第三十七話 応挙の虎と薬研通の刀(5)

 双葉は早くも薬研通に思い入れが生じているようだ。


「おや、双葉どのは薬研通が気になりますか」

「主と離れて、とおい博多にながれついたのは、きのどくに思います」


 ──双葉君も、主人想いだものね。


 桃花は双葉の勢いに納得し、優しい子だ、とも思った。


「確かに、気の毒な話です。薬研通の話では、襲撃を受けた本能寺から侍女によって持ち出されたのだそうです。信長公が『女はくるしからず、急ぎまかでよ』と逃亡を促した時に」

「『しんちようこう』だな」


 と、晴明が信長にまつわる史料の名を口にした。


「そうです。侍女はおそらく、自分の身を守ろうとしたか、信長公の宝を敵に渡すまいとしたか……おそらく両方でしょう。しかし結局、この侍女がさかいの商人に出会って妻となる際の嫁入り道具となった」


 ──嫁入り道具が、戦場から持ち出された短刀……。すごい時代。


 現代人の桃花から見れば、戦にまつわる品が結婚に関わってくるのが意外であった。


「堺の商人は、さすがに縁起が悪いと思ったのか知りませんが、薬研通をみんへ……当時の中国へ輸出することにしたそうです。信長公を討った明智光秀公が、竹林で農民に刺されてからのことです」

「信長か光秀がたたるとでも思ったか」


 あきれたように晴明が言った。


「そうでしょうな。しかし、仲介者となった国際貿易港・博多の商人は、薬研通を気に入って手元に置いたのだそうです」

「だが、寺に納められた、というわけか」

「残念ながら。博多商人の家で跡継ぎ争いやら困窮やらに巻きこまれたそうで」


 ──戦の次は、お金持ちの家の事情に振り回されてしまったんだ。


 聞いているうちに、桃花も気の毒になってきた。

 道真でなくても、一緒に船旅をしているうちに情が移ってしまいそうだ。


「桃花さんの先輩が見たというのは、おそらくこの記事でしょう。先月の二十四日付ですな」


 タブレット端末を出して、道真は記事を見せてくれた。

 博多にある寺院の蔵からびた短刀が見つかり、刀身に彫られた銘「よしみつ」から、京都の刀工・あわぐちよしみつ、通称藤四郎の作と推測されること。

 京都のけんくんじんじやに奉納されている薬研藤四郎の写しに形が似ていることから、本能寺の変で燃えたとされる薬研藤四郎のほん──つまりもともとの薬研藤四郎そのものではないかと推測されること。

 そしてさびの程度によっては、修復は難しいことなどが記されていた。


「寺院の蔵から見つかった、とあるでしょう? ここの住職は普通の生身の人間ですが、私の知り合いでして。『蔵から刀が出てきたから、一緒に警察へ届けに行ってくれないか』と頼まれたわけです」

「警察へ届け出が要るんですね。確かに、いくら美術品でも物騒だから」

「はい、まあ電話を受けてお寺に行ったら、水干を着た薬研通の魂が立っていた、というわけです。ご住職には見えていませんでしたが……」

「なるほど。出会いのいきさつはよく分かった」


 晴明が双葉の頭をなで、双葉はげんな顔をする。


「桃花への適切な解説、ご苦労」

「おそれいります。邪道かき氷のおかげであたまがえました」


 正式名称を使った双葉に、茜が「うん」とうなずいた。


「道真公。その端末で、京都の美術館の展示スケジュールを見られるだろうか」

「ええ、美術雑誌のデジタル版を買っていますので」

「ほう。便利なものがあるな」

「応挙の虎の居場所ですかな」

「さすが道真公、一を聞いて十を知る」

「褒めても何も……いや、展示スケジュールが出ます」


 すでに晴明の頭には、薬研通の魂を四国から京都へ呼ぶはずがあらかた出来上がっているようであった。

 



                 *




 道真にちりめん山椒を渡し、かき氷を完食して眠たげな双葉を紙の人形に戻して、晴明と桃花は「かんざし 六花」を出た。


「桃花、せんおくはくかんへ行く時間はあるか?」


 道真が探してくれた情報では、泉屋博古館で応挙の虎の絵が展示されているという。桃花たちの住む真如堂付近のすぐ近くだ。


「時間は大丈夫ですよ。ただ」

「ただ?」

「面接の結果次第では、使い物にならなくなるかも、です」


 バッグからスマートフォンを出してみせる。先月の半ばに受けたいつとうじゆくの面接試験の結果は、今日メールで届く予定だ。


「気にするな、画塾の試験に落ちても芸大受験はできる」

「そういう励まし方します?」

「最終目的を果たせればよかろう」


 大きな交差点に出ると、すぐに真如堂方面へ向かう市バスが来た。観光にも通学にも使われる系統だ。

 桃花が前、晴明が後ろでそれぞれ一人掛けの席に座る。幸いいていたので、桃花はさっそく泉屋博古館について検索してみた。


 ──ずいじゆう……? りゆうとかほうおうとかの展示をしてるんだ。

 以前水墨画の展示を見に行って図録も買ったことがあるが、現在は瑞獣にまつわる展示を行っているらしい。

 瑞獣と言えば素晴らしい王者の到来を知らせるりんや鳳凰が有名だが、中国で皇帝の権力を象徴する龍もよく知られている。

 そして虎は、中国の歴史において最初こそ荒々しい獣として美術品に表現されていたものの、かんの時代に至って西の方角を守る白虎が現れ、次第に瑞獣としての位置づけができてきたらしい。

 ネットの展覧会情報で分かったのは、それくらいだ。


 ──ここから先は、ネットではなく展示を見ないと。


 右側に見えるきようぎよえんの緑で目を休めていた時、スマートフォンが一度震えた。

 画面には「一燈画塾」とある。


 ──ま、まさか。発表。


 まさかも何も、今日が発表日である。我ながら動揺している。


 ──落ちても芸大受験はできるっ。


 不満だったはずの晴明の励ましを心で叫んで、メールを開いた。

 予想していなかった文字が並んでいた。合格通知、ではなく、入塾許可通知、と。

 手を口で押さえた。口の形だけで(やったぁ)と言ってみる。

 後ろを振り返って画面を見せると、晴明は小さく「ああ」と言った。


「まあ当然だな。よくやっていた」


 桃花は無言で正面を向いてからうつむき、両手を使って顔を隠した。

 そうでもしないと、声を上げそうだった。

 嬉しい時でも、悲鳴は出るのだ。

 桃花はしばらくうつむいていたが、バスがかもがわを渡る頃に(お父さんとお母さんにメッセージで知らせなきゃ)と思い至った。

 鴨川デルタの東岸には桃花の歌った『君が愛せし』で花盛りになった薄桃色の百日紅さるすべりが生えているが、増えはじめた乗客で左側の景色は見えなかった。


 ──花盛りの時期を早めて、無理させちゃったよね。


 あの百日紅には、申し訳ないことをしたと思う。

 晴明への恋情のために、思いがけず生まれた呪力が百日紅に及んでしまったのだ。

 恋は叶わないとしても、力の制御はできるようになっておきたい。

 父親と母親にメッセージを送り終えた頃、バスはしらかわどおりを南へ下がりはじめた。

 京都では北へ行くことを「上がる」、南へ行くことを「下がる」というが、ひがしやまさんろくに沿って南北に走る白川通は、実際南へ向かって下り坂になっているのだった。

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