第15話 アリゾナ

 二人が向かったのは、アリゾナの砂漠の中、クウィンラン山という山の山頂にあるキットピーク国立天文台。アメリカン航空でシカゴ・オヘア国際空港を経由してツーソン国際空港までやって来た。

「なぜ、こんなとこに」

「アメリカの国立天文台の総本山(アルティメイト)っていうのかしら、ここは」

 それにしても、はるばるこんな辺鄙なところに。まあ、今に始まったことではないけれど。

 ツーソンで借りた車で荒地の中の一本道を二時間。ここに来ることに意味があるのか無いのか。たぶん、無い。

 途中、『キットピーク国立天文台』と矢印で示された小さな看板を見印に、道を左に折れる。遠く山頂に見える天文台を目指し、しばらくして山道に入る。山肌をくねくねと上ると、けっこう雄大な景色。見晴らしは最高。天文台を建てるだけのことはある。

 着いた先は思いのほか開けている。山頂には施設がいくつか点在している。なんと、ここにもビジターセンターなんてものがある。広場にはベンチ。中に入れば、お土産も。すごいな国立。

「ボスに会いたいんだけど」

 ビクトリアはビジターセンターに入っていくと、物憂げな売り子の女性に話しかける。

「ボスは休みよ」

「売り場の主任のことじゃないわよ」

 女性は、怪訝そうな顔を上げ、クレーマーでも見るような眼でビクトリアを見る。

「天文台の所長さんに会いたいの」

「ここじゃわからないわ。天文台に行って」

「どの建物?あっちのドーム?」

 思いのほか広い山頂には、いくつかの建物が点在している。

「ちょっと持って」

 女性は、どこかに電話をかける。

「迎えに来てくれるって」

 どうやら、怪しい者とは思われなかったらしい。もしかしたら、監視カメラでもついているのかも知れない。それが何処につながっているのかは知らないが。

 そもそも国立とはいえ、天文台なんぞにテロリストなんてのはやって来ないだろうし。

 まあ、神出鬼没って意味じゃ、ビクトリアもすこぶる穏当なテロリストみたいなもんかもしれないが。

 それからしばらくして、ビジターセンターの前に一台の車が乗りつける。

 中には妙齢な女性が一人。彼女は窓を開けると、二人に向かって

「ようこそ、キットピーク天文台へ」

と、満面の笑みで声をかける。

 この御仁は、少なくともボスじゃなさそうだ。

 二人は、招かれるまま車の後部座席に乗り込む。

 車は来た道を少し戻り、ひときわ立派なドームの前で止まる。

 女性は、二人をドームの中へ案内する。

「メイヨール反射望遠鏡よ。メイヨールというのは、最初のボスにちなんだ名前なんだけど。口径は三八一センチメートル。大きいでしょう。他にも二十二台の望遠鏡があるのよ」

 女性は、豆知識を披露する。

「この山は、先住民の居留地の中にある聖なる場所なんだけど、天体観測のために特別に土地を貸していただいているの」

 うーん、どうにも、説明に慣れてるふしがある。これは、もしかすると、定番の見学ツアーってやつじゃあないのか。

「別に、そういうお話を聞きたいんじゃないの」 

 案の定、ビクトリアが不満を口にする。

「あら、じゃあ、何がお望み」

「オウムアムアの話を聞かせてほしいの」

 女性は一瞬間を置いてから、頷くと、二人を奥の一室へと案内する。

 そこは、壁一面を書棚が埋め尽くしたこぢんまりとした部屋。大量の本がありながら、どこか落ち着いた雰囲気が漂っている。

「詳しい者を呼んでくるわ。太陽望遠鏡の方にいるから」

 女性はそう言い残すと部屋を出ていく。

「オウムなんとかって何だい」

「太陽系外からやってきた飛翔体」

「UFOか、宇宙人が乗ってた?」

「安直ね。まあ、そういうことを言ってる人もいるけど。月も人工物だって言う人がいるくらいだから」

「そうなのか」

「違うけどね。NASAで聞いたでしょ、月の成り立ち」

 いやいや、実は、おまえさんもそのあたりから興味が『月』から『宇宙人』に移ってきたんじゃないのか?

「で、そいつの写真でもあるのかい」

「残念ながら。発見されたときは、地球から大分遠ざかってたから」

「結局、何なんだい」

「それを、聞きに来たのよ」

 と、軽くノックの音。

 入ってきたのは、細身でやたら背の高い男性。どうやらこの部屋の主らしい。

「オウムアムアだって。いやあ、興味を持ってくれてありがとう」

 入ってくるなり、こぼれんばかりの笑みを浮かべる男性。いきなりビクトリアをハグしそうな勢い。

「あれは、大発見だったんだけどねぇ、実際。今じゃ話題にもならないけど」

 男性は、そう言いながら、無造作に置かれた二つしかないキャスター付きの椅子に座るよう身振りで勧める。自分は、デスクの角に寄りかかるようにして腰かける。

「さて、どのあたりからお話ししようか」

「オウムアムアって、ずばり、何なの?」

「うーん、直球だね」

 男性は、そう言うと楽しそう笑う。

「はっきり言って、今となっては、何だか分からない」

「何よそれ」

「分からないから、いろいろ仮説が立てられる」

「人工物とか」

「そうだね。あんな細長い形をした天体は、確かに不自然だ」

「あなたもそう思うの?」

「人工物かどうかは分からない。まあ、そういうふうに考えると楽しいよね。恒星間を飛行している宇宙船、その残骸」

「残骸?」

「バトンみたいにぐるぐると縦回転してたからね。それじゃ、生物が乗るのは無理だろうし」

「かつては異星人が乗ってたっていうの?」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。単なるマシンとしての人工物なら、あんな棒っきれみたいな形状をしている必要もないしね」

「でも、地球から離れていくにつれて、加速したって聞いたわ」

「地球からというか、太陽からというか。確かに加速したんだ、観測上はね」

「地球を観測するために減速していた」

「うーん、どうだろうね。お話としては、面白いんだけどね」

「あなたは、異星文明の恒星間宇宙船という考えには与(くみ)しないの?」

「まあ、そこから話を進めてしまうと、その先が続かなくなってしまうからね。何しろ、もうオウムアムア自体を観測できないんだから。まずは、自然物が飛来したという可能性から探っていく方が、考え方のすそ野が広がるし、今後にもつながるよね。次に同じようなものが飛来した時に、その仮説を検証することができる」

「自然物だとしても、オウムアムア本体はもう観測できないんでしょ」

「他の天体の膨大な観測結果を当てはめて考えることができる」

「たとえば?」

「飛び去るときに加速したという事実。これ考察するのに、天体の内部組成についての知見からシミュレートしてみるんだ」

「どんなふうに」

「天体内部に含まれる氷結した水分が太陽の熱で溶けて、水蒸気として噴出することで加速したと考えることもできる」

「水蒸気は出ていたの?」

「実際は観測されなかったんだけどね。そこで、新たな仮説が立てられているんだ。オウムアムアは水素で出来ていた」

「水素が固体化していたの?」

「そう、水素の氷山だね」

「そんなもの、すぐに溶けて飛散してしまうんじゃないの」

「常識的にはね。一方、窒素の塊だったとういう説を唱えている研究者もいる」

「水素や窒素の塊だっていう可能性はあるの?」

「チリのヴェラ・ルービン天文台では、今後の観測で次のオウムアムアを見つけ出そうとしているんだ。その観測結果でこの仮説を検証することが可能になるんじゃないかと思うんだ」

「ボリソフ彗星についてはどうなの」

「ああ、クリミアの天文台で発見された。あれも大変興味深い」

「ボリソフ彗星も太陽系外から飛来したものなんでしょう」

「観測の結果によって、オウムアムアに次ぐ恒星間天体として位置づけられたね」

「オウムアムアとの関連は」

「オウムアムアは小惑星と考えられている、ボリゾフ彗星はその名のとおり彗星。その軌道もまた大きく違っている。いずれにせよ、オウムアムアもボリゾフ彗星もどんどん太陽から離れていってしまっているから継続的な詳しい観測は難しいんだ。ただ、オウムアムアを追いかける探査機を飛ばす計画があるんだけどね。実現すれば、二○五○年にはオウムアムアに追いつける」

「楽しそうね」

「ああ、ワクワクするよ」

「学者ってみんな楽しそうよね」

「君は楽しくないのかい」

 ビクトリアは、ちょっと顔をしかめる。

「私は人生を楽しんでいるわ」

「だったらいいんだけどね。人生は楽しまないと」

 ビクトリアはちらっとヒューストンを見る。ああ、大丈夫さ、俺は十分楽しんできたよ。今だって、お前さんのおかげで、自分一人じゃ、決してやらないようなことを経験している。

「オウムアムアの研究は、今も続けているの」

「情報を集めている。いろいろな研究者の意見は実に面白いからね。オウムアムアの飛来より三年前に地球に落下した恒星間天体があるという報告もあるんだ」

「初めて聞いたわ」

「パプアニューギニア沖に落ちたんだけどね。国防総省も認めている。もし仮にそれを海底から回収できたとしたら、とても素晴らしいと思わないかい」

「そうね、大ニュースになるわ」

「すでに取り組もうとしている人たちもいるそうだよ。まあ、なかなか難しそうだけどね」

「ところで、チリには観測に行くの?」

「機会があれば、ぜひ行きたいね。新しい発見が待っていると思うと、正直、いてもたってもいられなくなる」

「情熱家ね」

「そう言う君も、なかなかなものじゃないか」

「私は、知りたいと思ったことを追いかけてるだけ」

「それが情熱ってもんじゃないのかな」

「単なる好奇心」

 その好奇心に随分と振り回されているけれど。ビクトリアの言葉にヒューストンは一人苦笑いを浮かべる。

「お時間をいただいて、ありがとう」

「どういたしまして、僕も楽しかったよ。さて、どうだい、この後、天文台を案内させようか」

「ありがとう。でも、この後、まだ行くところがあるから、またにするわ」

 おいおい、この後って、まだ、どこかに行くのか。


 キットピーク天文台を出て、ツーソンに戻ってくる頃には、だいぶ暗くなっていた。

 夕日に赤く染まった荒地の一本道を車で疾走するのは、随分と気分の良いものだった。

 ヒューストンとビクトリアは、レンタカーを返し、予約しておいたホテルにチェックインすると、夜のツーソンの街に夕食を食べに繰り出した。

「天文台以外、見るべきとこは特になさそうね」

「行くところがあるって言ってなかったっけ」

「あの時間から説明始められたら、帰ってくるの何時になったと思う」

 確かに。

「なら、明日、『OK牧場』でも行ってみるかい」

「何それ」

 そうか。『OK牧場の決闘』なんて知る訳ないな。

「それに、明日の朝は、すぐ発つわよ」

「どこへ」

「まず、ロスね」


 ツーソン国際空港からロサンゼルス国際空港へ向かう機内で、ヒューストンは考えていた。とうとうアメリカを横断してしまった。この調子じゃ世界一周もやりかねない。

「さあ、乗り換えるわよ」

 ロサンゼルスで一服する間もなく、国内線を乗り継ぐ。行先は?

「マウナ・ケア」

 太平洋も渡るのか。

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