第3話 東京

 翌日、二人はTGVで、パリに帰りつく。

「私、一度うちに帰るから。また、連絡する。しばらくパリに居てちょうだい」

 居てちょうだいって、宿泊代は。

「お気に入りの安ホテルにでも泊まっていればいいわ」

 なんだって。

「ホテルが決まったら、ここに電話すること」

 ビクトリアが差し出したカードには、国外の…ドーバー海峡の向こう側の電話番号が書いてある。

 いやいや、こんなカードはいらない。渡して欲しいのは、黒光りする件の『カード』だ。

「ちょっと面白かったわ」

 ビクトリアは、そう言うと、さっさと駅の雑踏の中に消えて行ってしまった。

 こらこら、お代をもらってないぞ。それどころか、パリまでの飛行機代、最初のパリの宿、それからタクシーの代金はこちら持ちだ。

 それにしても、面白かったって…こちらは、それなりに真面目に取り組んだんだがな。まあ、楽しんでもらえたんなら、それはそれでいいんだけど。

 うちは、もともと、ちょっと怪しげ…いや、お客様に夢とロマンを提供する、そういう店だし。


 それから数日、時間を持て余したヒューストンは、ルーブルやらベルサイユやらに出かけて、時間をつぶした。

 ほとんど観光客の様相。

 もっとも、生まれてこの方、パリはおろか、ヨーロッパなんぞには、一度も足を踏み入れたことがなかったのだから、まったくもって、観光客そのものなのだけれど。

 結局、宿は、パリに着いた夜に泊まったところで、やっかいになっている。

 ビクトリアには、とりあえずの一報は入れた。電話に出たのは、ずいぶんと慇懃な口調の年寄だったが。『執事』ってやつか。

 さて、今日は、ちょっと足を延ばして、モン・サン・ミッシェルにでも行くか。確か十一時ぐらいのTGVに乗って出かけても、なんとか日帰りできたんじゃなかったか…。

 と、部屋の電話の呼び出し音が響く。

「今、北駅にいるからすぐ来てちょうだい」

 やれやれ、お姫様は、海峡トンネルを抜けてユーロスターでお出ましだ。


「はい、これ、あなた用のiPhone」

 いや、俺は自分のノキアがあるが…。

「私、iPhone以外認めないから」

 それは、人それぞれだろう。

「私への連絡はそれでね」

 まあ、いただけるんなら。

「断わっておくけど、あげたわけじゃないから」

 あー、はいはい。

「さあ、行くわよ、日本に」

 はっ?日本。

「ファーブルの博物館で、ちょっと思いついたことがあるのよ。やっぱり科学的にいかないとね」

 何だ、それ?

「まあ、お楽しみに」


 それから数時間後、ビクトリアとヒューストンは、シャルル・ド・ゴールから羽田に向かう機上の人となっていた。エールフランスの成田行の便は既に出てしまった後だったので、空港で心持の旅支度を整えて、夕刻に発つ日本航空の羽田行に乗り込んだ。

 シートはビジネスクラス。チケットはビクトリアが取ってくれた。さすがブラックカードの持ち主。フランスに来るときは、ヒューストンが急いでチケットを手配したので、エコノミーだったのだけれど。

「さて、そろそろ教えてもらってもいいか?日本のどこに行く気なんだ」

「千葉工業大学」

「何だって?いったい日本のどこにある大学なんだ。まさか、留学に付き合わされて飛行機に乗せられたってことは…ないよな」

「何、訳の分かんないこと言ってるの?」

 まあ、そうだろうな、大学行くような年齢じゃない。どう見てもハイスクール、英国(UK)で言えばシニアスクールの生徒だ。

「今、学校は休みなのか」

「もう卒業したわ」

「上の学校に行かないのか」

「上ってどこよ」

「カレッジとか総合大学(ユニバーシティー)とか」

「は?だから、大学は卒業したって。ドクターも終わったわよ」

 ドクター?

「おいおい、いったい何歳なんだ」

「失礼ね、レディーに年齢を尋ねるもんじゃないわ」

 単なる童顔、それとも超絶な若作り?まるで化粧っ気はないように見えるけど。

「じろじろ見るな。十五よ、十五歳」

 あん?何だって?十五歳で博士(ドクター)。

 ああ。ああ、そうか。そうだったか。天才か…。IQ高いのか。

 その上、金持ちのお嬢さん。こりゃ、怖いもんなしだな。

「なんで、そんなおまえが、俺のとこなんかに来たんだい」

「客をおまえ呼ばわりするなって言ったでしょ」

「はいはい、じゃあお嬢さんはなんで、中央アジアの、それも樓蘭くんだりまで、わざわざやって来て、あんな質問を俺たちにぶつけるんだい。いろんなお説があるだろうに」

「それがないのよ。誰も疑問に思わないのかしら」

 まあ、思わんな、普通。虫は虫だ。

「だから、あなたの所に行ったの。解決できないどんなおかしな問題にも対応するって専らの噂のね」

 もう少し詩的な表現でお願いしたい…。

「あなたんとこ、ホームページにお問い合わせフォームも、電話番号さえ載ってないんだから。しかたなく直接出向いたのよ」

 そりゃ申し訳ない。うちの店は、系列店の中では場末のB級店舗、地域で、ほそぼそやってる店という位置づけだし。変わった商品がそろっているのは、単に仕入れ係の趣味みたいなもんだからな。

 『何でもそろう』ってのは、口コミでそう言われているだけの話。俺は店長として、といっても名ばかりだけど、顧客のご要望には出来るだけお応えしようと努めているってだけのことだ。


 日本の、羽田、東京国際空港に着いたのは、次の日の夕方だった。入国は簡単、日本はビザがいらない。

「まず宿探しか」

「いいえ。あなたが頼りないから、もう予約してあるわ、リッツ」

 空港からのタクシーで自動車専用道路を走りながら、ヒューストンは思い返していた。この景色、ずいぶん前に来た時と変わらんな。よくもまあ、こんな狭い道をこんなスピードで走るもんだ…。


 その日は、リッツ・カールトンに一泊して、翌日、件の大学へ。

「誰に会う?」

「所長。千葉工業大学惑星探査研究センターの」

「なんでまた」

「だから、思いついたことがあるって言ったでしょ。いいから、ついてらっしゃい」

 答えになってないぞ。そもそも、なんで俺がついていかなきゃいけない。一人で行けるだろうに。

 大学の受付では、どうやら話は通っているらしく、スムーズにお目当ての所長室へ。

 そこで待っていたのは眼鏡をかけた日本人。思いのほか若い。

「所長さん、お忙しいところお時間をいただき、ありがとうございます」

 ヒューストンは、とりあえず、大人の対応。

「いえ、所長はあいにく調査に出かけておりまして」

 流暢な英語で答えた男性は、センターの研究員だという。

 おいおい、ここも空振りか…って、フランスでの件は、概ねこちらの責任だが。

「どちらへお出かけですか」

「スリランカへ」

 また、思わぬところへ。

「何の調査に行ったの」

 こらっ、不躾な。

「赤い雨の」

 赤い雨…。気象研究センターじゃないよな。

「パンスペルミア説ね」

 なんだ、なんだ?

「おお、これは、よくご存じで。もっとも、直接的な証拠というには、まだまだ調査研究を要するところですが」

 二人だけで通じ合って、ヒューストンは、すっかり蚊帳の外。

「私は、昆虫の起源について知りたいと思ってるの」

「昆虫ですか。私たちは、生命の起源についての研究をしていますが、お役に立てるでしょうか」

 こんな、一介の外国人の小娘に、なんとまあ丁寧な応対。さすが、気配りの国。

「パンスペルミア説では、宇宙空間からの飛来物に地球の生命の起源を求めてるけど、私は、生命の起源云々より、生命の形態が、なぜいくつかのパターンに分化しているのか、特に、昆虫と陸上の脊椎動物の大きな形態の差が、何に由来するのかが、知りたいの」

 パンス…なんとか、確か聞いたことがある。生命の起源が宇宙からやってきたとかいう…SFだな。

「そのあたりのことは。私たちの学問分野ではなく、生物学や発生学の範疇かと思いますが」

「そっち方面だと、進化論で、かたをつけられちゃうのよ」

「最近では、進化論に懐疑的な意見も出ているようですが」

「ID(インテリジェントデザイン)論?まゆつばね。宗教じゃない」

 なんだ、また、聞きなれないものが…。

「宗教と言い切ってしまうのもどうかと思いますが」

「だって、生物は何者かによってデザインされて、今の形態になってるって…何者かって、誰よ。神様?」

「『神』の概念自体が、そもそも何かという考察が必要ですよね」

 ああ、宗教談義になってる。

「私は、そういう考え方には与(くみ)しないの。神は異星人『エロヒム』で、人類をデザインした、なんてのは、お伽噺よ」

「私たちも、宇宙人が生物を作ったというようなことは信じてませんよ。ただ、地球上で単なる有機物から生命が生まれたとするより、宇宙から飛来した微生物が地球生命の起源ではないかという考え方に興味を持っているだけです」

「そこよ、それに私も興味があるの。ただ、生命の起源っていうより、そのもう少し後のところ」

「と言うと」

「それぞれの種の起源。昆虫は昆虫の、動物は動物の」

 若い研究員は、少しの間、考える。

「それは…それぞれの種が、別々に宇宙から飛来した生物に由来するのではないか、ということですか」

 ビクトリアの顔がぱっと明るくなる。

「そう、それそれ、あなた分かってるじゃない!」

「お褒めにあずかり、恐縮ですが…しかし、それこそ、まゆつばもの考えではないかと思いますが」

「どうして」

 ビクトリアの顔は、一瞬にしてふくれっ面になる。

「そこまで分化したものが、彗星や、星間物質に乗って地球に飛来するというのは考えにくい」

「分化している必要はないじゃない。そのように発生する素地のある微生物が、個別に飛来したとしたら」

「仮にそのようなことが可能なら、もっと多様な生物が地球上に存在するのではないですか」

「そういう時期があったじゃない」

「カンブリア大爆発ですか」

 ああ、頭のいい奴らときたら…話が見えない。

「そうそう。それで、結局、地球環境に適応したのが、今の生物群」

「おもしろい考えだと思いますが。しかし、単なる仮説、いや思考実験にしか過ぎないようにも思えます」

「それを言うなら、そもそもパンスペルミア説自体が、思考実験じゃない。根拠が明確じゃないわ」

「根拠がないわけでもないんですが。それを調べているのが私たちです」

「赤い雨?」

「そういうことです」


 ビクトリアとヒューストンはセンターを後にする。

 帰りのタクシーは,、自動車専用道路で夕方の渋滞に巻き込まれる。

 運転手が気を利かせて入れた空調から、車内にかすかな黴臭さが漂う。

「赤い雨ってなんだ」

「えー?あぁ」

 ビクトリアは面倒くさそうに返事をする。

「まあ、簡単に言うと、隕石が落ちると、その界隈で、赤い色の雨が降ることがあるってこと」

「それが、生命の起源ってのに、どう関係があるんだ」

「分かんないの?」

 分かるか!

「だから、隕石に含まれていた物質が、核になって雨を降らせるの」

「で?」

「ああ、もう!その核が、微生物…細菌だったり、ウイルスだったりするのよ、隕石由来のね」

 おいおい、そりゃ、えらいことじゃないか!

「そんな話、聞いたことないぞ」

「まあね。そんなにしょっちゅう地表まで届くような隕石、落ちないし」

「それで、先生、スリランカか?最近、隕石、落ちたのか?」

「まあ、そんなとこ」

 そこでビクトリアは、ふと考える、またしても。

 嫌な予感が…。

「私たちも行こうか、スリランカ」

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