第五話 舞妓の神様

第五話 舞妓の神様(1)

 京都市街の北西部、西陣ははたりの音が響く織物の町だ。

 狭い路地に小さな地蔵堂が点在する昔ながらの風景が残る区域に、町家を改装した『かんざし りつ』がある。晴明の部下の一人、茜が営む店だ。

 この店では、舞妓の髪を飾る豪華な花かんざしを十二ヶ月分展示している。

 一ヶ月につき一本、どれもが季節を取り入れた風情ある意匠だ。

 一月はめでたい松竹梅に、独楽こまと羽子板をあしらう。

 二月は白や薄紅の梅花。しだれ梅のように垂れる房が美しい。

 三月は黄色い菜の花に蝶。

 四月は白い桜に銀の蝶が群れる。

 そして今月、五月は藤の花。白と紫の花房が優雅に垂れる。

 六月は青い柳に白いナデシコ。

 七月は団扇うちわにトンボ。

 八月は大輪の朝顔。

 九月は紫のきよう

 十月は赤や黄の小菊。

 十一月は紅葉する楓。

 おしまいの十二月は、正月飾りを思わせる松と竹で締めくくる。

「まーべらすっ! ぱーふぇくとっ! いんぺかぶる!」

 桃花は祈るように手を組み合わせ、壁に飾られた花かんざしを褒めたたえた。

「わたしはずっとリボンが好きですけど、かんざしもすっごく素敵です。見ただけでけいもうされました。えんらいとめんとっ!」

 隣で晴明が嘆息する。

「すまんな茜。桃花は英単語のテストが良かったせいで、英語かぶれになっている」

「いいじゃありませんか。学業は大事」

 帳場に座る茜はほのかに笑みを浮かべた。年齢は二十二、三歳に見えるが、着物の取り合わせは渋く落ち着いている。白と薄茶で波を織り出した着物に、帯は松葉色の無地だ。

「桃花ちゃん、見る目があるねえ。花かんざしっていうのは目一杯、丁寧に時間をかけて作るんだよ。特にここで飾ってるのは、舞妓さんがお座敷で『お引きずり』って着物を着る時のかんざしだからね」

「えへへ、照れるなぁ」

「時間があれば、祇園に行ってごらん。大きなお店の花かんざしは、また風情が違うからね。モダンなデザインを取り入れていたり、渋い色合いのもあったり」

「行ってみます! でもこのお店、舞妓さんの花かんざしも、他のかんざしも、すっごく可愛いです」

 帳場の手前にあるショーケースには、普段使いできそうなシンプルで可愛らしいかんざしが並んでいる。

 あじさい、バラ、あやめ、金魚。

 店内の眺めを独り占めしたくなって、桃花は立ったままくるりと一回転する。

「子どもは新しい事物にかぶれやすい」

 晴明が説明書を読むような口調で言い、桃花はいきどおりで両頰をふくらませた。

「どうした。ふぐのようだが」

 そんなたとえをするくせに琥珀色の瞳も鼻筋のラインも見とれてしまうほどきれいで、白い顔も手も明らかに男性的な造形をしていて、桃花は怒りを通り越して悲しくなってしまう。

 ──なんでこんなかっこいい人に、子どもとか、かぶれやすいとか、ふぐとか……そんなことばっかり言われてるんだろ。

 悲しみを振り払い、桃花は精一杯眉を吊り上げた。

「ふぐじゃないです、怒ってるんですっ。わたし子どもじゃありません、今年で十六ですよ?」

「十六か、子どもだな。存分に学業にかぶれるがいい」

「ああ言えばこう言うんですね晴明さんって」

「会話はキャッチボールだからな」

「晴明さんは相手のグローブの外を狙ってくるじゃないですかっ」

「狙ってなどいるものか」

 睨み合う両者を、茜が「まあまあ」となだめる。

「晴明様も桃花ちゃんも、座敷に上がってくださいな」

「ああ」

 晴明が先に立って長い暖簾をくぐり、帳場の裏の座敷に上がっていく。

 二間続きになっている座敷の向こうは小さな中庭だ。座敷の脇にある狭い土間は、廊下を兼ねた台所になっていた。

「わー、家が細長い! すごい! こういうのうなぎの寝床っていうんでしょ、晴明さん」

 人差し指でつんと額に触れられて、桃花は後ずさった。

「何するんですか、晴明さん」

「京の町家の間口が狭く奥行きが深いのは、かつて間口の広さに従って税を徴収したからだ。好きでこういう造りになっているわけではない」

「あっ……。ごめんなさい茜さん」

「いやいや、いいんだよ。間口が狭いと、客に見せる部分が少なくて済むしね。さ、二人とも座って」

 茜が言い終える前に、晴明はあぐらをかいて座った。

 ──よそのお家ですっごくくつろぐんですね、晴明さん?

 だらしなく見られまいと、桃花はきちんと正座した。

「ああ桃花ちゃん、足は崩しちゃって。楽にしてね」

「は、はい」

「それで、頼み事とは何だ? 茜」

「祇園のおき女将おかみさんから、相談を受けたんですよ。はつはなっていう置屋」

 ──置屋って、舞妓さん芸妓さんの住んでる家のことだっけ。

 反対に、舞妓芸妓が派遣されて客をもてなす場所をちやという。京都に引っ越してから得た知識だ。

「何があった」

「みんなのご飯を作ってくれてる、まかないの女の人にあくりよういたんですってよ」

「悪霊?」

 明らかに疑っている声音で、晴明が聞き返す。

「おいしくて体にいいご飯を作ってくれるけど、本人は猫と同じ程度の量しか食べないんですって」

 ──何それ怖い。

 自分だったら、怖さと申し訳なさで食べられない。

 茜の話によると、置屋の女将はその女性の極端な少食について、舞妓や芸妓には内緒にしているという。余計な心配を与えまいとするその判断は正しい、と茜は言った。

「現世の人間には、食欲が極端に減る病気があるだろう」

「そういう病気の人よりも、ずっと食べる量が少ないんですってよ。一日に、手のひらに載るくらい」

 桃花は自分の手のひらを眺めた。この程度では、一食分にもならない。

「女将さんは病院へ連れていこうとしたんだけど、まかないさんは嫌がってるそうです。体はどこも悪くないからと」

 ──少食でも平気な体質なのかな?

 しかし、「まかないさん」とは頭も体も使う仕事ではないのか。

「茜さん。まかないさんって、みんなのご飯を三食とも作るんですよね?」

「そうなんだよ。十何人分も作るしね、お化粧が崩れないように、超ミニサイズのおにぎりやサンドイッチを作ったりしてね。大変な仕事だよ」

「なのに、食べるのはほんのちょっぴり……。民話の『めしくわぬにようぼう』みたい」

「よく知ってるねえ。似てる、似てる」

『めしくわぬ女房』は、一言で言えば妖怪物語だ。ある若者が「働き者で飯を食わない女房がほしい」と言っていたところ本当に望み通りの女性が嫁いでくるが、実は頭部にも口を持つ怪物で、人目のない時に大量の飯を食っていたという。

「女将さんもお年だから、古い言い伝えになじみのある人でね。悪霊かもしれない、お祓いができる人を知らないかって私に言ってきたわけだ」

「え、ひょっとして晴明さん、一部で正体ばらしちゃってるんですか?」

 目を剝く桃花を見て、茜が苦笑した。

「違う違う。大学の先生で昔の占いやまじないを研究している人が知り合いにいるから、お伝えしておきます……と言ったんだよ。陰陽師安倍晴明が今の京都にいることはあくまで内緒」

「よ、よかった」

「晴明様、せっかくの休暇中に申し訳ないですけれど、お願いしても?」

 茜は申し訳ないと言いつつ、なぜか楽しそうに言った。

「かまわん。それにこの前、三隅の鬼につなぎをつけてくれたからな。礼もしたい」

 殊勝なことを言いつつ、晴明は畳に寝転がった。

 ──茜さーん、この人めっちゃくつろいでるけどいいんですか。

 茜はとがめもせず、細長い土間に下りた。お茶を淹れてくれるようだ。

「どうして茜さんが相談を受けたんですか? かんざし屋さんってお祓いに関係なさそうなのに」

「顔が広いと思われてるんだよ。やれやれ」

 茜はまた苦笑した。

「悪いものではないようだな、その口ぶりからすると」

「ええ。まかないさんは悪霊でもあやかしでもありませんでしたよ。かんざしを納品しに初花へ行った時、すれ違って挨拶しましたけど」

 茜が盆に煎茶と柏餅を載せて座敷に上がってきた。晴明がようやく起き上がる。

「茜の見立ては?」

「あれは神様か、それに近い存在」

 茜は煎茶と柏餅を座卓に並べはじめた。

「女将さんの話では、まかないさんは午前十時にへ買い物に出るそうですよ。桃花ちゃんも連れて行かれては?」

 茜は一枚の写真を出した。

「例のまかないさん。三月から勤めてるそうだよ」

 エプロンをつけた二十五歳くらいの女性が、冷蔵庫の前でピースサインを出している。色白で面長の顔に、きりりとした大きな目が印象的だ。

「この人、元アイドルですかっ?」

「何を言っているんだ桃花」

「だって、めっちゃ可愛い。茜さんもきれいだけど、この人は写真に撮られ慣れてる感じがするんですもん」

「……なんだ。この女なら、昔からの知り合いだ」

「晴明さんの? 昔っていつ?」

「あらまあ、そうでしたか。お知り合い……」

 茜が意外そうに言う。しかし、詳細を問いただすつもりはないようだ。

「あのー、誰なんですか?」

 立て続けの桃花の質問に晴明は答えず、楽しそうに唇の端を上げた。

明後日あさつては土曜日だな、桃花」

「学校はお休みだね、桃花ちゃん」

 茜も、何かを心待ちにしているような顔で言葉を添える。

「どうか、ついていってあげておくれ。祇園の八百屋まで」

「……はい」

 ──十五歳が、大人の面倒を見るっておかしくない?

 とは思ったが、相手が千歳を超えていることをかんがみると、仕方がない気もする。



【次回更新は、2019年10月15日予定!】

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