第16話 ハワイ

 ハワイに来たのは、いったい何年ぶりだろうか。若い頃は、毎年のように来たものだけれど。

 ハワイの空気感は独特だ。日常が、カーニバルの後のように少し高揚しているのに、それでいてどこか穏やかな雰囲気に包まれている。

 ヒューストンは、久しぶりに南国のゆったりとした時の流れを満喫出来るかと思うと、少しだけ気分が浮き立つのを感じていた。

「さあ、ハワイ島に行きましょう」

 あぁ?ワイキキでトロピカルドリンク一杯ぐらい飲んで行かんのか。まあ、そんなこったろうとは思ってたが。

 ホノルルのダニエル・K・イノウエ国際空港でほんの一時過ごしたのち、国内線に乗り換え、ハワイ島のヒロ国際空港へ。

 空港でレンタカーを借りると、休む間もなくマウナ・ケアに向けて出発。

「いきなり山頂へ行くのかい」

「寄るところがあるわ」

 ビクトリアに言われるまま、ヒューストンは車を走らせる。

 着いたのは日本の国立天文台ハワイ観測所、ヒロ山麓施設。

「あら、お久しぶり。また会えてうれしいわ」

 建物に入ると、ビクトリアは受付を通して呼び出された若い日本人に親しげに挨拶をする。

 見覚えのあるその姿。日本を訪ねた時に会い、そして英国はカーディフの大学で再会したあの若い研究者だ。

「こちらこそ。ここでまた会えるとは思っていなかったですよ」

 青年はヒューストンとビクトリアに椅子を勧める。

「すごいわね。世界中いろんなとこで研究を続けていて。それで、今の課題は?」

「『宇宙網』といわれる星系間に漂う水素ガスの大規模構造について研究していますよ」

「水素ガス?じゃあ、当然、オウムアムアにも、ひっかかるものがあるんじゃない」

「オウムアムア。あれは面白いですね」

「オウムアムアは水素の塊?」

「そういう説もあるようだけど、僕はそうではないと思っています」

「人工物?」

「それはないと思います。あくまで自然物としての天体だと思いますよ。ただ、水素だけの固体が太陽系外から飛来したというのはちょっと考えづらい」

「だったら何だと?」

「彗星のように尾を引いていないことから、いわゆる小惑星型の天体だと考えています。実際、表面は炭素が含まれた物質に覆われているという研究結果も発表されています」

「星系間の水素ガスは関係しないの?」

「『宇宙網』は、まだ研究の緒に就いたばかりなので何とも」

「パンスペルミア説との関わりはどう?」

「オウムアムアが何かを地球にもたらしたのではないかと?」

「そう、例えば、新型コロナウイルス(COVID19)」

「どうでしょうねえ。オウムアムアが物質を放出していったようには見えないですからね」

「なら、ボリソフ彗星は?」

「クリミアの天文台で発見された太陽系外彗星ですか。確かに組成は一般的な彗星とはだいぶ異なったものだったようですが。彗星から噴き出したガスの観測結果では、一酸化炭素が通常のものより大分多かったようですけれども。しかしウイルスをまいっていったかどうかは、なんとも言えないですね」

「でも、時期的には符合するんじゃない。多少のタイムラグはあるけど」

「確かに。宇宙空間からウイルスが飛来する可能性は、あなたもご承知のとおり大いにあり得ます」

「そのあたりを調べてみる気はないの」

「成層圏でウイルスを捕まえるのは非常に難しい調査になります。そもそも、時期を逸していますし」

「珍しく後ろ向きじゃない」

「彗星と伝染病の関連は、過去の歴史的事実を精査し、その符合する状況を確認していくぐらいでしょうか。もちろん、スリランカでの赤い雨の研究には大いに興奮させられましたが」

「彗星が赤い雨の原因物質を運んできたっていうところまでは突き止められたんでしょう」

「確証はなかなか得られないんですけれどね」

「先生は?」

 あの先生か。この青年の大学の教授。今頃、何しているのやら。

「先生も引き続き調査を続けてらっしゃいます。あわせて、最近日本でよく観測される火球との関連を考察されています」

「火球?」

「小惑星の破片ですね」

「オウムアムアの?」

「ではなく、何か別の天体の破片が漂う宙域を地球が横切っているんではないかと」

「じゃあ、その破片が、新型コロナウイルス(COVID19)を地球にばらまいた?」

「それは、確認できていないんです」

「火球を調べればいいんじゃない」

「火球というくらいですから、概ね燃え尽きてしまうんです、大気中で」

「でも、地上まで落下してくる燃えカスだってあるんでしょう?」

「確かに」

「それを調べてみればいいんじゃない」

「落下中に高温で焼かれていますからね」

「そうそう、パプアニューギニア沖に落下した恒星間天体があるそうじゃない。それを調べて見れば?」

「海底から引き揚げられさえすれば、もちろん調べる価値はあると思います」

「ぜひ、調べてみてよ」

「そうですね、機会があれば。ところで、マウナ・ケアには行かれましたか」

「これから」

「では、ご案内しましょう。ぜひ、われわれの『すばる望遠鏡』を見ていただきたい」

「ありがと!すごくうれしい」

 青年の案内で四駆に乗り換え、マウナ・ケアに登る。

 空気が希薄なマウナ・ケアの山頂は、冴え冴えとして、遠くどこまでも空が広がって見える。

 地元では聖地として崇められ、天文台の建設にすら制限が設けられている神聖な場所。

 いわゆるパワースポットってやつだ。

 確かに、夕暮れ時の山頂からの眺めは、海と空、太陽と雲の織りなす一大パノラマが神々しいばかり。

 仰ぎ見れば、暮れかけた空に瞬き始める天空の星々。日が陰るにつれ、その数は増し、銀河の片鱗が姿を現し始める。

 傍らでビクトリアが声をなくして息をのんでいるのが分かる。

 ヒューストンも久々に心を少し揺さぶられる思いがする。

 こいつと一緒じゃなきゃ、こんなところ、一生来なかったな。

 やがてあたりは闇に包まれ、本当に三百六十度、空一面が星に覆い尽くされる。満天の星空とはまさにこのこと。澄んだ空気のもと、星は瞬かず、宝石の欠片が漆黒の暗幕の上に思い切りよく撒かれたよう。

「さあ、『すばる望遠鏡』を見に行きましょう」

 髙さ四十メートルの円筒形のドームの中には、口径八・二メートルの世界有数の大口径光学赤外線望遠鏡が鎮座している。肉眼では捉えることのできない宇宙の神秘を解き明かすそのブルーに彩られた二十メートルを超える雄姿をしばし堪能したのち、ビクトリアとヒューストンは、マウナ・ケアを後にする。

 夜更けの山道から見えるのは、星々の光と街の灯。そして、その間に、底知れぬ闇のように海が横たわっていた。


 せっかくのハワイ。オアフ島に戻って、ひと時バカンスらしきものを楽しむ二人。

 青年の話では、オウムアムアを発見したのは、マウイ島ハレアカラ山にあるパンスターズプロジェクト(太陽系の小天体の探索なんかを目的として進められているプロジェクトだとか)の望遠鏡だそうだが、ビクトリアはそこには行かないことにしたらしい。

 ビクトリアもちょっとお疲れか。まあ、充分話も聞いたしな。

 ワイキキのカフェで、パイナップルだのなんだのをしこたま載せた、真っ青なトロピカルドリンクなんぞをぼんやりと飲むとはなしに飲んでいるヒューストン。そこへ、一人で泳ぎに行っていたビクトリアが、髪から水を滴らせながら帰ってくる。ホテルショップで買ったブルーのビキニがその白い肌をひときわ際立たせている。

 ヒューストンの向かいに座ると同時に、ビクトリアはヒューストンのトロピカルドリンクを一口。

「気持ち良かった。泳がないの?」

 ビクトリアの濡れた身体から、流れかけた日焼け止めの香りがほんのりと漂って来る。

「遠慮しとくよ。日焼けはご免だ」

「ねえ、オイル塗ってよ」

「最近のはウォータープルーフとかいうんだろ」

「念には念を入れるの」

「自分でやれよ」

 不満げに長い手足にオイルを塗り始めたビクトリアを横目で見ながら、ヒューストンはドリンクに手を伸ばす。

「明日はお昼過ぎの便で日本行くわよ」

 とうとう太平洋横断か。

 もはや大して驚かなくなってしまったヒューストン。

 翌日、二人は羽田行きのJALのビジネスに乗り込んでいた。

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