第三十七話 応挙の虎と薬研通の刀(2)

「およそ千年の間に起きた京都の変化を報告し、共有してきた。より正確に言えば、私が死んで閻魔大王の部下になり、現世を離れてからだな」


 生身の人間であった頃の死を、晴明はさらりと口にした。


「……室町幕府が出来たりおうにんの乱であちこち焼けたり?」

「そうだな。院政によるろくしようの建設、のぶながによるじようじよう建設、とよとみひでよしによるの形成、明治維新後の京都舎密せいみきよくの設置、数え上げればきりがない」

「わわわわ、日本史で習ってない所まで出てきたっ」

「逃げ惑う蟬のように動揺している」

「せ、み?」


 遠くで鳴いている昆虫たちにたとえられて、桃花は衝撃を受けた。


「変な比喩やめてください。なんで双葉君の生けた花にはきれいな表現使うのに、わたしは蟬なんですか? わざと差をつけてるんですか?」

「分け隔てなどしていない」

「もう。……あ、お茶れましょうか? 冷凍庫の氷で、アイスティー」

「切り替えが早いな。よろしく頼む」


 おかしな比喩は慣れっこになっているので、桃花も立ち直りが早くなっているのだった。もっとも、晴明にそれを言うつもりはない。

 瑠璃が起きだしてニャアと鳴き、尻尾を立てて一目散に晴明に擦り寄っていった。




 誰が言いだしたわけでもないが、桃花の淹れたアイスティーは座卓の生け花を鑑賞しながら飲む格好になった。冷たさと紅茶の香りを楽しみながら見る朝顔は、いっそういとおしいものに思える。


「厄介なのは、京都だけでなく冥府でも変化が起きつつあることだ」


 朝顔の生け花を見やりながら、晴明は言った。


ろくどうのバランスを調整せねばならない」

「えっと、難しいお話だから、ちょっと確認と質問をさせてください」


 手を挙げた桃花に、晴明は視線だけで先を促す。


「確認なんですけど、六道って、魂が生まれ変わる六つの世界のことですよね」

「おおむね合っている。てんどう、桃花の生きているにんどうつまり現世、しゆどうどうちくしようどうごくどう

「そう、その六つで、どんな風にバランスを調整するんですか?」

「地獄道の縮小と、修羅道の拡張だ」

「どこかの大企業みたい。この部門は縮小して別の部門は拡大します、っていう」

「ふむ。そういう喩えもあるか」

「どうして地獄が縮んで修羅道が大きくなるんですか?」

たかむらきように言わせると」


 晴明は、市内で私立図書館を営みつつ閻魔大王に仕えている部下の名を出した。


「ここ百年における識字率の上昇と法治主義の徹底により罪を犯す者が減った」


 知ってはいるものの耳慣れない熟語が出てきた。

 また蟬だと言われないよう、落ち着いてあいづちを打つ。


「分かります。小学校や中学校に行けず字を習えなかった人が悪い人たちに取り込まれて犯罪を……っていう話、聞いたことがあります」

「しかし、大部分の人間が文字を解するようになり、社会が複雑になった分だけ競争も複雑になった」

「うーん……そういうもの、ですか……」

「現世の人間、しかも高校生には難しい。分かるのは後回しでいい」

「桃花どのは、そうめいなわかものだとわたしは思います。その桃花どのでもむずかしい話なのです」

「はい」


 若干落ちこみながらストローをくわえる。晴明と双葉はそう言ってくれるが、何に対しても打てば響くような回答を返せれば、格好がいと思うのだ。


「な、何か、大変ですね晴明さん」

「どうした、急に」

「もともと休暇って名目で現世に来たのに、あんまり遊べてなくて……」

「どうということはない」


 てんたんとした表情で答えた晴明は、袖に手を入れた。振動するスマートフォンを出すと同時に「あかねからだな」と言う。


 ──どうやって中にしまってたんだろ?


 別に他意はない疑問なのだが、恋情に気づいてしまった今は聞くのが恥ずかしい。一生の謎になってしまいそうだ。

 晴明は電話に出て「ああ」「桃花と双葉もいる」などと応えている。


「茜と同じ区画に住むのか。……いや、悪くはない。仕事上都合が良かろう」

 ──んん? ひょっとしてあの人がはかから?


 誰の話か、桃花には分かった。前もって聞いていた話に符合するからだ。京都の結界を守るため、冥官・すがわらのみちざねが博多から異動してくる、と。


「分かった、そちらで詳しく聞こう。……ほう、外道かき氷か」

 ──こ、今度は何の話? 外道は悪人のことだから、悪人の氷漬け?


 もしや地獄における刑罰の一種なのか。

 晴明がこちらを見た。桃花の表情から戸惑いを察したのか「ふむ」と笑った。


「茜さまの、かきごおりですね。晴明さま」


 双葉は嬉しそうに目を輝かせている。ならば悪い物ではないのか。


西にしじんへ行くぞ、二人とも」


 晴明が告げたのは、部下の茜が「かんざし りつ」を営む京都市西部の町であった。


「道真公の引っ越し祝いだ。何やら相談事も持ち帰ってきたらしい」

 ──また、大変な話じゃないでしょうね?


 心配になりながらも、桃花は「行きましょう!」と返事をした。

 この初夏に知遇を得た道真ととうてんじんには、恩がある。まだ結果待ちだが、画塾の入塾試験に提出した絵の発想の源になってくれたのだ。道真たちが困っているのならば、ぜひとも助けになりたい気持ちもあるのだった。


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