第19話 ロンドン
半月ぶりのロンドンは、いつの間にか朝晩はコートが必要な季節になっていた。
ビクトリアの疑問が解決したのかどうか結局のところよく分からない。が、自分にとってはそれなりに楽しい旅だった。ビクトリアにとってもそうであってくれればいいのだけれど。ヒューストンはそんなふうに思っていた。
「ここでいいわ。じゃあ、またね」
ハイド・パークの近くでビクトリアは空港からのタクシーを降りる。ロンドンでも有数の高級住宅街。明け方の街並みの中で手を振るビクトリア。ヒューストンは走り出す車の窓越しにその姿を目で追う。
さて、帰るか。
とはいえ、オーストラリアからほぼ丸一日、地球を半周してロンドンまでやって来た身としては、すぐまた飛行機に乗り込むのは、どうにもご免被りたい。
ハイド・パークをぶらついてから、ゆっくり食事をとって、空港へ。空港には、どこかに無料のシャワールームがあるらしいのだが見つけられず、とりあえず洗面所で髭だけあたっておく。あとは帰りの便を予約するだけだ。
結局、取れたのは夜の便。空港のロビーで上海行きの中国東方航空の出発を待つ。
遅い時間のフライト。まして中国行き。出発ロビーの客もまばら。
ヒューストンは売店で買ったコーヒーを飲む。これから十時間以上も乗る飛行機の中で眠ろうというのに、眠気覚ましを飲んでどうしようというんだ。
ぼんやり見つめるロビーの窓の外、夜の空港は闇に沈んでいて、滑走路の赤い誘導灯が寂しく連なっているのが見える。
出発時刻までは、まだ時間がある。
ヒューストンは手持無沙汰を紛らわす術もなく、ただ独り腰を下ろしている。
飛行機が一機、爆音を轟かせ、闇の中でライトを明滅させながら、滑走路にランディングする。
そしてまた訪れる静寂。
耳の奥でシーという音が微かに鳴り続けている。
自分だけに聞こえる誰にも聞こえないささやき。
と、その時、バッグの中から微妙な震えが伝わってくる。ヒューストンは、ゆっくりとバッグからマナーモードで唸っているiPoneを取り出す。
「ねえ、私、ちょっと調べたいことが出来たんだけど」
聞きなれた声。
「聞こえてる?すぐに出かければ、飛行機にまだ間に合うのよ」
「ちょっと待て、俺がどこにいるか分かってるのか」
「知ってるわ、ヒースローでしょ」
何故分かる?
「iPhone、GPSついてるから」
待て待て待て。
「残念だったな、もうすぐ上海行きに乗るぞ」
「キャンセルして。すぐ行くから。あなたの分のチケットも手配してあるから。じゃね」
「おい!今度はどこに行くんだ」
すでに電話は切れている。
人のことをなんだと思ってるんだ、まったく。
しかたないな、お姫様は。
ヒューストンは、妙に低いロビーの椅子から立ち上がる。
疲れている?いや、大丈夫だ。
出発ロビーの先、搭乗ゲートの職員の方へと歩を進めるヒューストン。
それにしても、キャンセルなんか出来るんだろうか、出発間際に。
ヒューストンは、無性におかしくなってしまう。そんなヒューストンを係員は不審そうに見つめている。
窓の外を、飛び立っていく飛行機のその明滅するランプが静寂を切り裂いてよぎっていく。ヒューストンはその光跡を、見るとはなしに目で追っていた。
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