第4話 スリランカ

 スリランカ航空に乗って九時間半、バンダラナイケ国際空港に到着。電子渡航認証(ETA)発行カウンターでETAを申請する。これでスリランカに入国出来る。

 一連の手続きを済ませ、空調の利いたロビーから外へ出た途端、ヒューストンは湿気と熱気でちょっとくらっとする。

 

 コロンボまでの車中、ビクトリアは車窓から目を離さずにいる。

「私、南アジアは初めて」

 その横顔は、まだまだ幼さを残している。

 タクシーの車内は、独特の匂い。香辛料なのか、それとも体臭なのか。

 乾いた砂漠の地に長いこと暮らすうちに、ヒューストンの鼻はずいぶんと匂いにうるさくなっている。アメリカにいたころは、もっと雑多な匂いに囲まれていたようにも思うのだけれど…。

 

 目指すは古代遺跡が集中する『文化三角地帯』と呼ばれるスリランカ中部のアララガンヴィラ。

「どうやって行く」

 一息ついたコロンボのホテルのカフェで、セイロンティーを飲みながら、ヒューストンはビクトリアに尋ねる。

「タクシーは嫌だわ」

 そうだな。自分もちょっと嫌だ。アララガンヴィラまでは、車で十時間弱かかるらしい。

「鉄道にするか」

 持たされているiPhoneで調べると、ガルオヤという町まで鉄道で行くことができる。ただ、運行時刻がはっきりしない。

「とりあえずチケット取ってみるか」

 けれど、ネットでチケットは、どうも取れない。

「駅へ行ってみよう」

 コロンボ・フォート駅からスリランカ中部、マホまでのチケットが手に入れば、なんとかなる…。

 が、やって来た駅は、もうとんでもないことになっている。

 人、人、人の波…。通勤時間に当たってしまったらしい。

「帰りましょ」

 ビクトリアは日よけの傘をくるっと回して、といっても、もうとっくに日は沈んでいるのだが、さっさとホテルに戻っていく。


 あくる日、結局、車で行くことに。タクシーでなくレンタカーで。

「右ハンドルか」

 生まれてこの方、左ハンドルしか運転したことがない。

「気を付けて運転してちょうだい」

 言われんでも…。そもそもどこの車なんだ…ああ、TOYOTAか、日本製なら、まあ間違いないか。

 それからの道筋は推して知るべし。バスが都市の間を縦横に結んでいるとはいえ、町を離れれば、それ相応。溢れんばかりの人を満載したバスが対向車線を猛スピードで走り去っていく。

「鉄道の方がよかったか…」

 いや、それだって同じこと。

 

 途中の町々で休みながら、ようやくアララガンヴィラに着いたのは、もう夜もだいぶ更けてから。

 小さな宿を見つけて、ぶつぶつ言っているビクトリアをなだめすかして、部屋に落ち着いた時には、もう十時を回っていた。

「晩飯は?」

「何か買ってきてよ」

「食べに行こう」

「夜は危ないじゃない。特に女性は」

 そうか?おまえなんか、まだ子供にしか見えないと思うが。

 ヒューストンはしかたなく部屋を出る。背後でガチャガチャガチャとすごい勢いで鍵を閉める音がする。

 確かにドアには厳重に鍵がついてたな。まあ、独りは心細いんだろうが、そんなすぐに閉めんでも。


 翌朝、疲れ切ってすっかり寝過ごしたヒューストンの枕元で、iPhoneがヴーと唸りを上げる。

「いつまで寝てる気。出かけるわよ」

 電話の声が隣の部屋からそのまま聞こえる。壁の薄いこと。

 朝飯ぐらい食わせて欲しい。

「私だって食べてないわ」

 独り言も筒抜けだ。


 マーケットで適当にお腹に優しそうなものと飲み物を買い込んで、再びレンタカーに。

「先生、どの辺にいるんだ」

「あの研究員の人の話だと、このあたりでフィールドワークしてるってことだけど」

 そう言うとビクトリアはiPhoneでメールを打ち始める。

 待つこと数分、どこからか返信が。

「早い早い、さすができる男ね」

「誰からだ」

「研究員の人。先生の今の居場所を尋ねたの」

 おいおい、相手は日本だろ。今何時だ。あっちは早朝じゃないのか。もう仕事してるのか。

「先生、少し南に下った大きな湖のほとりのホテルに滞在してるそうよ。今から私たちが行くって連絡しておいてくれるって」

 そんないきなりでいいのか。

「少し南ってどれくらいだ。湖ならすぐそこにもあるぞ」

「そうねぇ」

 ビクトリアはすばやく地図を検索する。

「二、三十キロぐらいかしら」


 ヒューストンとビクトリアは、小一時間でホテルの前に到着する。

 国立公園と思しき公園内の瀟洒なホテル。

「ちょっと!すごくいいところじゃない。私たちも今晩はここに泊まりましょう」


 ホテルのフロントで日本の大学の先生を訪ねてきた旨を伝える。どうやら日本人のお客は一人しか泊まっていないらしく、すぐ連絡がつく。

 十分ほど待っていてほしいとのこと。

 ロビーでお茶など飲んでいると、ほどなくラフな出で立ちの日本人が螺旋階段を下りてくる。

「話は聞いてますよ。ようこそ、こんなところまで」

「先生の論文、興味深く読ませていただきました」

 いったいいつの間に読んだんだ。

「あなたの噂も少々。ケンブリッジでは、ニュートンの再来と言われてるとか、いないとか」

 先生はそう言うとニヤッと笑う。これがあの有名なジャパニーズ・ジョークか。確か『褒め殺し』とかいう。

「よくご存じですね」

 真に受けるな。

「私の友人もケンブリッジなんでね。まあ、だいたいそちらのお国では、ケンブリッジかオックスフォードと相場は決まっている」

 決まっているのか?これもジャパニーズ・ジョークなのか。いや、褒めてはいないが…。

「それで、先生、今のご研究で何か新しい発見はありました?」

 ビクトリアは、先生の言葉に頓着せず、単刀直入に本題に切り込む。

「おいおい、そんなすぐには、結果は出ないよ。サンプルの採集と目撃談の聴取、それから分析、そして、ようやく仮説の検証。そこまで行くには、まだまだやらなきゃならないこと、いや、やってみたいことがたくさんある。世界中で、僕しかやってないことがね」

「世界中で先生しかやってないこと。それ、すごく素敵なことですよね。世界で誰もやってないこと、やってみたいですよね。やってみたいことって、いっぱいありますよね」

 ビクトリアの思わぬ返しに、先生、まじまじとビクトリアを見つめ、破顔一笑。

「これは驚いた。君は僕の同士だな!」

 そこから先は、科学談義に大いに花が咲き、ヒューストンはまたもや蚊帳の外。

 話は宇宙創成からミクロの世界、地球環境から社会問題まで、ありとあらゆる分野に飛び火して、そして、ぐるっと回って、また宇宙からの飛来物の話に舞い戻る。

「僕は、今、新たな伝染病の蔓延、アウトブレイクに興味があるんだ」

「伝染病、ですか」

「リオデジャネイロ・オリンピックの時に話題になったジカウイルス。一九五○年前後から、その感染域は、赤道周辺を飛び飛びに少しずつ東進している。一見、徐々に伝播しているようにも見えるが、その感染者は、太平洋上の島で、まさに飛び飛びに発生している。

 これは、渡り鳥の仕業かもしれない。しかし、太平洋を何年もかけて横断していく鳥など聞いたことがない」

 先生は、そこで、一呼吸置く。

「ここで、考えられるのは、宇宙から飛翔したウイルスが原因かもしれない、ということだ」

「宇宙から?」

「そう、ジカウイルスのように帯状に広がっていくもの、それは、宇宙に広がっている、起源が同一の塵の中を、地球が何年もかけて横切って行ったことによって、その塵から飛来した物質のもたらしたウイルスが原因かもしれない。実際、七百年から八百年周期で大流行した天然痘は、その周期で太陽を巡る彗星の塵の中を地球が通り抜けたことが、そこからもたらされたウイルスが原因ではないかと言う学者もいる」

「ちょっと恐ろしいわね」

「ジャングルの奥地に人間が入り込むことにより、野生動物を起源として蔓延したといわれる現代の新たな伝染病も、そのいくつかは、宇宙からもたらされたものかもしれない」

「HIVや、エボラ出血熱、それに新型コロナウイルス感染症(COVID-19)も?」

「分からないな。まだ、誰もその可能性を調べた者がいないからね」

「怖いけど、興味あるわ」

 ビクトリアの嬉しそうな横顔を見ながら、ヒューストンは、またまた、いやーな予感に捕らわれていた。

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