第28話 敦煌

 そのまま昼過ぎに出る上海行のBAをターミナル内で待つことにしたヒューストン。上海に着くのはまた翌朝か。二日続けての機中泊はさすがにきつい。

 ヒューストンはiPhoneでチケットを確認する。

 ああ、ありがたい、ビクトリアの取ってくれたチケット、ファーストクラスだ。


 ヒースロー空港は広い。とてつもなく広い。

 ターミナルが四つもあって、乗り継ぎには苦労する。が、今回はBA同士の乗り継ぎなのでターミナルを移動する必要がない。おまけにBAのファーストクラスだから専用ラウンジ、『コンコルドルーム』が、また使える。

 食事も飲み物も、アルコールも充実している。けれど、ヒューストンはシャワーを浴びたいと思っていた。

 そこで、とりあえずコンシェルジュを見つけて尋ねてみる。

「九時から一時間だけでしたら『カバナ』をお使いいただくことができます」

 『カバナ』?

 案内されたのは、完璧なプライベートルーム。ソファーベッドにシャワー・トイレ付き。三室しかなく、どうやら予約が必要だったらしい。

 ヒューストンは軽くシャワーを浴びると、ソファーベッドに横になる。

置いてあるメニューが目に留まったので、飲み物を頼む。

 せっかくなのでシャンパンなど飲んでみる。

 朝から飲むにはちょうど良い軽さ。

 『ガバナ』を満喫。シャワーも浴びることが出来た。実に申し分ない。


 ヒースローで一息付けたので、上海までのフライトはまずまずだった。ファーストクラスに乗って、まずまずというのも随分と贅沢な話だが。

 上海浦東国際空港に翌朝八時に到着し、鄭州経由でチャルクリク樓蘭空港まで行こうと便を探したが、うまく乗り継ぎ出来るフライトがない。けれど、運よく、敦煌莫高国際空港行きの直行便の搭乗券が入手出来た。

 割合と早く出発する便なので、その日のうちになんとか店に帰り着くことが出来そうだ。

 乗り込んだ中国東方航空はエコノミークラス。ここまで楽をしてきた分、かなり居心地が悪い。とはいえ、敦煌まで四時間余り。辛抱できないほどの時間でもないだろう。

 ヒューストンが、三つ並びの座席の通路側の自分の席を見つけときには、既に一つあけて窓側に東洋人の男性が座っていた。

 年の頃は五十か六十、地味なオレンジ色の僧衣を着ている。

 ヒューストンは、軽く会釈して席に着く。

 やがて、シートベルト着用のサインが点灯し、飛行機は離陸を始める。どうやら真ん中の席に乗客はいなかったようだ。

 暫くして、飛行機は上昇し終わり、シートベルト着用のサインが消える。

機内ではCAが慌ただしくドリンクのサービスをし始める。ヒューストンが飲み物の来るのをぼんやりと待っていると、僧衣の男性が英語で話かけてくる。

「観光ですか。私も莫高窟に行くんです」

「ああ、観光ではないんですよ。まあ、仕事です」

 ヒューストンは詳しく説明するのも面倒なので曖昧な返事をする。

「それは失礼しました。どんなお仕事をされているのですか」

 どうやら、話し好きらしい。

「あー、そうですね、販売関係です」

「そうですか。私は見てのとおり坊主をやっております。長いこと莫高窟を見に行きたいと思っておりましたが、今回、やっと訪ねることができて、とてもワクワクしています」

 そういうものなのかな、仏教を修める者にとっては。

 自分も一度見たきりだけれども、特にありがたいとも思わなかったが。

 それからしばらくの間、ヒューストンはその坊さんと話を続けた。実はその坊さん、広州市にある由緒ある寺、大佛寺の僧侶で、そこそこ偉い人らしい。

「そうですか、生まれ変わりについてお調べになる旅に出ていらしたんですか」

 だいぶ話がはずみ、僧侶であることもあって、ヒューストンは坊さんにこの数週間の出来事をかいつまんで話して聞かせた。坊さんはそれを興味深そうに聞いている。

「私たちは皆、輪廻転生を繰り返しています」

 坊さんは問わず語りに話し始める。

「ただ、お話しされていたように、自分自身といいますか、その変わらない『自我』、『意識』というものが生まれ変わる訳ではないんです」

「チベットのお坊さんもそんなことを言ってました」

「それは、『魂』が何度も輪廻転生するということじゃありませんでしたか」

「まあ、そうですね。魂が何度もこの世に生まれ変わって解脱を目指すというような話でした」

「仏教でいう生まれ変わりは、そうではないんです。仏教では不変なものは何一つない。すべては『空』だと言います。ですから、いわゆる不滅の霊魂というようなものはない、そう説かれています」

「じゃあ、何が生まれ変わるんです」

「一言で説明するのはとても難しいのですが、今ある『私』というものは、『五蘊(ごうん)』と呼ばれる『色』『受』『想』『行』『識』の五つが寄り集まって形を成したものであって、死すればそれがほどけ、再び寄り集まれば生を得るのだと考えています。『五蘊』が形を変え、幾度となくこの世に『私』として現れるのです」

「よく分からないな。生まれ変わりというものはあるのだけれど、今の『自分』はそのままの『自分』としては、生まれ変わらない、そういうことですか」

「そう、今のままの『自分』ではない」

「うーん、それだと『生まれ変わり』じゃないんじゃないのかな」

「いいえ、一人ひとりの奥底にあるものは『解脱』を目指して幾度となく生まれ変わるのです」

「難しいですね」

「ええ、私もまだまだ修行の身です」


 坊さんと話し込んでいるうちに、雪を抱いた祁連(きれん)山脈を越え、砂漠地帯を横切り、やがて莫高窟を左手に望みつつ敦煌莫高国際空港へと降下を始める。

「それではここで」

 空港ロビーで莫高窟へ向かう観光客の群れの中に消えていく坊さんと別れると、ヒューストンはレンタカーを借りて、一路、店へと走り出した。

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