第一話 晴明さん、猫を助ける(3)

 遅くまであちこちの店に貼り紙を依頼しながらミオを探し回ったその夜、桃花は夢を見た。

 ミオが、刃物を持った男に追いかけられている。助けてやりたいのに、桃花は体を動かせない。

 ──誰か、助けて!

 桃花が叫ぶと、黒光りする球が落ちてきて男を直撃した。

 ──にゃーん。

 しっぽを立てて寄ってくるミオを、桃花は抱き上げた。

 ──何が落ちてきたの……?

 ミオはこわごわと、倒れている男に近づいた。黒光りする球をよくよく見れば、石でできた大きな桃の実だった。

 ──これ、晴明神社にあった桃!

 晴明神社の拝殿前には、をかぶった安倍晴明の他にもう一つの石像がある。厄払いの桃の実だ。

 ──晴明神社の晴明様が、助けてくれたのかな。

 ミオを撫でていると、スーツを着た青年が近づいてきた。

 ──あっ、お隣に住んでる方の晴明さん。

 そう呼ばれて、背の高い隣人は苦笑を浮かべた。

 ──ミオが、帰ってきましたよ! 晴明神社の晴明様が助けてくれたんです。

 ──蕎麦をもらった礼だ。

 ──えっ?

 桃花は首をかしげる。もしやこの人が、ミオを助けてくれたのだろうか。晴明神社の桃の石像を上から落として。

 直感のままに、桃花は口走っていた。

 ──やっぱりあなたは、本当に。

 晴明は、楽しそうに口角を上げる。

 ──猫は無事だと、夢で教えに来た。

 ──あっ、これ、夢なんですか?

 桃花が問うているうちに、視界は暗くなってきた。夢から覚める直前の、独特の浮遊感に体全体が包まれる。

 ニャーオ、ニャーオ、と必死で鳴く猫の声が聞こえる。

 夢ではない。家の外から響いてくる。

「ミオ!」

 がばりと起き上がった桃花は、ベッドから降りようとして転げ落ちた。うっかりじゆうたんに置いたままだった、ミオを捜索するための貼り紙の残りに尻餅をついてしまう。

「あいてて」

 すぐに立ち直り、カーテンをつかんではね上げた。窓を開け、前庭を見下ろす。

「ミオ……。何してるの……。もうっ」

 怒った口調とは裏腹に、桃花の目に涙があふれてくる。

 庭の隅にめた自転車のサドルに座って、ミオが口を大きく開けてニャーオ、ニャーオと鳴いている。

 桃花はパジャマのまま部屋を飛び出し、階段を駆け下りて玄関を開けた。

 サドルから下りたミオが、しっぽを立ててニャオンと鳴く。

「つかまえたー!」

 ミオを抱きしめる。扉を開けたままの玄関からパサリとかすかな音がして、桃花は振り向いた。

「あ、おまじないのお札」

 玄関に貼るように言われていたあの紙が、土間に落ちてしまっている。セロテープを使って貼った時に、ホコリがついていたのだろうか。

「それより、どこ行ってたの? ミオ」

 抱いたミオの目をのぞき込んだ時、桃花は今さっき見た夢を思い出した。

《やっぱりあなたは、本当に》

 夢の中で自分は、直感のままにそう尋ねようとした。あの隣人は、それをさえぎるようにして何と言ったか。

《猫は無事だと、夢で教えに来た》

 ──本当にあの人は晴明様で、お札は気休めじゃなく本当に効いて、そしてわたしの夢に入ってきた、とか……? まさか。

「ニャッ」

 桃花の胸を前足で押しのけるようにして、ミオは地上に飛び降りた。

「あっ、こら」

 また行方不明になってはおおごとだ。

 捕まえようとすると、ミオは生け垣の下をするするとくぐって隣の敷地に入ってしまった。

「ミオ、うちはこっちだってば」

「ニャオ」

 隣家の玄関先に行儀良く座ったミオは、桃花の方を向いて鳴いた。こっちへ来い、とでも言うように。

「もう……」

 まだあたりは薄暗い。隣人を起こさないようになんとかしてミオを連れ戻さなければ、と思った時、玄関が開いた。

「あっ、おはようございます」

「……おはよう」

 早くもスーツを着ている隣人は、陰鬱そうな声で応えた。続いて、男の子が出てきてミオを抱き上げる。

「ありがと、捕まえてくれて」

 桃花が言うと、男の子は「はい」とだけ返事をした。歳の割に無口な気がする。

「晴明さん、ありがとうございます。うちのミオ、帰ってきました」

「ああ」

「すみません、なんでかそちらの敷地に入っちゃって」

けつかいの内側だから心配しなくていい」

「は?」

 言っている意味が分からない。

「君の家とこの家は、同じ植物でできた生け垣で囲まれている。そこから猫が出ないように結界を張った」

 桃花は、緑の生け垣を見回した。確かに、同じヒイラギの木を使っているようだ。

「実際に見せた方が早いか」

 晴明は男の子の手からミオを抱き上げると、地面に置いた。

 ミオはトコトコと歩きだし、今度は生け垣から東側の細道へ出ようとする。

 待って、と大声で叫ぼうとした桃花は、慌てて口を押さえた。

 生け垣に頭をつっこんだミオは、すぐに身を翻して戻ってきたからだ。

「生け垣を利用した、あの猫専用の結界。あの猫にだけ有効な壁を作ったわけだから、この二軒の敷地から出ることはない」

 桃花は、まばたきをして晴明を見た。晴明の表情は落ち着いていて、噓をついているとは思えなかった。

 戻ってきたミオを、晴明が抱き上げる。

「自分で猫を飼うとなると十数年は面倒を見てやらねばならないが、こうして隣の家の猫が出入りするのは嬉しいからな。勝手ながら、そちらの家も含めて結界を張らせてもらった」

 桃花がじっと見つめていると、晴明は薄く笑った。

「……というのは冗談だ。猫が嫌う薬品をこの二軒の周囲にいた。大学でそういう研究をしている知り合いがいてな」

「あっ、そういう薬があるんですか? なーんだ、真顔で冗談言うから、信じそうになっちゃいました!」

 桃花は腕を差しだして、ミオを受け取った。

 あの夢はきっと、晴明神社の思い出や、もらったお札が効いてほしいという願望がごっちゃになった結果なのだろう。それはそれで、残念な気もする。

「朝早くからおさわがせしてすみません。またミオを連れてきますね」

 晴明は「ああ」と応え、男の子は小さく手を振ってくれた。

 ミオを抱えて家に入り、玄関を閉める。お札を拾い上げた時、ようやく自分の着ているものに気づいた。

「あっ、パジャマのままだ……」

 ミオを見つけた驚きとあんで、着替えるのをすっかり忘れていた。ボタンはきちんと留まっているが、これは恥ずかしい。

 腕の中でミオが、餌を求めるように盛んに鳴く。

 起き出した両親が、「おおっ、ミオ!」「良かった!」と口々に言いながら、廊下を走ってきた。



 ミオがいつものキャットフードを元気に食べるのを確認すると、家族三人はようやく安心して朝食をった。

 ベーコンエッグとトーストと切ったトマトだけの、いつもに比べて簡単な朝食だ。それでも、桃花は夢中で食べた。トマトのみずみずしさとトーストの香ばしさが引っ越しの疲れを拭い去り、ベーコンエッグのあたたかさが力を与えてくれる。

「貼り紙を剝がしてこなきゃね。あちこちのお店に頼んでしもたから」

 葉子が言ったので、桃花は「わたしが行く!」と声を上げた。

「ついでに、京都の街も見てくる。高校も入学式前にちょっと見ておきたい」

「あ、そう? ほなお願い。お店の人にようお礼言うといて」

「お礼と言えば」

 コーヒーを飲み干して、良介が言った。

「お隣の晴明先生、一緒に探してくれたんだろう? 親戚の男の子と」

「うん。おまじないのお札も書いてくれたし」

「そっちは、気休めに書いてくれたんだろう」

 良介は苦笑しつつ、葉子を見る。

「蕎麦を持っていったばかりだけど、何かお礼を渡そうか。気を使わせないように、日本酒のちょっといいのを小さい瓶で」

 葉子は軽くにらみ返す。

「さっそく京都のお酒を色々飲んでみよう、なんて思ってるやろ」

「ははは、分かるか、やっぱり」

「分かる分かる。ほな、生活用品を揃えがてら、晴明先生へのお酒も買いに行こ!」

 葉子が楽しそうに宣言する。実のところ、葉子自身も酒はいける口なのだった。



 吹く風に青葉の香りと、桜のはなびらが混じる。ペダルをぐ足が軽い。

 桃花は家のそばを通っているしらかわどおりを南へ走り、ガソリンスタンドの角で右折した。標識に「まるまちどおり」とあって、何かいわれのありそうな名前だ、と思う。

 窓の大きな喫茶店で、ベストを着た店員がサイフォンでコーヒーをれている。

 神社の鳥居脇には桜が咲いて、ずらりと並ぶちようちんには可愛らしい白うさぎが描かれている。おかざき神社、というらしい。

 アンティークショップの店先には、ちょうど戸棚や椅子が並べられているところだ。

 新しいものと古いものが共存している丸太町通の空気は、たちまち桃花をとりこにした。

 引っ越す前、親友の里奈に「京都人にいけずされないように」と心配されたけれど、この街はきっと、「いけず」ではない。

 強く望めば、そして礼儀を忘れなければ受けれてくれるようなふところの深さを桃花は感じた。

 実際、貼り紙を貼らせてくれた喫茶店や雑貨屋は、どこも飼い猫の早い帰還を喜んでくれた。

「ご協力ありがとうございました。これ、両親から預かったんですけど」

 桃花がぽち袋に入れた薄謝を出すと、ことごとくやんわりと断られた。

「それより、うちの店ひいきにしてくれはった方がいいですわ」

 店主たちに言われて、桃花は安心した。それなら恩も返せるし、この街の人々に歓迎されている感じがした。

 さらに西へと自転車を走らせ、右折して北へ向かう。

 高校の門前では、桜が満開だった。校舎の窓が明るく輝くのがまぶしい。

 ──里奈ちゃん、がんばろうね。

 滋賀県の志望校に無事合格した親友に、心の中で呼びかける。元気だ、と手紙を書こうかと思う。

 結局うやむやになってしまった隣人の正体だけは、気がかりで仕方ないのだけれど。



 昼の十二時過ぎに家へ帰ってくると、桃花が予想していたよりも大きな日本酒の瓶が台所のテーブルに置いてあった。

「お母さん、お礼は小さな瓶じゃなかったの」

「そのことなんやけど……」

 母親は米をとぎながら、言葉を濁した。

「何かあったの?」

「ちょっと待ってや」

 米をざるに上げて手を拭くと、母親はタブレット端末を棚から持ってきた。

「この地元ニュース見て。配信されたんやけど」

「ん?」

 桃花は眉を寄せた。「猫虐待事件犯人か 動物愛護法違反で会社員を逮捕」と物騒な見出しだ。

「昨日の夜遅くに捕まったんやて。ミオが帰ってくるちょっと前に」

 記事は短い。

 深夜にうろついていた男のバッグから複数の猫の鳴き声がしたため警官がひそかに後を追ったところ、ビニール袋に詰めた子猫数匹を物陰に遺棄したため現行犯逮捕した。また、自宅には十匹以上の猫がケージに入れられており、どの猫も健康状態が悪くを負っているため男に詳しい事情を聞いているという。

「ひどいね」

 桃花は憤慨した。わき上がる不快感を抑えられない。

「ほんま、捕まって良かった」

 母親もふんまんやるかたない様子で言う。

「でな、捕まった場所が記事に書いてあるやろ。それ、この近所やねん」

「え、えっ」

 不快感に加えて、背筋が寒くなってきた。

「ちょっとタイミングがずれてたら、この犯人と、ミオが鉢合わせしてた……?」

「そういうことや」

 母親は重々しくうなずいた。

「もしかしたら、お隣さんが書いたおまじないのお札が効いて、ミオが助かったのかもしれへん……と思ったら、つい大瓶を買っててん。迷信深いやろか」

「ううん」

 母親の気持ちを否定する気にはなれなかった。あのお札を受け取った時、なぜか安心して震えが止まったのを覚えている。

 ──もしかしたら、本当にあのお札が効いたのかもしれない。おまわりさんが猫の鳴き声に気づいたのも、犯人がおまわりさんに気づかなかったのも、ちょっと不思議だもの。

「桃花、お昼食べたら、お隣さんにそのお酒持っていってくれへん?」

「うん。大学の先生もまだ春休みだよね?」

「研究のために休暇を取ってるから、大学には当分行かなくてええらしいで。大家さんが言うには」

「いいなあ」

「何言うてるの。ああいうお仕事の人らは、論文を書いて成果を出さな食いっぱぐれるんやで。遊んで暮らしてるのとは違います」

「はーい」

 足元にミオがすり寄ってきた。

 桃花は座りこんで「危なかったんだからね、ミオ」と三毛の毛並みを撫でてやった。



 酒瓶を抱えてインターホンを押すと、晴明が出てきた。

 朝と違ってスーツのジャケットは脱ぎ、シャツを腕まくりしている。

「こんにちは。ミオを探すのを手伝ってくれたから、持っていきなさいって父が」

 重い酒瓶を受け取ると、晴明は柔らかな表情で目を細めた。

「あっ、大きな瓶にしようって決めたのは母です」

「素晴らしいご両親だ」

 晴明が真顔で言ったので、桃花はふきだした。

「晴明さんも、うちの両親と一緒でお酒が好きなんですね」

 微笑だけを返すと、晴明は背を向けた。

「茶菓子がまだある。持っていくといい」

 上がれ、と言っているらしい。

「お邪魔します」

 緊張しつつ靴を脱ぎ、板の間に上がる。相変わらず、天体望遠鏡が存在感を発揮している。

 襖を開けて晴明が入っていったのは、畳敷きの部屋だった。座卓に和紙が広げられ、絵の具を溶いた皿や筆が置かれている。

「日本画、描かれるんですね」

「ああ。暇なので模写してみた」

 晴明は、戸棚を開けて紙の箱や金属の缶を取り出している。

 仕上がり間近らしい日本画を、桃花は見た。

 赤い顔にひげを生やし、冠をかぶった男性が大きな椅子に座っている。その足元に、黒い平安装束の男性がひざまずいている。

 彼らのそばで火炎を背負って座っているのは、おそらくどうみようおうだ。

 手前には丸い大きな鏡が立てられ、その周囲には鬼と、縛られた人間の男女がいる。

「この赤い顔の人、地獄のえんだいおうですか?」

「ああ」

 戸棚から出した箱や缶を、晴明は座卓の隅に積んだ。

上手うまいです。暇だから描いた、とは思えないくらい」

「模写だからな。元の『しんによどうえん』に比べればまだまだだ」

「真如堂って、どこかで聞いたような」

「すぐ近くの、丘の上にある寺だ。正式名はしんしようごくらく

「ああ、その丘なら、うちの西隣です!」

「洋菓子と和菓子、両方でいいか」

 晴明は紙箱と金属の缶をそれぞれ開けると、個包装されたクッキーやを紙袋に入れて手渡してきた。

「ありがとうございます。どうしてこんなにお菓子があるんですか?」

 晴明は、少しためらうような間をおいて口を開いた。

「白川通を上がって、いまがわどおりを西へ入っていった所に知り合いの職場がある」

「上がる? 入る?」

 聞き慣れない言葉に、桃花は戸惑った。

「北へ行くことを上がる、南へ行くことを下がる、東か西に行くことを入ると言うんだ。道が格子状になった京の街では」

「あっ、なるほど」

 京都に遊びに来ていた時には気づかなかった情報だ。

「知り合いの職場は、からくさ図書館という私設の図書館でな。二人だけでやっているから茶菓子が余ると言って、たびたび持ってくる」

「へー。お裾分けをくれるんだ。いい人たちですねえ」

「……助手の方はそうだが、館長は違うぞ」

「悪い人なんですか?」

「菓子にかこつけて、私が真面目にやっているか監視に来ている」

 真顔で言う晴明を見て、桃花は可笑しくなった。

「あははは……こんなに怖い絵を描いてるのに、晴明さんって面白い」

「ふむ」

 晴明の顔に、笑いがひらめいてすぐに消えた。

「怖い絵と言うが、めでたい場面だぞこれは」

「え、地獄なのに? どういう場面なんですか」

「平安時代の陰陽師、安倍晴明が不動明王の助けを借りて閻魔大王に出会い、生き返る場面だ」

 桃花は日本画に目を落とした。赤い顔の閻魔大王にひざまずいている、黒い平安装束の男性をもう一度注視する。

「このひざまずいている人が、安倍晴明さん?」

「そうだな。あまり本人に似ていないが」

「また、真顔で冗談言って」

 再び笑った時、今朝の夢を思い出した。直感で口から飛び出しかけた、あの言葉を。

「……やっぱりあなたは、本当に、本物の安倍晴明様ですか?」

 晴明の目が、軽く見開かれる。

 子どもが珍しいおもちゃを目にしたような、驚きと明るさをともなったその顔を、いいな、と桃花は思った。

「なぜそう考えた」

「夢を見たんです。晴明神社の桃が落ちてきて、悪い人からミオを助けてくれる夢」

「受け容れてくれたか。私が夢の中で語った言葉を」

 その言葉に、ああやっぱりあの夢は、と思う。

「知り合いにもらった、猫が嫌う薬を撒いた……そっちが冗談で、結界を張ったのが、本当だったんですね?」

 晴明は、答えずにただ微笑した。

「『真如堂縁起』には描かれていないことだが」

 晴明は、座卓の上の日本画を指さした。

「安倍晴明は、人間として生き返ったのではない。閻魔大王の部下、つまりめいかんとして生き返った。若者の姿でな」

 シャツの胸ポケットから、晴明は一枚の紙片を取り出した。

 長さはほんの五センチほど。人の姿に切った和紙だ。

「自分で言うのもなんだが、私は長い間あの世の官庁街であるめいにいて、現世のことを知らない。教えてくれる人間はいないかと、探していたところだ」

 人の形をした和紙が宙に舞う。

 畳に落ちる前に和紙は消え、代わりにあの男の子が座っていた。

「しき、がみ……?」

 桃花のつぶやきに、男の子はうなずいた。

「よく知っているな」

 晴明が感心した風に言う。

「安倍晴明は式神を使役するって、お母さんの持ってた本で読んで……」

 思えばこの男の子は、晴明に指示されてミオを呼んでいた。

「その通りだ。現世を行き来する時はたいていこの式神を連れている」

 晴明が微笑ほほえんだ。

「猫をいじめる人が捕まったのは、もしかしてあなたが何か」

「ああ。不埒者の勘を狂わせる術式があるからな」

 何でもないことのように晴明が言い、桃花はめまいを覚えた。

「でも、名前は? 堀川晴明って」

「現世での仮の名だ。元の名や生前での行動にゆかりのある名をつける」

「ほぼ、そのまんまじゃないですか」

「他の冥官も似たようなものだぞ」

 晴明は、棚に置いてあった日本酒の瓶を男の子に渡した。

「台所に頼む」

 大きな瓶を抱え、男の子はぱたぱたと奥へ歩いていく。

「そろそろ家へ戻らないと、家族が心配するだろう」

 桃花はつい、言われるままに立ち上がった。あんたは素直すぎる、という親友の言葉が脳裏をよぎる。

「学校の勉強で分からないところがあれば、聞きに来るといい。代わりに現世のことを教えてくれると助かる」

 晴明の表情は静かだが、琥珀色の瞳は楽しそうな光を浮かべている。

 恐れよりも好奇心に後押しされて、桃花は「はい」と答えていた。


第一話・了


【次回更新は、2019年8月29日(木)予定!】

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