第25話 クルクワン

 バージニアに帰ると言う若者は、そろそろフライトの時間だからと出発ロビー向かって去っていく。上海浦東国際空港からヨーロッパ経由で二日がかりでバージニアへ向かうとか。旅費を安くあげるのも大変だ。

「さあ、アラスカに行きましょう」

 そう来ると思った。

 二人は桂林でホテルを取ると、夕食を済ませ、夜、ワシントンが活動し始める時間を見計らってBIAに電話をかける。

 BIAの職員には、ネイティブ・アメリカンの研究のためにトリンギット族に会いたいので、その窓口を紹介してほしいと問い合わせる。

 どこの研究機関かとの質問には、ビクトリアの母校、ケンブリッジの名前を出すと、割とすんなり教えてくれた。

 アラスカはまだ早朝なので、深夜まで待って、トリンギット族のコミュニティの窓口に電話をかける。詳しい話はせずにどうすれば会って話しができるか質問すると、まずは、アラスカ南部のクルクワンという町に来てくれれば会えるとの回答。

 ヒューストンとビクトリアは、翌日昼前に、上海航空で桂林から上海に飛ぶ。 

 上海からは、午後のエアカナダでバンクーバーへ。太平洋上で日付変更線を越えたので、十一時間近く乗ったのにバンクーバーに着いたのは同じ日の昼前。

 カナダに入国するための電子渡航認証(eTA)は桂林で取得済み。さらに、アメリカの電子渡航認証システム(ESTA)の認証は受けているので、バンクーバー国際空港でアメリカへの自動入国審査端末を利用してカナダにいながらアメリカへの入国手続きが出来る。ここまで済ませておけば大丈夫。

 結局、飛行機ではずっと昼間の時間に乗っていたことになるので、気がつけば完徹に近い状態。とりあえず、今日は、バンクーバーで一泊することに。空港からすぐ、バラード湾にほど近い『ウエッジウッド・ホテル』に宿を取る。

 翌朝早く、アラスカ航空でバンクーバー国際空港からシアトル・タコマ国際空港、そこで乗り替えてアラスカはジュノー国際空港へ。

 昼前に着いたので、軽く食事をして、いざ、クルクワン近郊のヘインズへ。ところが、乗る予定の飛行機を見て、ビクトリアが二の足を踏む。

「小さすぎない?」

 確かに駐機場に止まっているのは小さなはセスナ機。

「あれはちょっと嫌かな。きっとすごく揺れる。吐いちゃうかも」

 珍しく気弱なビクトリア。

 飛行機なら三十分程度で行けるヘインズだが、無理強いも出来ない。

 アラスカは大いなる自然の中。ジュノーからクルクワンまで行ける道路はない。

 しかたなくフェリーで行くことに。

 空港でレンタカーを借りて、空港から十数分の距離にあるオークベイのフェリーターミナルまで行き、アラスカ・マリン・ハイウエイのフェリーに乗る。そこから百二十キロほど北のヘインズまで、フィヨルドの狭い湾の中を雄大な景色を眺めながら、ひたすら北上。ヘインズ・フェリーターミナルで降り、海沿いに一時間ほど走って、ようやくクルクワンの町に着く。

 既に夕刻。昨日のうちにアポを取り、さたにジュノーで、フェリーで行く旨伝えておいたコミュニティの代表の人に改めて電話して、お邪魔するのが遅くなってしまったことを詫び、待ち合わせの場所へ行く。

 ありがたいことにアラスカのネイティブ・アメリカンの集まりである『アラスカ・ネイティブ・ブラザーフッド』のメンバーで、トリンギッド族の長老の男性に引き会わせてくれるという。

 案内されたのは、個人の家の一室。どうやら代表の人の家のよう。家の前には少し不気味なトーテムポールが建っている。

 長老は鋭いくちばしのイーグルが織り込まれた鮮やかな青色のネイティブ・アメリカンの民族衣装を身にまとい、一人がけのソファーに深々と身を委ね、模様が彫り込まれた細長いパイプで煙草を吸っている。部屋の中には何とも言えない強い香りが立ち込めている。

 長老の様子があまりに重々しいので、すっかり気後れしてしまっている二人に、代表は、長老の向かいのソファーに座るよう促す。

 なんとも重苦しい沈黙の後、煙草を吸い終わった長老がおもむろに口を開く。

「さて、私に話を聞きたいというのはどちらの方かな」

 長老は、二人の顔を交互に見つめる。

 ビクトリアは口を開く前に一度口元をきゅっと真一文字に結び、ごくりと唾を飲み込む。

「生まれ変わりについてお聞きしたいの」

「ほう」

 長老は細い目を少し見開く。

「それは宗教的な疑問かな、それとも個人的な問題かな」

「個人的な質問です」

「そうか。お身内でも亡くされたか」

「身内というか」

 ビクトリアはちょっと口ごもる。

「飼っていた猫が」

「なるほど」

 長老は目を閉じ、そして語り始める。

「生けるものは皆生まれ変わる。動物も。我らの祖先も動物の化身だ」

 長老は目を開き、ビクトリアを見る。

「人はより良き人生を送るために何度でも生まれ変わる。次なる人生に望むことを口にし、時に、次なる人生でその家族とならんことを欲する者を訪ねる」

「実際に生まれ変わったという人はいるの」

「いる。大勢いる」

「その人たちに会うことはできないのかしら」

 ビクトリアのその言葉を聞いて長老は代表の男性に目を向ける。

「少し待ってもらうことになるが、よいかな」

 長老はビクトリアに問いかける。

「ええ」

 ビクトリアはヒューストンに目配せをして頷く。ちょっと肩をすくめるヒューストン。

 そのやり取りを聞いて部屋を後にする代表の男性。残された者たちは、ほぼ無言のままその帰りを待つ。

 三十分ほどして戻ってくる代表の男性、背後に一人の女の子を連れている。

「聞きたいことがあればこの娘に尋ねるとよい」

 そこにいるのは、ネイティブ・アメリカンのごく普通の女の子。

 ビクトリアは探るように口を開く。

「年はいくつ」

「五歳」

「この近所に住んでるの」

「そう」

「それで、生まれる前のこと、生まれ変わる前のことを覚えてるの」

「覚えてる」

 それから後はビクトリアと女の子の一問一答が続く。

 女の子の話によれば、今は両親と二人の兄とともにクルクワンの町で暮らしているが、前世ではもう少し北の居留地に住んでいたという。

 前世は男性で、大自然の中で主に狩猟生活を営んでいたが、不幸にして狩猟中の事故がもとで若くして亡くなってしまったという。

 その居留地での生活は、どうやら五十年ほど前のことで、代表の男性の話では、確かに狩猟中、誤って撃たれて、その傷がもとで亡くなった若者がいたことが確認できたとのことだった。その若者の名前も女の子が覚えているものと一致している。

 何より、女の子は、その若者の親戚筋に当たるらしく、若者が亡くなった話を女の子の祖父母はよく覚えているそうだった。

「この子は望んだとおりに生まれ変わった」

 ひととおり話が済んだあと、長老が口を開いた。

「というと?」

 ビクトリアが怪訝そうに尋ねる。

 長老は女の子に優しく微笑みかける。

「おまえは前の世で死んだとき、何を思った」

 女の子は微笑む長老の顔を見て恥ずかしそうに答える。

「次は、町に生まれたいって思った」

「そういうことだ」

 長老はそう言うと満足そうな笑みを浮かべる。

 生まれ変わったという人物を目の前にして少々興奮気味のビクトリアだったが、最後の長老と女の子とのやり取りについては少し腑に落ちない様子。

 それを見た代表の男性がそれを補おうと説明を始める。

「私たちは、人は死んだら生まれ変わると信じています。ですから、生まれ変わったらどのような境遇になりたいか、日ごろからよく話題にしています」

 男性は続ける。

「次の人生は今より良い人生となる。最期の瞬間は、生まれ変わる先に思いを馳せて死ぬのです」

「だから、この子は望んだとおりに生まれ変わった」

「そうです。この子だけでなく、このように生まれ変わった者は、他にも何人もいます」

「死ぬときに何を信じ、何を望むか、それが重要だ」

 長老がビクトリアを諭すように言葉を継ぐ。

 ビクトリアは長老の目を見て小さく頷いた。


 その日はクルクワンに一泊することにした。

 クルクワン。トリンギット族の言葉の『永遠の村』に由来する地名。

 転生を語るにはもってこいの場所。

「やっぱり生まれ変わりって本当にあるのかもしれないわね」

 夜、好意で泊めてもらった代表の男性の家の一室で、ビクトリアは感慨深そうに独り言つ。

「その人の思いが生まれ変わりを生む。それって一番ありそうもないことだと思うんだけど、でも、この場所で、ああして生まれ変わったというその人本人を目の前にすると、信じてもいいのかなって思う」

 ヒューストンは何かを答えるということもなく、黙ってそんなビクトリアの様子を眺めている。自分として何かしら答えが出たというならそれでいい。

「動物も生まれ変わるのかどうかは、はっきりしなかったけど、でも私の猫もどこかで生まれ変わっているのかも知しれないって考えると、少し楽しいような嬉しいような、そんな気がする」

 その時、部屋の扉をノックする音がする。

「外に出てみませんか。素晴らしい夜空ですよ」

 その家の主、代表の男性に誘われて、二人は家の外に出る。夜も更けた頃合いの屋外は大分肌寒い。

「わぁ、見て!」

 外へ出た途端、ビクトリアが歓声を挙げる。

 見上げた空に薄い緑色の光の帯が踊っている。

 それは、やがて空一面に広がり、さながらカーテンのように揺らめきだす。

 空の低い所では、ピンクの光が淡く輝いている。

「この地域で、これほどのものはめったに見られません。とても運が良かったですね」

 気が付けば、ビクトリアはヒューストンの手をぎゅっと握りしめている。その顔は喜びに溢れ、目を輝かせて夜空の饗宴を見つめている。

 ヒューストンはオーロラ揺らめく寒空の下、ビクトリアの掌の温もりに、我知らず温かい気持ちになる自分を少しの間楽しんでいた。

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