第三十七話 応挙の虎と薬研通の刀(4)

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 かき氷と言えばガラスの器が定番だが、茜は自分の振る舞うかき氷を赤いうるしわんに盛るので、あえて邪道かき氷と呼ぶ。保温性に優れた漆椀は氷が解けにくく手が冷えにくいため、ゆっくり味わって食べられる。

 別名を外道かき氷というのは、客に手動で氷を削らせるからだ。ただし梅や木いちご、キウイやしろを使ったシロップは茜の手作りである。

 魚のかき氷じゃなくて良かった──と思いつつ、桃花は漆塗りのさじを薄桃色のかき氷に差し入れた。シロップは木いちごに白味噌を少し添えてある。

 温かいほうじ茶があるので、舌が冷えても安心だ。

 かき氷を口に入れると、冷たさと華やかな甘酸っぱさが広がった。わずかに混じる濃厚なコクは、白味噌だ。


「おいしいです、茜さん。木いちごと白味噌が、何て言うか……ベリー入りチーズケーキみたいな甘じょっぱさ!」

「嬉しいねえ。祇園の甘味屋でやっていたから、ちょっと真似てみたんだよ」


 ちょっと真似てみた、と軽く言ってしまえるところがさすがだと桃花は思う。


「おお甘露。梅酒にも負けぬ滋味ですな」


 梅シロップをまとった氷の山から白玉団子をすくりつつ、道真が言った。


「分かってるね、道真公」


 満足げに茜は言い、ほうじ茶をすすった。


「それで、相談事とは何だ。道真公」


 晴明に見つめられ、道真が「いやはや」と頭をかく。


「事後承諾になってしまい、晴明公には申し訳ございません」

「ということは、着手済みの案件だな」

「はい。御無礼ながら」

「無礼とは思わん。おおかた、自分一人で対処できるはずがそうではなかった、といった流れだろう」

「いやはや。お見通しでしたか」


 晴明はうなずいて、手付かずだったかき氷に匙を入れた。


「道真公も、一人で背負いすぎるきらいがあるからな」


 きまり悪げに道真は「今後重々、留意いたします」と約束した。


さいを聞こう」

「博多の寺で、とある刀の魂と出会いました」


 意を決したように、道真は話しはじめた。


「少女のような少年のような、美しい若者でしたよ。銀の光沢を持つ黒髪が、不可思議に光っておりました。げんぷくまえの少年のようにすいかんを着て」


 語る道真は、その出会いに心をとらわれてしまっているように見えた。それほど美しい人だったのだ、と桃花は想像してみる。


「彼……うん、そう呼びましょう。彼は京都に帰りたがっていました。自分は京都で作られた短刀だから、と」


 ──刀の魂と言えば、はやさん。


 桃花はふと、今年の冬に出会った大刀の魂を思い出した。

 名前ははやのつるぎ、かつて東北でと戦って功績を挙げたさかのうえのむらの愛刀だ。

 蝦夷の魂たちが東から集まってきた時、桃花たちと一緒に京都を守ってくれたのだ。

 人間の形を取った彼は、いにしえの武人のように力強い偉丈夫だった。


 ──思えば、騒速さんとのお仕事が「結び桜の子」としての初陣だったんだよね。


 騒速剣への感謝が湧いてくる。

 対面した直後に「このおなご、人をあやめたことはあるのか?」などと言うので驚いたが、よく自分に身を預けてくれたと思う。


「彼の京都をおもう心に少々感じ入りましてね。さかきの枝に彼の魂を乗せて、博多から大阪行きのフェリーに乗船したのです。大阪から電車に乗って京都、という旅程で」

うちを旅してくるとは、今どき風流だねえ」


 茜が少し驚いた風に言った。


「いやはや。せっかくならあちこち寄り道して各地の寺社やさけどころを回ろうと思いまして。今思えばのんな話です」


 晴明と同類の酒好きである。


「しかしまあ、ゆっくり進んだ方が彼の魂のために良かろうと考えたのもあります」

「だが、うまく行かなかったのだな。道真公」


 晴明が言い、道真が「はい」とうなずく。


「四国に上陸する手前で、彼が『苦しい』『眠い』と言い出したのです。最初は船の窓から海を見て楽しそうにしていたのですが。おそらく人の気配に触れすぎて疲れたのでしょう」


 道真はよどみなく話しながらも心配げな表情である。


「このまま連れてゆくのは危ないと思い、彼をぐうに預けて参りました」


 ──あ、四国のこんぴらさん?


 桃花の脳裏に、神社の長い石段が思い浮かんだ。テレビか何かで見た覚えがある。


「しかし、いつまでも預けておくわけにも行かない。早く彼を京へ戻してやりたい。そこで、晴明公にお願いしたいのです」


 道真は両手を膝に置き、晴明に頭を下げた。


「金刀比羅宮に預けた短刀『げんどおし』の魂を、京都に戻してやっていただけないでしょうか。なにとぞ」


 ──薬研通? どこかで聞いた名前。


 刀剣には詳しくないのだが、馴染みがあるようなないような名前だ。


「とりあえず頭を上げてくれ、道真公。航海の途中で苦しみはじめた刀の魂を航海の神に預けたのは、良い判断だ」

「は、はい。恐れ入ります」


 恐縮した様子で言い、道真が姿勢を正す。

 晴明は茶を飲み終えると、思案する風に顎に手を当てた。


「どうしたものかな。私自身が京都から遠く離れてしまうと、京都に何かあった時に対応できない。せいぜい東は琵琶湖の西岸、西はがわまでだ」

「そう言えば晴明さん、一緒に大津市へ行ったことありますよね。去年おうさかせきに異変があった時と、騒速さんも連れて蝦夷たちと対面した時。かめおかも、かつの川下りで」

「ああ。さすがに桃花とご両親がたいわんへ行った時は、夢の通い路を通るしかなかった」


 あの時は指人形のように小さくなった晴明が、会いに来てくれたのだった。


「夢の中の晴明さん、可愛かったですよね、ちっちゃくて」

「覚えていない」


 あからさまなうそをついて、晴明は桃花から目をそらした。


「道真公。私に方策がないでもない。虎のつなぐ縁を生かす」

「おお! 虎を。京都の西を守るのはびやつ、金刀比羅宮にはまるやまおうきよの描いた虎がおりますな」

「そういうわけだ」


 円山応挙なら、桃花にも分かる。江戸時代の京都で一派を築いた画家だ。足のない女性の幽霊は応挙の描いた絵から始まった──という説があるほど、一般的に名が知られている。


「あのう、一つ聞いてもいいですか?」

「どうした、桃花」

「『薬研通』ってどこかで聞いた名前なんですけど、有名な刀でしょうか?」

「ああそうか、『げんとうろう』って名前の方が有名だものね」


 茜が出した名前に、今度は「あ、聞いたことあります」と合点が行く。


ほんのうの変で焼けてしまったと言われている短刀ですよね。信長公が本能寺であけみつひでこうに攻めこまれた時、色々な宝物と一緒に」

「うん、よく知ってるねえ」

「ずっと前にテレビの歴史番組で見て、名前が珍しいから覚えてたんです」

「そうだねえ、人を斬る道具に薬作りの道具の名が付いてるのは珍しい」

「だけどこの間、美術部で先輩が『最近博多で見つかったらしい』って……博多?」


 思わず道真を見ると「はい」とうなずいた。


「私が出会ったのは、薬研藤四郎。またの名を薬研通。あれほど美しい姿で現れるとは思いませんでした」


 また刀の魂との船旅を思い返している風に、道真はしみじみと言う。


「『やげんどおし』と『やげんとうしろう』、音が似てますね。意味が全然違うみたいなのに」

「桃花どの。薬研藤四郎は、投げたら薬研をつらぬき通したという伝説があるので、薬研通の名もあるのです。たまたま、だじゃれのようになっているのです」


 双葉が解説してくれた。


「ありがと。でも薬研って、金属の円盤に棒を通して、薬をすり潰す道具でしょう? 刃が通ることなんて、ある?」

「いえ桃花どの、木でできた薬研もあるのです」

「なるほど、木でも薬草潰せるもんね。ありそう、そして強そう」

「でしょう、でしょう」


 両こぶしを握って双葉は力強く同意した。刀剣の話が好きなのかもしれない。


「しかし道真さま。なぜ、本能寺の変にまきこまれた薬研通どのが、博多でみつかったのですか?」


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