第三十七話 応挙の虎と薬研通の刀(3)
*
京都五花街の一つ、
町家に挟まれた緩やかな登り坂を、赤い和傘の舞妓たちが上っていく。横顔を彩るのは黄色い菊の花かんざし、足元まで垂れるだらりの帯は
桃花たちは、八朔の挨拶回りにちょうど居合わせることができたのだった。
「もう秋の装いですね、舞妓さんたち」
通り過ぎていった舞妓たちの美しさに陶酔しながら、桃花は言った。人と装いが一体となった芸術作品を見たような思いであった。
「旧暦ならば八月一日は秋の始まりだからな」
晴明と桃花は、格子窓の美しい店舗の軒下で双葉を待っている。
一人での買い物に慣れるべく、訓練中なのだ。
「晴明さん。ふと気になったんですけど」
「どうした」
「西陣に引っ越してくる道真さんに、西陣で売ってるちりめん
「今回だけだ。おいおい道真公自身で、気に入りの店を見つけるだろう」
「確かに、最初はどのお店で買うか迷いますよね」
「お待たせいたしました」
双葉が和菓子屋の紙袋を手に提げて出てきた。
「
「ご苦労」
晴明は差しだされた紙袋を受け取った。
「さて、行くか」
歩きだす晴明に、桃花は「あのう」と話しかけた。
「道真さんの相談事はあちらで聞くとして、電話で言ってた『外道かき氷』って何ですか?」
「見れば分かる」
晴明は歩調を緩めない。
「ひゃくぶんは、いっけんにしかずです。桃花どの」
桃花は置いて行かれぬよう早足になる。小柄な外見に似合わず双葉も速く歩くので油断できない。
「まさか、シロップの代わりに魚が載ってるかき氷じゃないですよねっ?」
「なぜ魚だと思った」
「バスに乗っている時スマホで調べたんです。『外道』には、釣るつもりじゃなかった魚、っていう意味もあるって」
「調べる習慣が身についているのは良いが、違う」
上七軒を離れて細い路地を行く。目的地は「かんざし 六花」だ。
「道真公の新居はまだ
「もしかして、道真さんもいっぱい本を持ってるんでしょうか」
「当たりだ」
「学問の神様ですもんねー」
小さな地蔵堂のそばで子ども二人が、今度はいつ遊ぶのか相談している。晩夏の
織物工場の
町家を改装して小さなショーウィンドーを付けた「かんざし 六花」の前に来て、桃花はかすかな物音を聞き取った。
ガリガリ、ゴリゴリ、という響きは、氷を削っているように思われる。桃花の知っている電動かき氷器よりも、ずいぶん重厚な音である。
「今年もやっているな。外道かき氷」
晴明の言葉に、双葉は嬉しそうに「はい」と返事をした。
いい加減真相を教えてください、と桃花が言おうとした時、玄関の引き戸がカラリと開いた。
「いらっしゃい」
年の頃は二十二、三歳、野菊を散らした着物が似合う長身の女性が
「茜さん、お久しぶりです」
「茜さま、ごぶさたしておりました」
「ああ、久しぶり。桃花ちゃんも双葉も、しばらく見ない間に大人っぽくなったねえ。奥へお入りよ」
優雅な身のこなしで茜は一同を屋内にいざなった。
ショーケースには先ほど見かけたような菊の花かんざしが並んでいて、ここもまた京都なのだ、と桃花は実感する。冥府の官吏が住む場所であっても、季節の風物と美術が溶けあった暮らしは変わらない。
「邪魔するぞ」
晴明が帳場横の長い
花かんざしを売る店舗の奥が、和室や廊下兼台所になっているのだ。
「ちょっと、晴明様。聞こえてましたよ」
茜は晴明の前に立ち塞がり、妖艶だが強い口調で言った。
「うちで顔見知りに出しているのは『邪道かき氷』ですからね。『外道かき氷』はあくまで別名ですよ」
「しかし、篁卿は『外道』と呼んでいた。客に氷を削らせるからと」
「もう、都合のいいところだけ篁の
弟を可愛がる姉のような表情で茜は苦笑する。
──そういう意味なんだ。確かに外道かも。
納得してから桃花は(じゃあ氷を削っているのは誰?)と思った。
店の奥から聞こえる音は、どうやら手動のかき氷機らしいのだが。
「いやはや、店内で
帳場の後ろに垂らした暖簾の奥から、声が聞こえた。
知り合って間もないが、いやはや、の口癖と渋い声音ですぐに分かった。
新しく西陣に配置された、菅原道真の声であった。
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