第6話 メキシコ

 一泊した後、コナクリ国際空港に着いたビクトリアとヒューストン。

 ようやくパリに戻るのかと思いきや

「さあ、次は大西洋を渡るわよ」

 夜のアフリカの大地を飛び立つ二人。

 眼下には、点々と明かりが瞬く漆黒の大地が広がっている。

 それから二日後。またもやパリを素通りした二人は、エールフランス、アエロメヒコと飛行機を乗り継いで、ビザなし渡航で、メキシコはユカタン半島の海辺に立っていた。

 チチュルブ・クレーター。

 彼の有名な、恐竜を絶滅させたと言われる白亜紀の隕石落下跡。

 とは言っても、特にその痕跡をありありと示すものもなく、素人目には良く分からない。

 件の先生が同行くだされば、ご高説を賜ることもできただろうけど。

 現場主義もここに極まれり。

 目の前に広がるメキシコ湾の青さが目に染みる。

「まあ、いいじゃない。ここまで来たんだから、カンクンで遊んでいきましょう!」

 おお、憧れのリゾート。

 樓蘭の店を発って、早くも半月。

 地球の裏っ側まで来て、ようやくリゾートで一休み。

 とはいえ、これといった収穫があったようにも思えないが。


 レンタカーで五時間、ユカタン半島の先端を横切ってカンクンのリゾートホテルに着いたのは、もう日も暮れてだいぶ経ってから。

 シーズンオフなのに、ほぼ満室。ようやく取れた部屋もツインが一室。

「どういうわけ」

 ビクトリアがフロントに文句を言う。

「ちょうど、学会が開かれておりまして」

「なんの」

「隕石の学会とか」

「ああ、『国際隕石学会』ね」

「よくご存じで」

 隕石の学会?こりゃ、ひょっとして。

「いやあ、これはまた、めずらしいところでの再会ですね」

 レセプションホールと思しき部屋から現れた見覚えのある東洋人。

「お久しぶり、先生、ご機嫌麗しく」

 件の先生のご登場に、ビクトリアは、またずいぶんと丁寧な物言いでご挨拶。

「ここへはバカンスかな」

 先生はいたずらっぽく笑みを返す。

「エボラのグラウンド・ゼロを見てきました」

「ほう。何か収穫はあった?」

「現場に直接立ったことは、それだけでも貴重な体験だったわ」

「至言だね」

「それに面白い研究者にも会えたし」

「誰だい」

「ウイルスはナノマシンだって」

「ははは。面白いね。バクテリオファージだね」

「IPの職員だって言ってたわ」

「パスツール研究所か。また珍しいところとご縁があったね」

「なかなかエキサイティングだった」

「ここで会ったのもまた何かの縁だ。今夜は大いに飲もう。まあ、君はジュースだけど」

 そう言うと先生はビクトリアを誘ってホール戻っていく。

 ヒューストンも一杯、と後について行こうとして、思いとどまる。

 入口で関係者以外はご遠慮を、と止められるのが落ちだ。

 ほら、案の定、黒服の従業員がドア脇に立ってこちらを注視している。

 はいはい。こちらは部屋のミニバーのウィスキーでも煽って、早々に寝ることにしますよ、ビクトリアが戻ってくる前に。

 ツインだし。


 翌朝、けたたましい鳥の鳴き声で目覚めたヒューストン。

 隣のベッドでは、ビクトリアがすやすやと寝入っている。

 お嬢さんは楽しかったんだろう。まあ寝かしておくさ。

 ヒューストンは適当に髭をあたると、ラウンジへ朝食を食べに降りていく。

 さすが、リゾートの高級ホテル。朝から豪華な食材が選り取りみどり。しばらく粗食に甘んじてきた身としては、あれもこれも全部みつくろいたくなってしまう。夕べもミニバーの酒とナッツだけだったし。

「置いてけぼりはひどいじゃない」

 ようやく食材を吟味して、準備万端、席についてスクランブルエッグを口へ運ぼうとしたその時、やって来たビクトリアはするりと隣の席に座ると分厚く切られたローストビーフをヒューストンの皿からつまんで口に入れる。

 おいおい。

「私も何か取ってくる」

 ビクトリアはフリルのついたレース地のワンピースをふわっと翻すと食事を取りに席を立つ。

 甘いコロンの残り香がヒューストンの鼻をくすぐる。

 やっとお姫様に戻ったな。ここしばらく、ずーっと汗臭い小娘だったけど。

 かく言うヒューストンの髪は、未だ半分寝ぐせがついたままのぼさぼさ頭だが。

 ビクトリアは、山盛りによそった皿を両手に戻ってくる。

「さあ、朝ご飯済ませたら、泳ぎに行くわよ」

 ベーグルを頬張るビクトリアを横目に、オレンジジュースを飲み干すヒューストン。

 この後、ホテルのショップで水着の購入につき合わされるはめになろうとは、まだ思いもよらない。


「何よ、その競泳水着みたいなの」

「いいんだよ、日に焼けたくないんだ」

「日焼け?さんざんお日さまの光浴びてきたじゃない」

「赤くなるんだ、痛いんだよ」

「何を今さら」

 そう言うビクトリアは、特大のパラソルの下、ビーチチェアに座り、ひらひらのついた帽子に顔が半分隠れるほどのサングラスをかけて真っ青な海を眺めている。

「泳がないのか」

「泳ぐわよ」

 さっと立ち上がるビクトリア。

 ショップで選んだ鮮やかなパステルイエローのビキニ。

 日差しの中に躍り出た真っ白な肌がまぶしい。

「これ持ってて」

 ビクトリアは振り返ってヒューストンに持っていたiPadを手渡す。

 画面には、奇妙な物体?が映し出されている。

「バクテリオファージ。ウイルスの一種。自己増殖だけを目的とする生物兵器ってところかしら」

 そう言うと、帽子とサングラスを放り出して海に向かって歓声を上げながら走り出す。

 バクテリオファージだぁ?

 昨日、先生もそんな名前を口にしていたような。

 何だ、この六本脚のトーテムポールは?

 これがウイルス?生き物なのか。

 ビクトリアの姿が波間に浮きつ沈みつ岸から離れていくのをヒューストンはぼんやり眺めながら、生き物とはとても思えないそのバクテリオファージが動き回る姿を頭の中で思い描く。

「あら、面白いもの見てるじゃない」

 突然の声に振り返るヒューストン。

 目を向けると真っ赤なビキニの腰にパレオを纏った妙にゴージャスな感じの女性が隣にしゃがみこんで、サングラスをちょっとずらしてiPad覗き込んでいる。

 誰?

 女性は躊躇なくヒューストンの隣に腰を下ろす。

「『学会』は退屈」

 女性は足を延ばすと、ビーチチェアの背もたれにもたれかかって上を見上げる。

「あなた、昨日、ホールの外にいたでしょう、可愛い女の子と一緒に」

 女性はヒューストンの方を向くとサングラスを鼻眼鏡にして、ヒューストンの顔を覗き見る。

「入ってくればよかったのに」

「いや、部外者なもので」

「私だって似たようなものよ」

 それっきり彼女は口をつぐむ。

 あたりにはリゾートの日の光が容赦なく踊りまわり、波の音だけが単調に寄せては返す。

「人間っておかしいわよね。肌がつるっつるで」

 彼女は突然、ヒューストンの腕を人差し指ですーっと撫でると、また、ヒューストンの顔を上目遣いで覗き込む。上品な香水の香りがヒューストンの周りに淡く漂う。

 うーん、これは何のお誘いなんだ。確かに俺は毛深い方ではない。毛深い方ではないが、決してつるっつるでもない。

「人間が猿から進化したなんて、私は信じてないのよ」

 あー、そうきたか。

 また面倒くさい奴が現れた。そうだよな、まあ、そんなもんだ。せっかくの海辺のリゾートだっていうのに。

「ネアンデルタール人は、なぜ滅んだと思う。社会性に欠けたから?本当にそうなのかしら」

「ネアンデルタール人が滅んだ?ネアンデルタール人って俺らの祖先じゃないのか?北京原人やら、ジャワ原人やらが進化して、ネアンデルタール人になって、そして」

「確かに、ネアンデルタール人の遺伝子を、ほんの数パーセント受け継いでいる人はいる。でも、それは交雑の産物よ。直接の祖先じゃない。別の系統」

 交雑って、俺らは雑種か。

「私はね、ネアンデルタール人には、この地球に適合できない何かがあったんじゃないかと思うのよ」

 そう言うと、彼女は、また、ヒューストンの顔を見る。

「神は自らの姿に似せて、人を創りたもうた」

 彼女は、ふふっと笑みを浮かべると、立ち上がり、後ろ手に手を振りながら、ホテルの方へと戻っていってしまう。

「なに、女の人と親しげに。隅に置けないわね」

 そこへビクトリアが、濡れた髪を手で絞るような仕草をしながら戻ってくる。

「あら、マックス・プランク研究所の人じゃない」

 歩き去る女性の後ろ姿を見て、ビクトリアは言う。

「知り合いか?」

「昨日、レセプションでちょっと話をしたの。旦那さんに付いて、この学会に来たんですって。専門は人間の進化とか。けっこう面白かったわよ、彼女の話」

 類は友を呼ぶ、か。

「それで、バクテリオファージって何なんだ」

「だから、地球外から飛来したかもしれないウイルス」

 ビクトリアは、そう言いながら、ヒューストンの隣に座ると、薄手のガウンを羽織る。水を吸ったガウンがビクトリアの濡れた肌に張り付く。ビクトリアからほんのり日焼け止めと汗と塩のまじりあったような微妙な香りが漂ってくる。

「六本脚で歩き回って、ほかの細胞に張り付いてドリルでDNAを注入、細胞を溶解、増殖して、あっという間に拡散する」

「歩き回るのか」

「ものの例えよ」

「ドリル使うのか」

「形態がそうなってるの」

「あり得ないな」

「でも、いるのよ」

「だから、地球外か」

「単純に『進化』じゃ説明できないでしょ」

 あり得る話、なのか。

「そう言えば、さっきの研究所の女性、ネアンデルタール人がなんとかって言ってたぞ」

「ああ、私も昨日、聞いたわ。適合不全の話ね。確かにある種の生き物や集団だけが罹患する病気はあるわ」

「病気か。疫病?」

「ウイルス感染ね」

「またウイルスか」

「最近じゃ、個別の遺伝子にだけ影響を及ぼすウイルスを作り出すことだって可能になっているわ。なら、ネアンデルタール人固有の遺伝子にだけ働きかける何かが存在していたということだってあり得るわ。事実、新型コロナウイルス(COVID-19)はネアンデルタール人由来の遺伝子を持つ者が罹患しやすいとも言われている」

「ちょっと待て。作られたウイルスだって言うのか」

「そうは言わないけど、技術的には可能ね」

「穏当じゃないな。それじゃあ、そのバクテリオファージも誰かが作ったんじゃないのか」

「あり得ない話じゃないわね」

 また、あり得る話か。何だか良く分からなくなってきた。

「ああ、ちょっと冷えたわ。部屋に帰りましょう。塩水ってべたべたするから嫌よ」

 そう言うと、ビクトリアは立ち上がってホテルに向かって歩き出す。

 気ままなお嬢さんだ。

 ヒューストンは、ビクトリアがビーチチェアに敷いたまま置いていったタオルを拾い上げると、一つ伸びをする。あたりには相変わらずまぶしい日差しが踊っている。

 まあ、のんびりできたからいいか。ヒューストンは立ち上がると、ビクトリアの後を追ってホテルの建物に向かった。

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