樓蘭百貨大樓
捨石 帰一
第1話 樓蘭
「どうして虫は六本脚なの!」
扉を開け放って飛び込んできた少女は、いきなり言い放った。
「私はそれが知りたいの!」
知りたいと言われましても…。
「望みは何でも叶えてくれるんでしょ!」
いや、うちは、何でも叶えるんじゃなくて、何でもそろえる店なんだけど…。
そう、何でもそろう不思議なお店
ここは地の果て、砂漠のはずれ
夢も売ります
愛も売る
その名も
樓蘭百貨大樓
「そういう話は、うちじゃ、ちょっと…ね」
ヒューストン・ストリートは、目の前のテーブルに両手をつっぱって、キッとこちらを見据えている少女から目をそらすと、助けを求めて、仕入れ係の方に視線を投げる。
が、仕入れ係の男は、そ知らぬふりで、冷めたコーヒーをすすっている。
ヒューストンは、座ったまま足を組みなおすと、もう一度、少女の顔に視線を戻す。
高校生。いや、もう少し下…。
「いいこと!私は、この店の評判を聞いて、はるばるやって来たんだから」
『はるばる』どこからやって来てくださったのやら。まあ、確かに、この炎天下、『はるばる』やって来てくださったんだろう、その証拠に、少女の耳元から頬をつたって、大粒の汗が流れ落ちている。
ヒューストンは、黙ってそんな少女を見る。といって、別に見つめた訳ではない。
けれど、その沈黙が、色白の少女の顔を、さっと赤らめる。
「なによ!」
どうにも、女、子供は苦手だ。
ヒューストンは、再び仕入れ係に助けを求めようと、背後へ視線を泳がせる。
「具体的にお探しのものがおありなら、何がしか、それに叶う品物をお出しできるんですけれど。残念ながら、うちにはそのような『好奇心』を満足させるというような品は置いてないんです」
最近凝っているらしい『香』だか何だかの独特の香りを漂わせて、いつの間にかヒューストンの後ろに立っていた仕入れ係。いつになく丁寧な口調で少女にそう答えると、手に持った紙コップをテーブルに置いて少女に勧める。中には、すっかり冷めきった、煮しまってしまっているコーヒーの上に、溶けきっていないミルクが渦(とぐろ)を巻いている。
「それをなんとかするのが、この店でしょ!」
少女は、胡散臭げに、机の上のコーヒーと仕入れ係を交互に見くらべる。
「うーん、まあ、そこはそれ」
仕入れ係は、ヒューストンの横の椅子に腰を下ろすと、いわくありげに少女を見上げる。
「ふん!分かってるわよ」
少女は、その年ごろの持ち物としてはずいぶんとシンプルな財布から、黒光りするカードを一枚、机の上に。カードには『ビクトリア・バッキンガム』と名前が刻印されている。どうやらご本人のカードの様子。
「文句はないわね」
「ええ、そういうことでしたら」
仕入れ係は、カードを一瞥すると、一瞬、にやりと片方の口元をゆがめる。
「もっとも、私は仕入れが専門ですから、お客様のお相手は、こちらがいたします」
そう言うと、ヒューストンに向かって、もう一方の口元をゆがめる。正に、胡散臭いとは、かくありなん、だ。
お相手ったって、何もできないぞ。
「で、どうして、そんなことが知りたいんだい」
ヒューストンは、ビクトリアという名のその少女を事務室の古ぼけた応接椅子に座らせて、淹れなおしたコーヒーを勧める。あまり上等ではないながら一応はコーヒーの香りが事務室に立ち込める。
「私、コーヒーは飲まないの」
なんだ…ティーを出せってか。リプトンしかないぞ。
「虫が六本脚なのは昔からだ」
まあ、クモは八本脚だが。
「脊椎動物は四本脚なのに、昆虫は六本、変だと思わない」
そういうもんだろう。鳥なんぞは二本脚だし、魚にゃ脚はない。
「だいたい、虫って気持ち悪いじゃない。普通じゃないのよ」
なんだい、虫好きじゃないのか。
「何かおかしいのよ。ぜったいおかしい。それが知りたいの」
だったら、とっとと大学にでも行って、偉い先生に教えてもらえ。
「私、いろいろ調べて、いろんな人のところにも聞きに行った。でも、誰もちゃんと答えられないのよ」
ドリトル先生にでも頼んで虫に聞いてもらえよ。何で六本脚なんですかって。
まあ、虫に一番詳しいのは、あの『昆虫記』の先生だろうけど。
ああ、そうか。
「なら、ここはひとつ、虫の権威に直接聞いてみるってのは、どうだい」
「誰よ」
「ファーブル先生」
「あったまおかしいんじゃないの!」
「いや、聞けないことはない、かもしれない」
ビクトリアは、一瞬、怪訝そうな顔をして、すぐにちょっと青ざめる。
「それって…霊を呼び出すとかじゃないわよね。いやよ、そういうの、ぜったい!」
「そんな、非科学的なことはしないさ」
と言っても、まあ、この店自体、科学的とは言えないかもしれないが。少なくとも近代科学とは、一線を画している、か。
「ちょっとした薬を使ってね」
そう言いながら、ヒューストンは、仕入れ係の方へ顔を向ける。
「そうですねぇ、どうでしょうねえ」
事務机に広げた新聞を眺めていた仕入れ係は、顔も挙げずに曖昧な返事をする。
「とりあえず、その『ファーブル先生』ですか、その方の、まあ、何ですよ、『何か』を手に入れてください」
うん、そこなんだよ。そこ…。
ヒューストンは、自分で言っておきながら、少し、いや、かなり「しまった!」と思っていた。
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