第二話 やすらい祭り(2)
翌日、約束通りの時間に訪ねていくと、晴明宅の池には一匹の魚が泳いでいた。淡い金色に光る、
──ま、また疫神?
桃花は後ずさって、早く晴明が出てこないかと玄関を見た。魚に変化させられていれば悪影響はないと昨日聞いてはいるが、全然恐ろしくないと言えば噓になる。
ぱしゃん、とかすかに水音が立つ。
「ひゃっ」
おそるおそる振り返ると、そこには平安時代を思わせる装束の、十歳ほどの少年が立っていた。顔をよく見れば、晴明の式神ではないか。装束の名は、
「ひさびさに、お目もじつかまつる」
少年がたどたどしい口調で言った。久しぶりに会います、というような意味だと桃花は推測した。
「久しぶり。って言っても、二週間くらいかな? ミオが帰ってきた時以来だから」
「みおは、息災なるか?」
桃花の飼っている猫の話になると、少年の声音は急に幼くなった。
「元気だよー。じゃれる時こんなに跳ぶの」
桃花が両手を上下に広げて高さを表現してみせると、少年は「おお」と口をすぼめた。驚いているようだ。
「泳いでた金の鯉、あなた?」
「
かしこまった顔つきに戻り、少年は時代がかった返事をする。
「喋れたんだね」
「修行の
修行ってどういう修行、と尋ねようとした時、玄関が開いて晴明が歩いてきた。
「晴明さん、こんにちはー」
「ああ。準備はいいか」
晴明は今日もスーツ姿だ。
お祭りを見に行くならラフな
「この
「経験って、鯉に変えて池で泳がせるのがですか?」
「半分は修行で、半分は遊びだな。人が育つのに遊びは重要だ……双葉」
晴明に呼びかけられて、式神の少年は「はい」と返事をした。
「紫野の今宮神社へ行ってくる。留守を頼む」
「
「お土産買ってくるからね」
桃花が言うと、双葉は意見を求めるかのように晴明を見た。
晴明は、「もらっておきなさい」と大きくうなずく。
そのまま門の外へ歩きだした。
「ももかどの、ありがたき
礼を言う双葉に桃花は大きく手を振って、晴明の後を追った。
*
赤く長い髪の鬼が、太鼓を打って踊る。
黒く長い髪の鬼が、太鼓とともに跳ねる。
今宮神社境内に流れる歌は、やぁ、すぅ、らぁい、はあ、なぁ、やぁ、と最初聞こえたものの、すぐに何を言っているのか分からなくなった。
「晴明さん、あの人たち何て歌ってるんですか?」
「桃花には無理だ。神を喜ばせる歌だからな」
「えー」
「それより花傘を見ろ」
舞う鬼たちの背後に、花傘が掲げられている。散りかかる木の葉のように、赤い布の上に何かがたかっている。
「疫神……?」
薄緑の肌に黄色っぽい髪を生やした、つるりとした小人たち。赤い布の上に転がり、次々に消えていく。
誘蛾灯、という時子の言葉を桃花は思い出した。
「歌で神を喜ばせ神を呼び、疫神を呼び集めて散らす。来年の春にはまた、疫神どもは復活するわけだが」
晴明は、自分たちと同じ見物人たちを眺め回している。桃花も探してみたが、昨日篁たちの言った着物姿の男女はいないようだ。
「晴明さん。昨日本で読んだんですけど」
晴明の琥珀色の瞳が、(聞くぞ)という色合いを見せる。
「あの花傘は風流傘とも呼ばれてて、中に入ると病気にかからないんですよね? その年の厄が除かれるって書いてありました」
「かからないとは保証できないが、丈夫にはなる。不幸に遭いにくくなるのも確かだ」
「まだ入れないんですか?」
「歌が終わってからだ。さて」
晴明の指がひらめいた。
赤い札が宙を舞い、見物人の間を矢のような勢いで突き進んでいく。その先に、紺の着物を着た男性と桜色の着物を着た女性がいた。
──さっきまで着物の二人組なんていなかったのに、いつの間に?
桃花が推測するいとまもなく、赤い札が男性の額に貼りつく。明らかに動揺した二人は、寄り添うように境内の外へ走り出ていく。
「追うぞ」
「でも、すごく速いですよあの人たち?」
「問題ない」
見物人を搔き分けて、晴明と桃花も道路へ出た。二人の姿はなかったが、晴明は目印でも見ているかのように先へ先へと歩いていく。
いくつかの角を曲がって細い坂道に至った時、桃花は桜色の着物を着た女性を
「晴明さん、あの人……」
晴明が何か言う前に、女性がおずおずと近づいてくる。
「
「いや。陰陽師だ」
晴明は、女性が持っている物に目をやった。足裏の形に切った二枚の厚紙だ。晴明の投げた赤く小さな札が、一方に貼りついている。
──なんだろ、あれ? えーと、足の形だから、足の健康を守るお札だったりして。
桃花が一生懸命推理していると、女性が不安そうに晴明を見た。
「陰陽師……? うちはてっきり、相月堂の追っ手かと……」
「いや。男女のあやかしがいると聞いてな。やすらい祭りで集まる疫神に感化されては一大事、ということで見に来たのだが」
女性の顔が和らいでくる。晴明が『相月堂』と無関係と知って、安心したらしい。
「その
「はい……」
「足袋の型紙?」
桃花は見たことがなかったが、確かに足袋の底のような形をした紙だ。左右とも、筆で「
「うちは、この久作の妻、よし
「付喪神だな」
──えっとえっと、付喪神って何だっけ。
桃花は、必死で話に付いていこうと記憶をたどる。晴明は確か、付喪神とは古い器物が変化したあやかしだと言っていただろうか。
「この坂を下っていった所に、相月堂という足袋屋がありました。うちらは、相月堂と四十年も取引をしていた市原夫婦の足袋型紙。相月堂は店をたたみましたが、その子孫はまだ、
「それを聞いて、夫と逃げてきたか」
「はい、ほんの何日か前のこと」
女性の手が、型紙をそっと撫でる。
「今宮神社の花傘は、疫病を遠ざけてくれる。それほど強い力を持つ花傘に二人で入れば、きっと離れずにいられると話し合い、この日を待っていたのです」
女性がきつく晴明を睨む。
「決して、人に害を加えるつもりなどありません。どうかうちの人を元に戻してください。戻さぬなら、それなりの覚悟があります」
「やめておけ。そちらが負ける」
晴明が指を鳴らすと、女性の手元から型紙が舞い上がり、紺色の着物の男性の姿となった。
「わ、わしは今まで何を?」
きょろきょろとまわりを見回す夫の肩に、妻が手を添える。
「あっ、お前、大丈夫だったか! 守ってやれず、すまん! あの男は何者だ!」
混乱気味な夫の肩を、妻はさすってやる。
「危害など加えられておりませんよ、あなた」
「お、おう」
夫は、いからせていた肩をようやく落ち着かせて、晴明と妻とを見比べた。
「あの男の飛ばした札で、わしは元の型紙に……」
「少し話しましたが、敵ではないようですよ。陰陽師だとか」
「そ、そうか? お前がそう言うなら」
男性は、妻の言うことを戸惑いながらも受け容れたようだった。
「お前たち、末永く二人で居たいわけだな。足袋職人相月堂の子孫に燃やされずに」
夫婦はそろって「はい、はい」と真剣な目で答えた。
「ならば、二つ一組でうちの庭石にならないか」
──あっ。
桃花は思い出した。晴明は、家に庭石がほしいが良い趣向が見つからない、と言っていたはずだ。
「ただの庭石ではつまらんと思っていたところだ。夫婦から生まれた二つで一組の足袋型紙が、二つで一組の庭石になる。どうだ?」
「わしと妻が、お宅様の庭石となって末永くともに居られるのですか」
晴明に相対した当初は惑乱していた夫だが、すでに落ち着いているようだ。妻の肩を抱いて、値踏みするような目を晴明に向けてくる。その視線が自分に刺さってくるような悲しさを、桃花は感じた。
「あ、あのっ」
「何だ、小娘。陰陽師の見習いか」
夫が不審そうに言った。
「陰陽師見習いじゃないけど、この人の家で学校の勉強を見てもらってます。悪い人じゃないと思いますっ」
説得力があるのかどうか分からないが、とにかく自分なりに訴える。
「部屋に二人きりでもセクハラとか嫌なこと言わないし、調べ物の習慣をつけろって教えてくれるし、いい先生です! お菓子もお裾分けしてくれましたっ」
「……桃花」
心底憂鬱そうな声に振り返ると、晴明が一方の手で額を押さえてうなだれていた。笑っているのか怒っているのか、手と前髪に隠れて表情が分からない。
「晴明さん、わたし、よけいな口出ししちゃいました……?」
晴明は答えない。表情を隠したままだ。
──ど、どうしよう。晴明さんが変な目で見られるのが嫌で、割りこんじゃった。
桃花は夫婦をそっと見た。
妻も夫も、拍子抜けした顔で桃花と晴明を見ている。
「え、えっと。すみま……」
謝ろうとした桃花を、夫が手を上げて制した。
「晴明様、でしたな」
呼ばれて、晴明が無言でうなずく。
「人間からも信頼されておられると、よう分かりました。われらを引き離さないならば、どこへでも参りましょう」
琥珀色の瞳が、力を得たように光った。
「ともに居られるよう計らっても良いが、対価を払ってほしいものだな」
「対価とは」
「私の新たな式神になってくれるか」
「われらにできることなら何なりと」
「うちも、何なりと」
晴明は満足げに「よし」と応え、夫婦に歩み寄る。
「
夫婦は手を取り合ってうなずくと、深く頭を下げた。
「よろしゅうお願いいたします」
「うちも、よろしゅうお願いいたします」
「では、男は
二人がはいと答え、晴明が一つ
「収穫だな。これでうちの庭も趣きが出る」
晴明が、地面に落ちたままだった赤い札を拾い上げる。金色の文字で「露」とあるのは、露顕の露を表すのだろうか。
「二日続けて食べるのも何だが、双葉にあぶり餅を買っていってやろう。篁卿と時子が来た時は、冥府へ使いにやっていて食べさせてやれなかったからな」
「三人分ですか?」
「ああ。一人で食べさせるよりは、三人で食べる方が式神の教育にいい」
桃花は、つい立ち止まってしまった。晴明の白い横顔を、じっと見つめる。
「晴明さんって、やっぱり先生に向いているのかも」
「そうか?」
晴明は笑わなかったが、声が普段に比べてはずんでいる、と桃花は思った。
風に乗って、笛や太鼓の音が流れてくる。
遠い道を行く行列に、花傘の赤が映えている。
「神社の外も歩くんですか? 鬼や花傘」
「ああ、
晴明は春の空を
「……ここからは、どうやって帰るんだ?」
「あっ」
気がつけば付喪神を追って、狭い路地に入り込んでいた。
「
「何ですかそれ。普通に帰りましょう、普通に。また篁さんに怒られますよ?」
「私は構わん」
「篁さんは、晴明さんに現代人らしさを身につけてほしいんですよきっと。だからわたしに、一緒に行ってくれって頼んだんです。違いますか?」
「違わない、だろうな」
晴明が肩をすくめる。
「でしょ? 普通に行きましょう。双葉君にお土産も買わなきゃだし、坂道を下って低いところへ行けば、今宮神社も大きな道も、バス停もあるはずですからっ」
「それなら安心だ。あぶり餅も買える」
──この人、本当は迷わず京都市内を行き来できるんじゃないの? できない人の振りしてるんじゃないの?
桃花は少し疑ったが、結局晴明の背中を後ろから押した。
「ほら、帰りますよっ。縦石さんと横石さんを、庭に迎えてあげるんでしょう?」
「ふむ」
晴明は、抵抗もせず坂道を下りていく。
広い背中からかすかに振動が伝わってきて、この人は今、笑っているんじゃないか、と桃花は思った。
第二話・了
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