第五話 舞妓の神様(2)
*
翌日の金曜日、桃花は学校帰りに祇園行きのバスに乗った。茜にすすめられた通り、祇園のかんざし屋を見て回るためだ。
──明日は晴明さんのお守りだもん。今日のうちに、やりたいことやっておこう。
晴明が聞いたら間違いなく不機嫌になりそうな感慨にふけりつつ、桃花は夕暮れの
このあたりは祇園と呼ばれる区域の北側らしい。もうすぐ
──舞妓さんがいるのは、もっと南の方みたい。えーと、かんざし屋さんは南の方と西の方。
ガイドブックで読んだ内容を頭の中で復習しつつ、バスを降りる。乗客の「ありがとうございます」に運転手が同じ言葉で応えるのが、京都市バスのいいところだ。
──さーて、どこから行こうかな。まずは南。
落ち着いた料理屋が並ぶあたりには、観光客らしきラフな格好の人々もそぞろ歩いている。なぜか小さな人だかりができているようだ。
──ん? ラフな格好の人たちが、三人くらい? 着物の女の子を囲んでる……のかな?
Tシャツ姿の中高年男女の間から、十代の少女の迷惑そうな顔が見える。異様な雰囲気を感じて、桃花は早足で近づいた。
六十歳ほどと見える男性が、だみ声で少女に詰め寄っている。
「ねえ、その着物、いいものでしょってわしらみんな言ってるの。褒めてるんだからどこで買ったか教えなさい」
黒髪を上品にまとめた、藤色の着物の少女は
「いただきものやし、知りまへん」
少女を囲む三人の中高年男女が、「ああっ?」と怒声を放つ。
黄色い
「お届け物の途中どす。どいておくれやす」
「はあ? 何様だあ、あんた」
歯をむき出して中年の男が言う。
「あんた、祇園で働いとる下っ
憎々しげな脅しに、桃花の胸の奥で何かが噴き上がった。これは本物の怒りだと気づいた瞬間、晴明の琥珀色の瞳と「桃花」と呼ぶ静かな声がなぜか
「せっちゃーん! せっちゃーん! 久しぶりーっ」
桃花は大声で、名も知らぬ藤色の着物の少女を呼んだ。
少女が不安げにこちらを見る。取り囲んでいる中高年三人組は、嘲るような笑みを浮かべてこちらを指さしている。
「せっちゃん!」
戦旗のごとく腕を激しく振りながら近づく。少女に走り寄る時、通学バッグの角が三人組の誰かの体をかすってヒヤリとする。
──因縁をつけられる前に、芝居よ、桃花!
勇を鼓して、満面の笑みで桃花は少女に話しかけた。
「中学卒業以来だねーっ! 元気だった?」
利発そうな少女の瞳に、光が
「うん、元気」
涼やかな声で答えてくれる。日本人形のように愛らしい顔だが、顎の先に二つニキビがあって少し目立つ。
「あのねっ、今、ヨシゾウ先生が一緒なの! おーい、ヨシゾウ先生ーっ」
──そんな人、いないけどねっ。
いかつく頼もしい「ヨシゾウ先生」がいるつもりで、道行く人の向こうに手を振る。
少女を囲んでいた中高年男女が、「近頃の子は声がでかい、恥ずかしい」「親の顔が見たいなぁ」とにやにや笑いながら去っていく。いやな人たち、と思いつつ、桃花は「ヨシゾウ先生」を呼ぶ。三人が遠ざかったら、この少女の護衛となってお使いの場所へ一緒に行こう、と決心を固める。
「えーと、学生さん」
優しげな男性の声に、振り返る。そこにいたのは、制服を着た若い一人の警官だった。笑いを我慢できない、という風情で目尻に皺を寄せて、桃花と藤色の着物の少女を見ている。
「あっ、ええと」
ほっとすると同時に、何を言われるのだろうと怖くなる。やはり声が大きすぎたか。
「君、めっちゃ顔こわばらせてヨシゾウって先生呼んでたけど、何事や?」
「おまわりさん、この子は助けてくれはったんどす」
藤色の着物の少女が、手短に説明をしてくれた。日本髪や着物を珍しがって寄ってきた観光客を、桃花が芝居で撃退してくれた、と。
聞き終えた警官は、のけぞって「うはは」と笑いだした。
「舞妓さんの見習いは、観光客の楽しい着物体験と
同情混じりに警官は言うと、見習いの少女を目的地まで念のため送ると申し出た。
「君、市内の高校生やな。あんまりうろうろせんと、気をつけて帰るんやで」
「はーい……」
「学生さん、おおきに。気をつけて帰っておくれやす」
「はーい……」
去っていく二人を見送りながら、大きな疲労に襲われるのを桃花は感じていた。
──だって、だって、怖かったー! 大人であんな、通りすがりの女の子に意地悪する人がいるなんて……。
今頃になって、背筋がぞっとする。
──そういや、ヨシゾウって、中学の剣道部の顧問の先生の名前だ。強そうだから無意識に使っちゃったのかな。
今日はもう祇園はよして、若者向けのショッピングモールに寄るだけにしよう。バス停へ歩きだした時、桃花はふと気がついた。
──わたし、あの女の子を「せっちゃん」って呼んだけど、その前にちらっと晴明さんのこと思い出してた。不安だから、「せいめい」の「せ」で「せっちゃん」って言ったのかな。
頰が、カイロのように熱くなってくる。
今日の出来事は晴明さんには言わない、と桃花は決心したのだった。
【次回更新は、2019年10月17日(木)予定!】
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