第5話 ギニア

「とりあえず、パリに戻るわよ」

 ビクトリアはコロンボのホテルに着くとそう宣う。

 ありがたい。こちらも、そろそろ、そう願いたいと思っていた。

 体力にはそこそこ自信があるが、こう旅から旅への毎日じゃ、それもぼちぼち尽きかけている。

 早朝のスリランカ航空に乗ってようやくパリ、シャルル・ド・ゴール空港に着いたのはお昼前。

「さあ、黄熱病の予防接種を受けに行きましょう」

 何だって?

「アフリカ行くから」

 いやいや、聞いてない。とりあえず、ちょっと休ませてくれ。

 けれど、あれよあれよという間に予防接種を打たれてしまう。

「しばらくパリで大人しくしててね」

 どうやら、接種証明書が発行されるのに、ちょっとかかるらしい。

「じゃあね」 

 ビクトリアは、ヒューストンにパリのホテルを取ると、自分はロンドンに帰っていく。

 それから十日後、パリで無為に過ごしていたヒューストンの元に、前触れもなくビクトリアがやって来る。速攻、接種証明書を入手。

「あとは、ビザね」

 旅行会社も顔負けの手際の良さで、電子申請でビザを取得する。

「さて、それで、今度はどこに行くんだ、アフリカの」

 とりあえず、何もしないでのんびりしたおかげで元気を取り戻したヒューストン。

「ギニア。明日の昼過ぎの便を予約しといたから」

 翌日、二人はエールフランスでまたもや機上の人に。

 向かうはギニア、コナクリ国際空港。

 夕闇迫る灼熱の大地に降り立つと、空港職員とひと悶着の末、なんとか入国。良くあることとは言うけれど。

 次の日、ちっぽけな飛行機をチャーターして一路キシドウゴウへ。そこで一泊。どうにかこうにか言葉が通じる運転手を探し出して、陸路でゲケドゥへ向かう。さらに目指すはメリアンドウ村。

 いったいそこに何があるのやら。

「これが、エボラのグラウンド・ゼロよ」

 ビクトリアが指し示す先には、大木の切り株に虚ろな洞が口を開けている。

 エボラ出血熱。二○一○年代半ば、中央アフリカで猛威を振るった高致死率のウイルス性伝染病。

 ジャングルの開発などにより宿主の動物から人間に蔓延したと言われる感染症の一つ。コウモリが媒介者だといわれている。しかし証拠はない。

「私はね、宇宙空間からやって来たっていうのが正解だと思うの」

 ビクトリアは振り返ると満面の笑みを浮かべる。

 まさか、あの日本の先生みたいに、ここでフィールドワークを始めるつもりじゃないだろうな。

「そんなことはしないわ。それはあの先生にお任せする。もうやってる人がいることは、やらないの」

 じゃあ、何のためにこんな遠くまで。

「現場主義よ。気になったことは、何でもこの目で見て確認するの。そうしておけば、それが後で芽吹いて、新しいアイデアが生まれるじゃない」

 おいおい、どうした。誰かに吹き込まれたか。いや、この娘、そもそも、遠路はるばる、うちの店まで、わざわざやって来ている。あながち、人の受け売りじゃないのかも。

「とりあえず、今日は町まで戻って一休みしましょう」

 二人は、村人と何やら話に花を咲かせている運転手の元へ戻り、車に乗り込もうとする。その時、

「いやあ、こんなところまで若い娘さんが何をしにやって来たのかな」

と、訛のないフランス語で話しかけてくる者がいる。

「エボラのグラウンド・ゼロを見に来たの」

 ビクトリアは臆することなく、これまた流暢なフランス語で返事を返す。

「それはそれは。伝染病の研究でも?」

「いいえ。あなたこそフィールドワークにいらしてるんじゃない?たぶん、IPから」(Institut Pasteu パスツール研究所)

「ご明察」

「何か発見でも」

「まあ、いろいろと」

「エボラはなぜ突然中央アフリカで猛威を振るいだしたと思う?」

 いきなり本題か。

「理由は分からない。エボラにしろエイズにしろ、さらにいえばCOVID19にしても、突然発生した」

「隕石によってもたらされたという説があるわ」

「ふーん、ウィクラマシンゲ博士の本か。読んだよ『宇宙から病原体がやってくる』。面白い仮説だと思う」

「あなたはどう思うの」

「どうだろう。可能性としてはあり得るかもしれない」

「どうしてそう思うの」

「ウイルスというものが、そもそも特異な形態をしているから」

「生物とは言いきれない?」

「そうだね。細胞をもたない。自らエネルギーを生産しない。宿主の細胞の中に取り込まれてその遺伝情報に影響を及ぼして増殖する。宿主の細胞をコントロールしているかのように。そう、まるでナノマシンだ」

「ナノマシン?」

「生物ではなく、マシンだ。そんなものは、この地球上にほかにはない」

「だから、地球外から来たと」

「ということもあり得るかもしれない、と言ったまでだ」

「誰が、そのマシンを作ったと思う」

「作ったとかそういうことではない。そういう存在がそこに『ある』ということ。いわゆる『生物』とは違うものがね。そもそも『作った』という話になれば、それこそ皆、『神』の御業になってしまう」

「創世記」

「神は六日間でこの世界を作りたもうた」

「進化ではなく」

「そういう考え方もある。すべては初めからそこにある、という」

「定見はないの?」

「すべての考えには、その逆もまたあり得るというだけのこと。この目ですべて見たわけではないのだから。もっと言えば、見えているものですら、それがそういうものであるかどうかは客観的には誰にもわからない。すべてが、その見ている人個々の主観でしかないから」

「量子論?観測されて初めて世界はそこに存在するという」

「いや、存在しているかどうかすら、誰にも分からない。僕が見ていると思うものは、僕が見ていると思っているものでしかなく、君が見ていると思うものは、君が見ていると思っているものでしかない。いや、ものですらないかもしれない」

「そうなったら、もはや科学じゃないわね。哲学」

「そう思考することも、また科学だと、僕は思うけどね」

 よくもまあスラスラと難しげな言葉のキャッチボールが出来るもんだ。

「ありがとう。お話しできて楽しかったわ」

「こちらこそ」

 二人はそう言うと軽くハグを交わす。

「さあ行きましょう」

 ビクトリアは、こんなところで、見ず知らずの人間と、いきなりあんな会話を交わしたことなどまるでなかったかのように、車のシートにさっと滑り込む。こちらは、正直、途中から話についていけなくなっていたのに。

 もっとも、そもそもがフランス語なんぞは、全くもって全然得意じゃないのだけれど。

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