第1話 ザクロ館 その四



 いったい、何がどうなっているのだろう?

 悪魔にさらわれたはずの青蘭が、目の前にいるなんて?


「青蘭! 青蘭だろッ? 無事だったんだな!」


 龍郎がかけよると、美女は迷惑そうなそぶりで見あげてきた。おかしい。青蘭なら「龍郎さん! 会いたかった」と叫びながら、瞳をうるませて抱きついてくるはずだ。


 だが、じっさいには警戒するような目をして、こう言い放った。

「あの……どなたですか?」


 龍郎はがくぜんとする。

 これは、青蘭じゃないのだろうか?

 でも、その麗しい造作は見れば見るほど、青蘭だ。龍郎の愛しいただ一人の人である。見違えるはずがない。


 すると、食卓から冬真が穏やかな声をかけてくる。


「瑠璃。忘れてしまったの? 本柳龍郎くんだよ。瑠璃が小学生のころ、好きだった人じゃないか」

「そうなの? 冬真。ごめんなさい。わからないわ。わたし」と、青蘭の顔をした瑠璃は言った。


 なんだか頭痛を抑えるように、こめかみに指をあてながら、瑠璃は冬真のとなりに座る。


 そのとき、龍郎は見た。

 瑠璃が前髪をかきあげると、その下の白いひたいがあらわになる。そこに、ほんの数センチだが、小さな火傷の痕がある。


 青蘭だ。まちがいなく、青蘭だ。

 あの火傷は、青蘭が子どものころに負った火事の傷跡の名残。

 たとえ、女物のワンピースを着ていようと、さらわれてからほんの数日で髪が二十センチも伸びていようと、その痕があるかぎり、青蘭であることは疑いようがない。


(なん……で? なんでだ? 青蘭が女に……冬真の妹? わけがわからないぞ)


 ぼうぜんとしているうちに、食事が進んだ。なにやらオシャレなメニューをならべられたが、さっぱり記憶にない。晩餐のあいだ、ずっと瑠璃と名乗る青蘭を見つめていた。


 青蘭は龍郎の視線が気になるようで、たびたび目があった。食欲もないようだし、なんだか具合が悪そうだ。顔色が青い。


(青蘭……おまえに、いったい何があった? おまえがおれを忘れてしまうなんて)


 無言の食事会が終わった。

 龍郎は我を忘れていたからかまわないが、冬真の家族は何も思わなかったのだろうか? あるいは、それがいつものこの家庭の団欒だんらんなのか……。


「ごちそうさまでした」


 龍郎以外の全員がナイフとフォークを置いたので、しかたなく、龍郎もそれをテーブルの上に戻した。これ以上、時間をかせぐことはできない。とは言え、このまま、青蘭をここに残して帰ることなんてできない。どうしたらいいんだろうと考えていると……。


 とつぜん、あたりが真っ暗になった。

 停電したのだ。


「なんだ? どうしたんだ?」

「夢のとおりですねぇ」


 龍郎のつぶやきに応えたのは、むろん、清美だ。

 同時にとなりの席が、ほんのり明るくなった。清美がポケットからスマートフォンを出したのだ。その明かりで、かろうじて視界が戻ってきた。


「龍郎さん。ここにロウソクがあります」


 清美の言うとおりだ。

 テーブルに飾りとして置かれた燭台しょくだいに、ロウソクが三本立ててある。火はついていない。


「龍郎さん。これ、どうぞ」と、清美がライターを渡してくる。夢で見ているからだろうが、やたらに準備がいい。


 ロウソクに火をつけると、やっと室内のようすを見渡せた。


 そして、ギョッとする。

 みんな、テーブルに上半身を伏せている。停電に驚いて失神してしまったのだろうか?


 あわてて、龍郎は立ちあがり、一番近くにいた、冬真の母親の首に手をあててみた。ドキリとするほど冷たい。


「うわッ」

「どうしたんですか? 龍郎さん」

「脈が……脈がない!」

「ええッ?」

「ええッて、清美さんは夢で見てるんだろ?」

「細かいとこまではわからないんです。まさか、死んでるんですか?」

「死んでるというか……たぶん、そうなんだろうけど」


 そのとなりの冬真の祖母も確認してみた。やはり、脈拍が止まっている。


「青蘭? 青蘭は?」


 青蘭は龍郎の正面の席で、じっとこのようすをながめている。龍郎はホッとして、青蘭に歩みよった。


「青蘭? 大丈夫?」


 だが、青蘭は無機質な目で龍郎を見るばかりだ。ようすがおかしい。感情がないみたいだ。


 青蘭のとなりでは、冬真もテーブルにつっぷしている。手首をとってみるものの、冬真の心臓も鼓動を止めてしまっていることを確認するだけの結果となった。


「いったい、これは……」


 すると、そのとき、どこからか風が入りこんだのか、ロウソクの火が三つ同時に、すっと消えた。また闇があたりを包む。が、そのあとすぐに、シャンデリアに光が戻った。パチパチと何度かまたたいて、室内は充分な明度をとりもどす。


 その瞬間、真の意味で、龍郎は驚愕するハメになった。


 氏家の人たちが全員、いるのだ。


 さっきまで心臓が止まっていたはずの人たちが、ふたたび動きだしている。すました顔で食後のコーヒーなど飲みながら、燭台を手に立ちつくす龍郎に、まるで奇異なものでも見るような視線をなげてくる。


(そんな……たしかに、脈拍が止まっていた。みんな、死んでいたはずだ)


 わけもなく、ゾッとした。

 そこはかとなく異様な空気が漂っている。

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