第26話 シアトル
クルクワンの代表の家を早朝に暇乞いして、ヘインズに向かう。
帰りは、ヘインズの町の手前にある空港、というには名ばかりとも言えそうな、広々として舗装された空き地から、エア・エクスカーションズのセスナでジュノーに向かうことにした。
代表の男性に、セスナはこの時期そんなに揺れないから大丈夫だと言われ、ビクトリアも不承不承乗ることを承諾。
二人とも初めてのセスナ。ちょっと不安な三十分ほどのフライト。四方にアラスカの広大な山と海が広がる。
旅客機では味わえない、正に空中を飛んでいる気分。足の下が地面に触れていないのを実感するのは不思議な感覚。
ビクトリアは、乗りたがっていなかったのを忘れたかのように、窓の外の景色を食い入るように見つめている。ヒューストンも妙に興奮している自分がおかしかった。
「ちょっと疲れたわ」
ちょっとどころではないな。シアトル行の便を待つ間、すっかり寝不足のヒューストンは空港ロビーの椅子に深々と身をうずめた。
ジュノー国際空港からシアトル・タコマ国際空港までデルタ航空で二時間と少し。飛行機の窓からマウント・レーニアを望む。
「どうする。一休みするか」
お昼前の空港ロビー。アラスカからワシントン州のシアトルにちょっと移動しただけで一時間時計が進んでいる。タイムゾーンがアラスカ時間から太平洋時間に変わっている。
クルクワンを、朝、慌ただしく発ったので朝食抜き。まずは昼ごはん。
「スター・バックスばっかりね」
さすが発祥の地。空港内のそここにスター・バックス・コーヒーの店がある。
「シーフードが食べたい」
確かにアラスカはクルクワンまで海を渡って行ったけれど、シーフードらしいものは食べなかった。
シアトルは海辺の街。シーフードが美味しいに違いない。
スタバを横目に、広い空港内を歩いて行くと、シーフードを食べさせてくれるレストランを発見。
店構えも入りやすくて良さげな感じ。通された席は窓際。そこからは空港が一望。
新鮮なシュリンプにクラブ、そしてシェル、イカのフリッターをつまみながらビールを飲む。
どれもうまい、大正解。
ビクトリアもすっかりご満悦。
窓からは飛行機が離着陸するのがよく見える。ちょっと優雅な昼食だ。
けっこう食べて店を後にしたのは昼も大分回った時刻。
「ここってシアトルじゃ有名なレストランのチェーンみたい」
グーグル先生の画面を見せるビクトリア。なるほど、納得の味だった。
「今日は、ここで一泊するのはどうだい」
まだ日も高いが、酒も飲んでしまったし、移動する気分じゃない。
「そうね、そうしましょう」
満腹になったビクトリアも同じ気持ちだったのか、さっそく予約サイトでホテルの検索を始める。
「『フォーシーズンズ』がとれたわ。行きましょう」
シアトルの入り江に面したホテル。大きな観覧車が目の前に見える。
「観覧車に乗りたい」
ホテルの部屋から外を眺めたビクトリアが呟く。
いつも生意気風を吹かせているビクトリアが急に年相応のことを言いだすものだから、ヒューストンも仕方なく付き合うことにする。
港の際にせり出して設えられた観覧車。
四十ほどのゴンドラのうち、一台だけ革張りシートのVIP用が備えられている。値段は驚くほど高い、という訳でもない。
「どうする」
「別に。普通のでいいわ」
五台ずつ乗降場所に止まるゴンドラに乗り込む。
次第に高さを増していく観覧車のゴンドラからは、シアトルのビルが群れをなして目に飛び込んでくる。
ビルの向こうにはシアトルのランドマーク、『スペースニードル』が思いのほか小さく映る。目を転じれば遠くエリオット湾を見渡すことが出来る。
八人乗りのそこそこ広いゴンドラの中で、ビクトリアは席を変えつつ四方を眺める。
窓の開かない締め切られたゴンドラの中で、ビクトリアが動く度にビクトリアの纏う香りがヒューストンの鼻をくすぐる。
ヒューストンの目の前でビクトリアのすっと伸びた白い脚が無造作に組み替えられる。
まったく、子どもなんだか、大人なんだか。
そのまま観覧車はくるくると三周回って、終了。
「けっこう楽しかった」
「観覧車は初めてなのか」
「ロンドンで乗ったことあるけど、一つのゴンドラに知らない人が二十人くらい乗ってくるから落ち着かないし、三十分も閉じ込められるんですごく嫌だった」
確かにそれは子どもにはきついだろうな。まあ、大人でもちょっと嫌だ。
そう思っているヒューストンも、実は観覧車に乗ったことがほとんどない。昔、デトロイトの『コメリカ・パーク』にある野球のボールの形をした子供向けの観覧車に同僚と冗談半分で乗ったことがあるぐらいだ。
まあ、今日は楽しかった。
ゴンドラを降りると、乗り込む前に、記念に、と撮影された写真が売られている。
どこの観光地にもあるアレだ。
もちろんスルーするつもりだったが。
「買おうかな」
ゴンドラを背景にして、無愛想な顔をした二人がこちらを見つめている。
ビクトリアは、台紙に張り付けられたその写真を受け取ると、さっと先にたって歩き出す。
記念、ね。
ヒューストンはビクトリアの後から、ゆっくりと歩を進めた。
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