第7話 バグダッド

 カンクンに滞在すること、二泊。学会の面々と適度な距離間で会話を楽しんだビクトリアは、三日目の朝、またまた突如言い放つ。

「さあ、バグダッドに行きましょう」

 なんで、また中東に。今度は何を目的に行こうって言うんだ。それに、何より、彼の地への渡航は、控えた方が安全なんじゃないか。

 アメリカでの乗り継ぎに備えて電子渡航認証システム(ESTA)の認証を受け、機上の人となった二人。

 ユナイテッドでヒューストンのジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタル空港へ、そこで乗り継ぎ、エミレーツでビザのいらないUAEはドバイへ。そこで降りて、イラク総領事館でビザを申請する。

 ビザを取得する間、泊まった『ブルジュ・アル・アラブ・ジュメイラ』。海上にそびえる船を模したその威容。とんでもなく豪華な施設。全室がスイートルーム。

「ドバイに来ることがあったら泊まろうと思ってたの」

 あっさり宣うビクトリア。一泊いったいいくらかかるんだ。こういうところは新婚旅行とかで来るもんなんじゃないか。いや、大金持ちは違うのか。

 あまりに居心地が良過ぎて、バグダッドに発つ日もぐずぐずしているうちに、結局昼になってしまった。

 いよいよアラビアンナイトの国へ。

 ドバイからエミレーツでバグダッドへ向かう。エミレーツは実に快適だ。

「シュメール人って聞いたことあるでしょ」

 ああ、確か、かつてあのあたりで、偉く進んだ文明を築いた人々がいたっていう話は何かで読んだような気がする。

「シュメール人が使ってたのは六十進数なのよ。今でも時間なんかが、そうよね。ねえ、何かピンと来ない」

 いや、一向に。

「六よ、六」

「いや、六十なんだろ」

「なぜ、六を基準にしたか」

 聞いてないな、人の言うこと。

「虫の脚は?」

 だから六十進数なんだろう。

「六本よ!」

 はいはい。

「ちょっとワクワクしない。この一致」

 一致してないって。

 と、横から

「六十は、二、三、四、五の最小公倍数であり、十、十二、三十の最小公倍数でもあることから除算に適していたことに由来すると言われていますね。本日は、ご搭乗ありがとうございます」

と言って、ウエルカムドリンクを手にニッコリ微笑む美女一人。笑顔をたたえて、また次の席へ。

「誰?」

「キャビン・アテンダント、さん」

 世の中、人は見かけによらないと言うが。まあ、大抵のことは『ウィキ』を見れば書いてあるけれど。

 

 バグダッドに着いたのは午後の二時過ぎ。

 市街は思っていたよりも落ち着いた様子。渡航注意は相変わらずだけれど。

「それで、どこへ行くんだ」

「国立博物館」

「シュメールか?」

「そう、分かってるじゃない」

「大英博物館にだってあるだろう」

「もう見た」

 いや、あそこ見たんならもういいんじゃないか。世界一だと思うんだが、行ったことはないけど。

「さあ、行きましょう!」

 待て待て、まずは安全な宿を確保してからだ。

「まあまあね」

 一番高級そうなホテルに宿を取る。気がつけば既に夕刻。博物館へは翌日行くことにする。


「それほどでもなかったわね」

 国立博物館を一通り見終わったあとのビクトリアの感想がこれ。

 失礼な奴だ。

 聞けば、隣国との戦争で散逸した展示品を漸く回収して再開にこぎつけたというじゃないか。

「シュメール文明は、もういいのか」

「そうね、『アヌンナキ』がどうとかいうくだりは、どうもね」

 博物館で展示を見ている時、突然、話しかけてきた青年。シュメールの神話によれば、惑星『ネビル』から地球を訪れた『アヌンナキ』によって人類は作られた云々。館の案内人だったのか、ただのお節介野郎か。

「確かにそんな話は聞いたことあるけど、まあ、まさに『神話』よね」

 そういえば、前にも、『エロヒム』のどうとかが、お伽噺だって言ってたな。

「そういうのにもっていっちゃったら、思考停止よ」

 早々にホテルに戻ると、シャワーをひと浴び。ラウンジで飲み物を頼んで一休み。

「あら、こちらにお泊りでしたの」

 その声に顔を上げると、小ざっぱりとした細身の美人が。

「どちらかでお会いしました?」

「飛行機の中で」

 一瞬の間。はっと気づくビクトリア。

「CAさん」

「ご一緒してもよろしくて?」

 それから二人は話に興じる。

 聞けば、彼女はカイロ大学で考古学と古生物学を学んだとか。才媛だ。

「確かに、シュメールの神話は、さまざまな神話の原型と言われているわ。旧約聖書の記述もシュメールの神話と似たところがある」

「人の創造とか、大洪水とか」

「そう。けれど、だからといって、『神』イコール『異星人』というのは短絡的な考えだと思う。そもそも、何らかの知的生命体が地球の生物を改変するような大掛かりな接触を行ったとしたら、もっとその痕跡が残っているはず」

 彼女は続ける。

「あなたの疑問『虫はなぜ六本脚なのか』、もう少し敷衍すれば、いわゆる外骨格生物と内骨格生物、無脊椎動物と脊椎動物と言ってもいいわ。その、まったく作りの違う、生物の大きな二つの系統が、なぜあるのか。さらに言えば、より形態の異なる『植物』という存在は何なのか。不可思議よね。

 私は思うんだけど、植物と昆虫は親和性が高い。植物の受粉に昆虫が関与しているのはなぜか。もしかしたら、昆虫は植物から分化したのかもしれない。植物も昆虫と同様に外皮に覆われていて、その花の雄しべなんか、虫の触角のよう。

 地球上に昆虫、広くとらえて節足動物は、百万種とも言われている。一方で脊椎動物は六万種。植物は三十万種。この差は何が原因か。

 節足動物は陸上で進化したと言われているわ。一方、脊椎動物は海から。

 植物は四億年前に陸上に。節足動物はそれに少し遅れて陸上で増え始める。一方、五億四千年前に生物が爆発的に増えた時に、突如、出現する脊椎動物。これらは何を意味しているか。

 もしかしたら、どちらかの…脊椎動物とそれ以外の生物のどちらかが、もともと地球で進化を遂げたもので、もう一方が、別の星、彗星なり、惑星なり、そういう他の天体からの飛来物だとしたら。

 そういうふうに考えていくと、ちょっと面白いじゃない」

 彼女はそう言うと、にっこりと微笑んだ。

「お話しできて楽しかったわ。また、機会があったら」

 彼女が席を立ったその後には、エキゾチックな香水の残り香とともに、珍しく気圧された感のあるビクトリアが残されている。

「そうそう、こんな話もあるわ。ノアの箱舟には、すべての『動物』が、つがいで乗せられたけど、『植物』や、『虫』を乗せたとはどこにも書いてない。意味深よね。そして、水が引いた後に放たれて戻って来たハトがくわえていたのは、何だった。そう、オリーブの葉」

 振り返ってそう言い残すと、コツコツと靴音をたてて歩み去るCA。

「面白いけど、整理されてないわ。素人の発想」

 そうかな、そうかもしれないけど。負け惜しみだな、それは。

 ビクトリアは、ちょっと不機嫌になって、テーブルの飲み物に手を伸ばし飲もうとして、その手を置いた。

「帰りましょう」

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