬真は言葉をにごした。

 言いたくないのかもしれない。

 しつこく問いただすべきではないと、龍郎は判断した。


 何よりも、ここへは昔の友達と話すために来たわけではない。青蘭を助けに行くために来たのだ。


 この屋敷のどこかから魔界へ行けると清美は言うが、ほんとうだろうか? 事実だとしたら、今すぐにでも行きたい。よもやま話に花を咲かせている場合ではない。


(とは言ってもなぁ。いきなり、家のなか、ウロウロするわけにも行かないしな。どうにかして調べられないかな)


 いや、それよりもまず、なぜ、自分の友人の自宅が魔界なんかに通じているのだろうか? そんなバカなことがあるだろうか? ふつうに考えて、一般家庭に魔界への入口はない。


(やっぱり、リエルが帰ってくるのをおとなしく待ってるべきだったかな?)


 龍郎はため息をつきながら、ティーカップを手にとる。


 どうにかして屋敷のなかを調べられないかと考えあぐねていると、冬真に夕食に誘われた。


「こんなに楽しいの、何年ぶりかなぁ。いっしょに夕飯、食べていきなよ」

「図々しくないかな?」

「ぜんぜん。母や妹も喜ぶよ」

「そうかな? じゃあ、遠慮なくご馳走になろうかな」


 そんな流れで、晩餐をともにすることになった。

 日が暮れて、シャンデリアに明かりが灯ると、氏家の家人が集まってくる。祖父母という白髪の老夫婦。優しそうな母親。厳しい父親。二つ年下だという、冬真の妹……。


 でも、その人を見て、龍郎はあぜんとした。


「妹の瑠璃だよ」


 冬真がそう言って紹介したのは——


 磨かれた雪花石膏アラバスターのように純白の肌。

 つややかな黒髪。

 長いまつげが印象的な双眸。

 細く通った鼻筋。

 ふっくり赤い唇。

 総レースの黒いワンピースを身にまとい、黒髪を胸までたらしている。


 この世に二つとない完璧な美貌。まるでその人の背中に妖精の羽が透けて見えるような。指のさきまで儚げで、しなやかな、夢のような美少女……だが、そのおもては、まちがいようもなく——


「青蘭?」


 思わず席を立ち、龍郎は問いかけた。

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