第五話 舞妓の神様(2)


 翌日の金曜日、桃花は学校帰りに祇園行きのバスに乗った。茜にすすめられた通り、祇園のかんざし屋を見て回るためだ。

 ──明日は晴明さんのお守りだもん。今日のうちに、やりたいことやっておこう。

 晴明が聞いたら間違いなく不機嫌になりそうな感慨にふけりつつ、桃花は夕暮れのひがしやまどおりに目をやった。

 このあたりは祇園と呼ばれる区域の北側らしい。もうすぐさか神社に着くところだが、コロッケのような安い物も、会席料理のような高い物も同じように道沿いに看板を出している。庶民的なのかそうでないのか、何やら雑然とした区域だ。

 ──舞妓さんがいるのは、もっと南の方みたい。えーと、かんざし屋さんは南の方と西の方。

 ガイドブックで読んだ内容を頭の中で復習しつつ、バスを降りる。乗客の「ありがとうございます」に運転手が同じ言葉で応えるのが、京都市バスのいいところだ。

 ──さーて、どこから行こうかな。まずは南。

 落ち着いた料理屋が並ぶあたりには、観光客らしきラフな格好の人々もそぞろ歩いている。なぜか小さな人だかりができているようだ。

 ──ん? ラフな格好の人たちが、三人くらい? 着物の女の子を囲んでる……のかな?

 Tシャツ姿の中高年男女の間から、十代の少女の迷惑そうな顔が見える。異様な雰囲気を感じて、桃花は早足で近づいた。

 六十歳ほどと見える男性が、だみ声で少女に詰め寄っている。

「ねえ、その着物、いいものでしょってわしらみんな言ってるの。褒めてるんだからどこで買ったか教えなさい」

 黒髪を上品にまとめた、藤色の着物の少女はぜんとした口調で答える。

「いただきものやし、知りまへん」

 少女を囲む三人の中高年男女が、「ああっ?」と怒声を放つ。

 黄色いしきづつみを大事そうに抱えて、少女はなおも言いつのる。

「お届け物の途中どす。どいておくれやす」

「はあ? 何様だあ、あんた」

 歯をむき出して中年の男が言う。

「あんた、祇園で働いとる下っの舞妓かなんかだろが。顔を覚えて組合に言いつけてやるでな」

 憎々しげな脅しに、桃花の胸の奥で何かが噴き上がった。これは本物の怒りだと気づいた瞬間、晴明の琥珀色の瞳と「桃花」と呼ぶ静かな声がなぜかよみがえった。

「せっちゃーん! せっちゃーん! 久しぶりーっ」

 桃花は大声で、名も知らぬ藤色の着物の少女を呼んだ。

 少女が不安げにこちらを見る。取り囲んでいる中高年三人組は、嘲るような笑みを浮かべてこちらを指さしている。

「せっちゃん!」

 戦旗のごとく腕を激しく振りながら近づく。少女に走り寄る時、通学バッグの角が三人組の誰かの体をかすってヒヤリとする。

 ──因縁をつけられる前に、芝居よ、桃花!

 勇を鼓して、満面の笑みで桃花は少女に話しかけた。

「中学卒業以来だねーっ! 元気だった?」

 利発そうな少女の瞳に、光がともる。桃花が救助のために芝居を打っているのを、理解してくれたのだ。

「うん、元気」

 涼やかな声で答えてくれる。日本人形のように愛らしい顔だが、顎の先に二つニキビがあって少し目立つ。

「あのねっ、今、ヨシゾウ先生が一緒なの! おーい、ヨシゾウ先生ーっ」

 ──そんな人、いないけどねっ。

 いかつく頼もしい「ヨシゾウ先生」がいるつもりで、道行く人の向こうに手を振る。

 少女を囲んでいた中高年男女が、「近頃の子は声がでかい、恥ずかしい」「親の顔が見たいなぁ」とにやにや笑いながら去っていく。いやな人たち、と思いつつ、桃花は「ヨシゾウ先生」を呼ぶ。三人が遠ざかったら、この少女の護衛となってお使いの場所へ一緒に行こう、と決心を固める。

「えーと、学生さん」

 優しげな男性の声に、振り返る。そこにいたのは、制服を着た若い一人の警官だった。笑いを我慢できない、という風情で目尻に皺を寄せて、桃花と藤色の着物の少女を見ている。

「あっ、ええと」

 ほっとすると同時に、何を言われるのだろうと怖くなる。やはり声が大きすぎたか。

「君、めっちゃ顔こわばらせてヨシゾウって先生呼んでたけど、何事や?」

「おまわりさん、この子は助けてくれはったんどす」

 藤色の着物の少女が、手短に説明をしてくれた。日本髪や着物を珍しがって寄ってきた観光客を、桃花が芝居で撃退してくれた、と。

 聞き終えた警官は、のけぞって「うはは」と笑いだした。

「舞妓さんの見習いは、観光客の楽しい着物体験とちごて、緊張感と上品さが出てるからなあ。それで変な観光客を引き寄せてしまったんやな」

 同情混じりに警官は言うと、見習いの少女を目的地まで念のため送ると申し出た。

「君、市内の高校生やな。あんまりうろうろせんと、気をつけて帰るんやで」

「はーい……」

「学生さん、おおきに。気をつけて帰っておくれやす」

「はーい……」

 去っていく二人を見送りながら、大きな疲労に襲われるのを桃花は感じていた。

 ──だって、だって、怖かったー! 大人であんな、通りすがりの女の子に意地悪する人がいるなんて……。

 今頃になって、背筋がぞっとする。

 ──そういや、ヨシゾウって、中学の剣道部の顧問の先生の名前だ。強そうだから無意識に使っちゃったのかな。

 今日はもう祇園はよして、若者向けのショッピングモールに寄るだけにしよう。バス停へ歩きだした時、桃花はふと気がついた。

 ──わたし、あの女の子を「せっちゃん」って呼んだけど、その前にちらっと晴明さんのこと思い出してた。不安だから、「せいめい」の「せ」で「せっちゃん」って言ったのかな。

 頰が、カイロのように熱くなってくる。

 今日の出来事は晴明さんには言わない、と桃花は決心したのだった。


【次回更新は、2019年10月17日(木)予定!】

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る